8月31日木曜日、大きなミスもなく、無事に厨房での最後の仕事を終えた。
職場に、同じ系列の別の厨房から、新しい方が配属されると聞いた。年齢を聞くと、私と同世代だという。年齢が近いなら、友達になれるかも知れないとちょっと期待した。
ところが、いざ一緒に働いてみると、私の期待は一瞬にして消えた。
私より仕事の経験が2年ほど多い彼女は、厨房の仕事をよく心得ていた。こちらへ来る前の厨房は、規模も大きく、かなり忙しいところだった様だ。
当時、厨房での経験が7ヶ月程だった私の働きぶりを見て、彼女は直ぐに私をポンコツだと判断したようだった。
彼女と仕事を組む時は、私に対してのイライラが痛いほど感じられた。ピリピリした空気感、私のやること為すこと気に入らないようだった。
ある日、洗った布巾を干していると、「なんでそんな事するの!」と、まるで母親が子どもを叱るような調子で、ヒステリックに怒鳴られたことがある。
何がいけないのかわからずに唖然としていると、干し方が駄目だと言う。
私は布巾が早く乾くようにと、物干しの竿を一本とばして干したのだが、それがいけないという。これまでそうやって来て、誰にも注意されたことがなかった。でも彼女にとっては、間をあけずに詰めて干すのが正しいやり方らしかった。彼女がそういうのだから、黙って彼女のやり方に従った。
それからは、彼女の小さな不親切が続いた。
冷蔵庫の前で彼女が終わるのを待っていると、他の人なら私が冷蔵庫に入れたいものがあると察して、ドアを開けておいてくれるが、彼女は知りながら眼の前でピシャリと戸を閉める。
洗い物の食べ残しの処理をしている時、彼女は床に落とした食器を、自分では絶対に拾わない。結果的に私が拾うことになる。
しまいには、本来2人で組んで作業する仕事も、私に丸投げする事も多々あった。
「やられたらやり返す。倍返しだ」と行きたいところだが、彼女は私より2年先輩だし、そんな子供じみたお返しは、事態を悪化させても、好転することはない。ただ耐え、彼女に対しては普通に接した。それが何をされても動じていないという、せめてもの私の誇りだった。
職場には年下の先輩二人がいるが、彼女も含め3人とも8時間労働で、短時間のパートは私だけである。
彼女たちが調理中心の仕事であるのに対し、私は補助作業で仕事内容も違う。
次第に3人の結束が固まり、いつしか私はいつも蚊帳の外といった状態となった。
若い先輩たちも、私に対する態度が以前とは変わり、微妙に例の彼女に同調しているようにも感じられた。それも私の居心地を悪くした。
私は次第に職場へ行くのが憂鬱になっていった。
特に彼女が居る時は、嫌な気分になる出来事が多いので、ヘマをしないように緊張してしまう。すると余計にヘマをしてしまうという悪循環だ。
また、その私のヘマをイチイチ言葉にして公にするのが彼女だった。ヘマといったって、準備したお皿の枚数を間違えたくらいのささやかなもので、厨房では他の人も良くあることだったが。
これまでは、勤務時間の終りが来ると、作業の途中でも年下の先輩に「帰っていいよ」と言われていた。
その日も作業の途中だったが、いつものように帰ろうとすると、同世代の彼女は聞こえよがしに「そんなことぐらい、やって帰ればいいのに」と言う。仕方が無いので、戻って仕事を続けた。
また別の日、仕事を終え、作業着をすっかり着替えてしまってから、一つ準備し忘れた事を思い出した。
歯のないお年寄りのために、おかず一品をきざむ事を忘れたのだ。それで、年下の先輩にその旨を伝え、お願いし、了承してくれたのだが、例の彼女は「自分でやっていけばいいのに」とつぶやいた。
そんな事を言われては、そのまま帰るわけにもいかず、再び作業着に着替えて戻り、おかずをきざんだのだった。
物は言いようだ。彼女のその言い方には腹立たしい思いをした。けれど、家に帰り、冷静になってみると、私の他人に甘えた考えも、悪かったのかなとも思った。
