taesan

taesanの周りに起こること・感じること

仕分けしながら・・・

2011-04-19 20:25:30 | 日記
湯呑など重ねるとひっくり返りそうで
沢山集まってきたのでひと箱に入れる

湯呑があっても急須がいるよね
ヤカンもいるんちゃう?
ヤカンやポットなどもやってきた



コーヒーカップやマグカップ


コップはガラス製で箱に入った5個組が多い


集めるリストになかった小鉢
絶対いるよね
小鉢という主婦たち

お皿や丼

5セット箱に詰めた

ザルやボール

人々の温かさを感じる


政府や人々のやっていることに
批評しているのなら
各自自治体ごとに
支援物資を集めている
自分のできることから何かしてみるって大事だなあと思う

あの日あの時、福島原発で働いていた弟さんの話・・・・

2011-04-19 19:26:40 | 日記
支援の食器を友達と集めてくれたものを持ってきてくださった

直接は知らない

友達の友達は皆友達・・っていうことかな・・・

聴いた話をできるだけ忠実に書いたつもり
そして書いてよいか聴いたらどうぞということで書いてみることにする



持って来てくれたのはお姉ちゃんとしておく
その弟さんは東日本の震災の時に
ゼネコンで福島第一原発に出向で働いていた

地震が来た直後
逃げよう!!


神戸で震災に遭った同僚が大きな声で言った

外へ出て逃げるんだ!!

皆外へに出た

早く山へ!!とまた言った

外へ出ただけの人
途中の3階建ての建物へ上がろうとすると

だめだ!
山へ!山へ走って!!

自分たちの後から逃げている人を
波がさらっていく

原発の外に出ただけの人も
3階建のビルに上った人も・・
みんな波にのまれて行った

自分立ち寄り前でこけたりしている人は助け起こすことはできた
後ろでこけた人たちは
助けに戻ることはできなかった

周りはみんな泣いている
わめいているというか
大騒ぎの様子

山についたときは
もうそこまで波が来ていた

みんな何が起こったのか?
自分の身一つ逃げるのがやっと・・
山について一息ついていると

その震災にあった同僚が

「おい、服を脱いで繋げ!!はやく!!早く!!」

と言って皆に言う

そこではっとして
服を脱ぎ服をつなぐ
みんなの分をつなぐ

つないだ服を下に伸ばし
波に浮いている人々に

大きな声で泣きながらだけど

「いきろ!!しっかりつかむんだ!!目を開けて!!生きるんだ!!」掴まれ!!」

と叫びだした

「生きたかったら掴むんだ!」


周りの同僚30人も大きな声を出し始め
「生きるんだ!掴まれ!」

波に浮かんでいる人たちは
既に亡くなっている方や
半分意識のない人や・・・

大きな声でできるだけ

そうやって13人引き上げたそうだ

逃げていくときに助けられなかったこと
服を投げたけれど捕まれなく二度目の波にさらわれてしまった人

それを辛い思いで見ていたそうだ

さらに移動する時に
自衛隊のボートで移動するわけだが
生きている人を移送させなくてはならない

けれど小さな子を持つ親は子供がなくなっているのを
一緒に移送してほしいと懇願する
子供だけでなく
自分の家族がなくっていると
その人も移送してほしいと
自衛隊の人に懇願する

みんなみんな泣いていたそうだ

それは無理なんだよ
生きている人をまず移送しなくちゃね

そういって被災した人同士が
説得したんだそうだ



そしてボートが浮かぶ波のまにまには
既に亡くなっている方の間を縫うようにボートは進んでいったそうだ

戦争ってきっとこんな感じなんだろうなあと言っていたそうだ

みんなみんな泣いていた

母さんが波に浮いて生きている
抱いている赤ちゃんはもうなくなっている
話せない・・・・離せない
みんな泣いている

車で逃げた親子
5歳の子供を車の屋根の上にのせた
子供は助かった
その子はずーーと
おかあさん!おかあさん!と呼びながら泣き続けた
その子を助けた自衛官は
一晩中その子を抱いて自分も涙を流していた

