私の観たくないものは
私を拒絶する相手を観たくない
それは産みの母が離婚当時私を連れて行くことを拒絶したというか
父が連れて行くことを拒絶した
そして結婚29年間夫に拒絶されている事が大半だったという感じを持ち続けていたように思う
だから拒絶されるということを体験したくはない
ところが先週の土日に受講した講座の中で
「あなたはどれくらい見たくないものを避けてきたのだろうか」というナレーションに
その時は全く拒絶されていることを観たくないということがわかっていなかった
けれど
観たくないものを避け
伝えるべきことを伝えず・・
受け取るものも受け取らず・・
あなたの存在理由を生きてきたのか?
・・・これからは存在理由をしっかり生きよう・・
なんだかそんなナレーションだったかなあ・・・と
その内容が心にしっかり根ざして
葛藤したことがあった
それは癌と宣告された離婚した夫のことだ
息子たちは相手も私も逢いたくないのだろうと
秘かに見舞いや今後の話をしているということは
私にばれていることは知らなかった
知った私は「自業自得だからなあ・・という感じ」だった
が存在理由を取り直したときに
死と誕生を経験したことで過去の取り扱いに葛藤した
私の友人に「死に行くものは無だよ」といってくれ
「逢いに行ってもいいんじゃない?あとで後悔しないようにね」と
その言葉が大きく勇気つけになって
昨日の朝見舞いに行った
いや言い残していつことがあったので伝えておこうと
拒否られてもいいから私は伝えたかったので
観たくないものをまた見ることになる恐怖はあったが
それを持ちながら行った
受講中お行儀が悪いと指摘もあったので
病室のベット近くで会えるなら伝えたいことがあるのだがようかな?と問いかけた
一緒に居るころの彼は
顔をそむけるか・いやといか無視かだったが
昨日は首を縦に頷いた
まず伝えたいことがあってそれは感謝しているという事やねん
というと
いまはなんも考えていない
と少し返答でないようなかみ合わぬ返事
まあ昔と比べれば即返事があるだけましだ
病状を聴いてもはっきりしなかったが
お腹を開いて肝臓の細胞を採って検査するべしのところ
熱が出ていて検査ができないとのこと
食事はできているのかと聞くとできているという事
また来てよいのかもう来ない欲しいのかと聞くとかまわない
という返事
これこそ昔ならいらんというところだ
トレーニングの効果を感じたのは
物を言わぬ人の心に感じている心細さが強く感じられた
ただ・・・よくはなさそうだと直感したので
「治るものも生きる意欲がなければ治らない。反対に治らないものも生きる気力があれば治る可能性があるけれど
どっちを選ぶか決めたほうがいいね。寺に入って修行しているつもりでどう生きてきたかも考えるといいね」
と言った
酒は入院前日まで飲んでいたらしい
アルコール依存症だと感じているので
入院中アルコールを抜き
退院した時飲むと
これはえらいことになることを
彼自身は知らないかもしれない
担当医に伝えてもらうよう受付でお願いしておいた
親切な方で「担当医が承りました」と返事したことを伝えてくれた
受付事務の方が連絡先は聴いてよいのか?とのことで連絡先を告げた
私のできることは「看取る事」だけだなと感じている
息子たちや彼の姉は今迄の経験からひょっとしたら安易に考えているのだは無かろうかと
悲観的には観ないがこの種の病気の様子から行くと
判断は甘いように感じるのは心配性だからというわけではないと思っている
なぜならこの年齢で周りにそんな人が沢山いるからである
確り死を受け入れる準備が必要な人ほど安易に思っていることが多く
「こんなに早いとは思わなかった」とつぶやくのである
どんな人もいつ何が起こるか
だからと言って心配するのではなくて
如何に自分を大切に生きるか
自分らしく生きるかだ
そんなことを考えている私に11月末に一緒に受講した
3人のセラピストの詩がいいよと教えてくれた親友がいる
読み返し、なるほどまさに今。そうである!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩でパールズが作ったもの
彼のワークショップでこの詩を読み上げることを好んだと書いてある
以下が詩である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は私の為に生き、あなたはあなたの為に生きる。
私はあなたの期待に応えて構想するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて構想するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
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私を拒絶する相手を観たくない
それは産みの母が離婚当時私を連れて行くことを拒絶したというか
父が連れて行くことを拒絶した
そして結婚29年間夫に拒絶されている事が大半だったという感じを持ち続けていたように思う
だから拒絶されるということを体験したくはない
ところが先週の土日に受講した講座の中で
「あなたはどれくらい見たくないものを避けてきたのだろうか」というナレーションに
その時は全く拒絶されていることを観たくないということがわかっていなかった
けれど
観たくないものを避け
伝えるべきことを伝えず・・
受け取るものも受け取らず・・
あなたの存在理由を生きてきたのか?