そんな日々を送っていくうち、どんどん鬱気味に陥ることが多くなっていった。職場の憂鬱は家族や友人には多少愚痴をこぼしたが、職場の人には一切何も言わなかった。
しかし無言で耐え続けた私の鬱屈は、6月の下旬にピークを迎えた。
厨房に就職が決まった日から、「2024年の2月までは頑張って働こう」と決めていた。
一度決めたことは守らなきゃ駄目だ。これからも耐えなければいけない。そう自分に言い聞かせた。
その瞬間、頭の上から「辞めよう!」と揺るぎない自分の声が突如聞こえた。「嫌なことに耐えながら仕事をする意味も必要も無い」私の心の中の真実の声がそう言い切った。
私は直ぐに上司に電話した。辞めたい旨を伝え、理由は、「母が高齢で弱っている事」にした。実際には元気だけれど、何があってもおかしくない高齢ではある。
契約期間は8月末まであった。直ぐにも辞めたい気分ではあったが、迷惑をかけることになるので8月末までは契約に従い働くことにした。2ヶ月もある。実質は月の半分しか働かないので、トータル30日間の残りシフトだ。
それからの一日一日の何と長いことか。一日千秋とは正にこの事。
そして遅々として日々が過ぎ、やっと残りシフト5日となった日の事。
朝から彼女と二人の日だ。憂鬱だった。この日を終えれば、あと4日。それだけを拠り所として頑張ろうと思っていた。
その日、彼女はいつもと違った。
本来は交代でする食器洗いだが、彼女は絶対洗い物をしない。二人の時は、無言で私に洗い物を押し付けていたのだが、その日に限って初めて洗い物をした。
「あれ?洗うんだ」と意外に思った。
翌日も彼女は洗い物をした。
更に、いつもは「洗え!」とでも言うように、ステンレスボールや、鍋などの洗い物を無言で私のいるシンクに放り込んでくるのに、今日はそれがない。
彼女のそばに洗い物らしきものがあったので「これ、洗い物ですか?」と聞くと、「はい」と言ったので「洗いますね」と私が言うと、彼女は「お願いします」と言った。私に対するそんな丁寧な言葉は初めてだった。
彼女はお味噌汁が好きな人だった。その日の朝余ったお味噌汁を、彼女の為にお椀によそっておいた。それを知らずにお椀を取りに行った彼女に、「あ、もう(お味噌汁を)取っておきましたよ」と声をかけると、何と「ありがとうございます」と言った。この言葉も、私に対しては初めてだった。
一体、何があったのだろうか?
私が辞めると知って、何か心境に変化でもあったのだろうか。
彼女の立場になって考えてみれば、私と同じ65歳。厨房の8時間労働は相当キツいものだと思う。
短時間のパートの私だって、かなり疲れるのだから。
私はお昼すぎで仕事が終わるけど、彼女は調理も担当し、夕食の配膳後、食器の回収から洗い、全ての片付けを一人でしなければならない日もある。大変だろうと思う。
嫌な思いも随分したけれど、彼女が来てから叱られながらも、厨房の仕事を色々教えられたような気もする。
いっときは「こんな人とは絶対に分かりあえない」と思っていたけれど、私の忍耐が彼女に何か変化をもたらしたのなら、耐えることが無駄ではなかったと報われた気分にもなる。
そして今日、やっと待ちに待った最後の仕事を終えた。
辞める事を決めた日から、人と関わることの難しさ、恐ろしさをひしひしと感じていた。もう人と関われないかも知れないと思った日もあった。でも、さんざん私を苦しめた彼女の突然の態度の変化が、人付き合いの苦手な私に、少し希望をもたらしてくれた。
人の心は不思議なものだとつくづく感じた出来事だった。
今日で働き始めて丁度1年。長い長い1年間だった。
もう二度と厨房関係のお仕事をすることはないだろう。
お料理が好きだからという単純な理由で選んだお仕事だったが、厨房は台所の延長では無い事を痛いほど知った。
厨房のお仕事に未練はないけれど、明日から「働かない」という事実に一抹の寂しさを感じる。
これが私の人生最後の職歴となる…のだろうか?まだ、心の中に”働きたい自分“が見え隠れしている。