弟さんたちは避難所を3回変わったそうだ
始めのところでは
3人で毛布が一枚

配給のおにぎりはあったけれど
自分たちが食べるわけにはいかないと
3人で一つ分けたんだって

自分たちは帰る家がある
仕事もある
家族もいる
ここにいる人たちは
何もない
帰るところも
やるべき仕事も
そして家族もバラバラか
無くしている

だから自分たちはいいのだ
そう思っていたと

第一原発にいたから
被ばく測定をしてもらいOKが出たので
自衛隊の車で郡山近くまで送ってもらい
歩いて郡山についてJRで東京へ向かった

自分たちはどろどろの作業服で着替えもせず
胸に『福島第一原発@@@会社』と明記してある

車両にいた人たちは
みんな良く生きていたねえと泣いた

渋谷についてみると
「寒いからこれ着て」と自分のコートを脱いで差し出してくれる人

そんな人々に出会い
暖かな気持ちを感じた

1週間家に待機しているが
日ごとに当時の様子が鮮明になっていく

1週間後会社から仙台へ復興のために転勤

「こんな時に心を乱したり病んでいる暇はない。俺たちがやらなきゃ誰がするんだ」
と言って現地へ行ったそうだ


その話を聴いて
その場にいた嫁とけいちゃんと私は泣いていた

次男の嫁は

「ママちゃんが食器を集めるって言ったけど
 送ることがほんとうにできるのかと想ったり疑惑を持ってたけど
ここにこんなに食器が集まって人の気持ちも伝わってきたし
そのおかげでこんな大事な経験の話を聴く事が出来てよかったと思う」と言った


文章にはできるだけ悲しく辛くならないように書いたけど
実際はもっと詳しく
映像で見るように話してくださった

彼ら30人はブログで書いたりできないといっていたそうだ
それは助けられなかった思いが強くあるからだと

こんなことを書くことはどうかなあとも思ったけど

被災している人たちがこんなに大変だとは知らなかった

私たちにできることはなんだろう

出来ることに目を向けて一つでもやってみましょう!

決めたら物事が動くのはやっぱり本当だ

2011-04-19 08:10:56 | 日記
5月の誕生日を前に
残された人生をかけて
もう一度自分としっかり向き合ってみることにチャレンジする

これは自分一人では出来かねるので
専門家にフォローしてもらってするつもり

そのためには自分の準備をしようと


日程の調整や
そこにかかる費用


日程は24日日曜日からしょっぱなにもうすでに予定が入っていた
子の予定を変えることに
自分としては・・・どうするかということがいい気分ではなかった

それは
約束を入れているのに後の約束を取ることは良いのか?
約束に関していろいろな感情が出てきた

けれどやめるのではなく変更を相談しようと思っていたら

参加者がに日にちの相談をしてきた

参加者全員に相談した結果
日にちが動いた

自分の自由さが少ないことに気が付く

さらに二階と3階を中心にしている4男ペア
支援食器のことで彼は反対だという意見を持っているので
そのことに関しては非常にいやそうに返事をする

その返事が私にとってはストレスで
「好きにしたら良い」という言葉も嫌いなのだが

それはなぜかというと
もう知らない・・ということに私の場合はつながらからで
さみしいという気持ちが直結するのだろう

「好きにしたら良い」という言葉で
何の気なしにトイレに入れられた芳香剤がメチャいやで
仕方ないと思っていたが
こんなにいやなのだから
「悪いけど外の出さしてもらった」と出してしまった
そんなことをしたのも初めてだ

我慢すればよいか・・と思ってしまうのだが
そのいやさが何かにつけて目の上のたんこぶのようになっていることは間違いがなかった

やっといろいろな思いで家の中が感じよくなってきたのに
この匂いは・・・いやだ
その感情がいろいろなことを引っ張ってくる

税金・ローン・・なにがしかの支払
経済について
生活時間帯について
気を使っていないように見せているけれど気を遣えと言われてつかっている自分
いやなことがなければどうでもよいことと思っていたが
いやなことがあるとたまってくると出てくるということは
根本的に何か思っているのかもしれない

