和田寺だより 

住職のよもやま話し

東日本大震災犠牲者慰霊法要

2011年05月12日 | 和田寺だより

震災後の2ヶ月目にあたる5月11日に天台宗の半田孝淳座主(ざす)を大導師に被災地の宮城県気仙沼市の観音寺において慰霊法要が営まれました。これは座主猊下ご自身が現地での慰霊法要を強く希望され、実現したとお聞きしました。私も予定があいたのでどうしても現地に赴いてお経を上げさせていただきたいと住職に懇願し兵庫教区内の2名の僧侶と共に急遽列席することに。報道によると気仙沼市は死者・行方不明者が1400名を越えています。同市の観音寺様の檀信徒様も80名以上の方が犠牲にあわれました。

事前の報道記事です。  ↓

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110510/dst11051016410013-n1.htm 

当方、急遽ということで宿も取らずに車中で泊ることにし、往復2000㌔の移動を僧侶3人で交代しながらの運転は大変でしたが犠牲者の冥福と被災地の早期復興を祈る法要に同席させていただいたその重み、ご遺族の涙を拭う様子からその悲しみの深さや無念、僧侶としてはただただ祈るしかないと再認識いたしました。座主は「人は決して一人ではない。大勢の人が支えている。亡くなった人の分も生きて生きて復興の為に命をそそいで」と力強く説かれました。法要後の滞在時間は数時間でしたが事前にボランテイア活動に参加した知人の僧侶から気仙沼市も酷い状況ですが時間があれば岩手県陸前高田市の状況も見ておかれた方がよいですとの連絡がありその地も訪問することにしました。現地に着いて「見ておかれた方がよいですよ」の言葉の意味がようやくわかりました。町ごと消えてしまっている状況で言葉がなくなってしまいました。ただただみんなで立ち尽くすのみ。思わず合掌していました。涙が出そうになります。ここから再スタートなんだなと思う他ありませんでした。新聞、テレビで見聞きしてきた映像、イメージと現場を実際にみた感覚との違いを感じました。これを胸に刻みこんでおく必要があると感じました。そして伝えることも大事だと思いました。人手ではどうしようもないレベルかも知れません。ただ人手によっても必要とされる支援はこれからいくらでもあるようにも思いました。写真の掲載を迷いましたがほんの少しでも酷い状況が伝わればと思い掲載することに致しました。↓(兵庫天台仏教青年会では復興支援の為同月16日~18にかけて同市のボランテイアセンターに登録して瓦礫等の片付けや家屋内の泥のかき出し作業等に行く予定です。残念ながら私は予定がありそちらへの参加は叶いませんでした。 兵庫教区仏青13名の僧侶以外に四国仏青3人、滋賀仏青1人、北総仏青5人、陸奥仏青4人の若手の僧侶が参加され正味2日間活動されると聞いています。無事に支援活動が出来ることをお祈り致します。)

一つ残念だったのは日程の都合上、滞在時間が短く、被災者のみなさんとお話しなど直接ふれあうことが出来なかったことです。機会があれば次回は是非。または何らかの形で当寺にもお招きすることが出来たらなと思っております。  

                                            合掌

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法要会場の別格本山観音寺。高台にあるので津波から免れることが出来ました。
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「第256世天台座主半田孝淳猊下御親修 東日本大震災犠牲者慰霊法要」の法要立て看板。
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気仙沼市市内の様子。
※以下は岩手県陸前高田市内の様子。市役所界隈が完全に壊滅されていることがわかります。積み上げられた瓦礫の山。流された車がかき集められている様子。沖からかなり遠くの山側にも相当の津波が押し寄せてきたこともわかります。報道にあった市民が屋上に孤立していた高田病院だけはやはり残ったままでした。
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