・・・これからは存在理由をしっかり生きよう・・
なんだかそんなナレーションだったかなあ・・・と
その内容が心にしっかり根ざして
葛藤したことがあった
それは癌と宣告された離婚した夫のことだ
息子たちは相手も私も逢いたくないのだろうと
秘かに見舞いや今後の話をしているということは
私にばれていることは知らなかった
知った私は「自業自得だからなあ・・という感じ」だった
が存在理由を取り直したときに
死と誕生を経験したことで過去の取り扱いに葛藤した
私の友人に「死に行くものは無だよ」といってくれ
「逢いに行ってもいいんじゃない?あとで後悔しないようにね」と
その言葉が大きく勇気つけになって
昨日の朝見舞いに行った
いや言い残していつことがあったので伝えておこうと
拒否られてもいいから私は伝えたかったので
観たくないものをまた見ることになる恐怖はあったが
それを持ちながら行った
受講中お行儀が悪いと指摘もあったので
病室のベット近くで会えるなら伝えたいことがあるのだがようかな?と問いかけた
一緒に居るころの彼は
顔をそむけるか・いやといか無視かだったが
昨日は首を縦に頷いた
まず伝えたいことがあってそれは感謝しているという事やねん
というと
いまはなんも考えていない
と少し返答でないようなかみ合わぬ返事
まあ昔と比べれば即返事があるだけましだ
病状を聴いてもはっきりしなかったが
お腹を開いて肝臓の細胞を採って検査するべしのところ
熱が出ていて検査ができないとのこと
食事はできているのかと聞くとできているという事
また来てよいのかもう来ない欲しいのかと聞くとかまわない
という返事
これこそ昔ならいらんというところだ
トレーニングの効果を感じたのは
物を言わぬ人の心に感じている心細さが強く感じられた
ただ・・・よくはなさそうだと直感したので
「治るものも生きる意欲がなければ治らない。反対に治らないものも生きる気力があれば治る可能性があるけれど
どっちを選ぶか決めたほうがいいね。寺に入って修行しているつもりでどう生きてきたかも考えるといいね」
と言った
酒は入院前日まで飲んでいたらしい
アルコール依存症だと感じているので
入院中アルコールを抜き
退院した時飲むと
これはえらいことになることを
彼自身は知らないかもしれない
担当医に伝えてもらうよう受付でお願いしておいた
親切な方で「担当医が承りました」と返事したことを伝えてくれた
受付事務の方が連絡先は聴いてよいのか?とのことで連絡先を告げた
私のできることは「看取る事」だけだなと感じている
息子たちや彼の姉は今迄の経験からひょっとしたら安易に考えているのだは無かろうかと
悲観的には観ないがこの種の病気の様子から行くと
判断は甘いように感じるのは心配性だからというわけではないと思っている
なぜならこの年齢で周りにそんな人が沢山いるからである
確り死を受け入れる準備が必要な人ほど安易に思っていることが多く
「こんなに早いとは思わなかった」とつぶやくのである
どんな人もいつ何が起こるか
だからと言って心配するのではなくて
如何に自分を大切に生きるか
自分らしく生きるかだ
そんなことを考えている私に11月末に一緒に受講した
3人のセラピストの詩がいいよと教えてくれた親友がいる
読み返し、なるほどまさに今。そうである!
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ゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩でパールズが作ったもの
彼のワークショップでこの詩を読み上げることを好んだと書いてある
以下が詩である
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私は私の為に生き、あなたはあなたの為に生きる。
私はあなたの期待に応えて構想するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて構想するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
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