けれどそのことも分解してみればどうでも良いことだと認識できる
そういう風に根本がすぐ見えるようになってきているような気がする・・・・

別に反対しても口を利かないほどいやな訳でもなく
そんなことをしても息子は息子なわけで
私は私なわけだ



そこかで反対されてまではしてはいけないという刷り込みがあるのかもしれない
これは今気が付いた観念である

参加すると決めると物事は以前から動くのであるが
この効果は何とも素晴らしいではないかと自分でもビックリ

エネルギーが充満していく感じがする

24日から8週間が楽しみである
還暦は生まれ変わりであり
新しく生きるのだが
57歳で3つも早く新しい人生を手に入れるのかと思うと

うふふふ・・・ニマニマしてしまう

彼から先の人生を希望を持って楽しんで生きていけることは楽しい

そういえば顔の麻痺のまえ
2003年の母の介護がはじまってから

未来がこんなに楽しいと思うのは久しぶりのことかもしれない

心の中は見えない
誰にっも見えない
繕っているとほんとうの感情や思いは
隠されたままなのかもしれない

私は一人でも自分がチャレンジしてみたいことにチャレンジする人生を選択する

きっとそれを見ている人たちがそれがいいなあと思って
その人なりのチャレンジを始めることもちょっと想像しながら



好きな言葉
『晴れない日はない
雲の上はいつも太陽が照っている』

そう思って雲の下をいきてきたんだなあ
雲の上に行けばいいんだねえと観点を変えた

今!今!

知っていることが
やっていることにシフトし始めているということだ

その序幕が
支援物資の協力だったのかもねえ・・・・

うひゃうひゃ・・・これはすごいかも!!

4月18日(月)のつぶやき

2011-04-19 02:30:39 | 日記
01:10 from Keitai Web
上着の牡丹をしめながら~ジーパン・カッター・上着とみんなストレッチ素材だった!繊維も随分変化したなあ~
10:35 from goo
思考→行動→感情→思考→感動! #goo_taesan-2010 http://blog.goo.ne.jp/taesan-2010/e/344ad3e799e38ded8b55a17e992867c5
10:56 from goo
総理大臣と大統領・・でも一人一人の考えやなあ・・・ #goo_taesan-2010 http://goo.gl/yrUPB
15:54 from web
食器パッキンしながらリストチェックをワードで作るほうが良いと二階に上がって呟く。食器を床暖の時に整理したがすべて使っているわけではない。もっとシンプルになるはず。我が家は集まると10人以上になるが・・ないなら持参マイコップマイ箸・マイお皿を頼めばよいのだ。本来無一物を考える。
20:35 from web
ボチボチお腹がすいてきた。この頃は時間で食べるのでは無くておなかがすいてきたらそれから準備していただくようにしている。スッキリとお腹が減ることは大事なんだそうだ。
20:37 from web (Re: @noji_nojio
@noji_nojio 笑うと増えるって聞いたことがあるんですけどね。NK細胞。
20:40 from web (Re: @Yukio_Komori
@Yukio_Komori 良いと思ったら背景が移るから掃除しましたよ!和箪笥の上や洋箪笥の上と自分の部屋。画像で見てびっくり。いい経験だった。はじめの時は後ろにシーツかけちゃった!!
20:40 from web (Re: @akihisa37
@akihisa37 準備あるものを神は助けるっていうものねえ。
20:41 from web
RT @iyashinomeigen: それが、ほんとうに伝えたいことだったら…伝わるよ、きっと(きよしこ、重松清)
20:43 from web (Re: @LOVE_IKKO
@LOVE_IKKO 京都はジャジャ降りの雨です!!歩けないよ―――犬の散歩で運動靴ではだめでした・・・・靴下まで冷たくなってしまった!
20:47 from web
RT @lupin1000: 与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ       織田信長 (戦国武将)
20:47 from web
RT @krishnamurtibot: 見るためには、あなたは一切の伝統や恐怖、あるいは狡猾な言葉に満ちた思考から自由でなければならない。真理はどこか遠くにあるのではなく、あるがままの現実を見極めることにある。
20:50 from web
私にも心細く怖いものがある。今夜のように音をたてて降る雨。風が出ようものなら・・・子供の時に台風で一人で留守番をしていたのがとっても怖かったのだ。それに気が付いてからは今は大人だと思うけれど3階建の家に私一人の時はやはりいやだなあ・・・・今夜は他に家族がいる。生活音があるのでまし
20:51 from web
RT @angel_voices: 「縁は宇宙からの贈り物。見つめることで、人生の目的が浮かび上がる。」 #anet
by taesan2010 on Twitter