篠山市、丹波市の天台宗寺院の人権研修会の講師として篠山市在住の酒井雅和さんに「いいとこさがしてみませんか」という演題でお話しを聞かせていただきました。
※以下は「龍谷人」というサイト、当日の講師紹介文より掲載します。
http://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/71/12_hito02/index.htm
1960年生まれの酒井さんは龍谷大学卒業後、中学校の社会科教諭となり野球部顧問も務めながら23年間経験を積んだ頃、2006年(46歳の時)にモヤモヤ病により突然全盲に。命を絶ちたいと思うほどの絶望の日々。明るさを取り戻したのは、2007年夏から「京都ライトハウス」の鳥居寮に入寮してから。同じ境遇の人や職員との出会いで心がほぐれ、歩行やパソコンなど社会復帰のための訓練生活を送る。現在は自宅で訪問訓練を受けながら、龍谷大学の卒業生の縁や、教員時代の縁で広がった学校や自治会での講演会など、自身の体験を社会に活かす活動を続ける。また、年1回の視覚障がい者マラソン大会へも継続して出場。
「自分の良いところをみつけ、活かす」
見えなくなったときは絶望のあまり、走行中の車から飛び降りようとしたこともありました。しばらく引きこもりのような絶望の日々を送りましたが、家族の勧めで入寮した「京都ライトハウス」の鳥居寮での社会復帰訓練で、少しずつ自信を取り戻したんです。まだ馴染めなくて一人でいる頃、そこの先生がおっしゃいました。「あなた、いいとこあるんですよ。あなたの鼻はよく利くし、触ってわかる力強い手足もあるし、耳も良く聞こえる。そしてゆっくりわかりやすく喋れるじゃないですか。それだけいろんな体の機能が残っているのに、目が悪いだけで落ち込んで。残っている機能を活かしていったら、まだまだできることあるじゃないですか」と。もう終わったと思っていたのに、褒めてもらえて嬉しかった。まだ私には能力が残っているなあ、チャレンジしてみようと思えたんです。
自信を持つと、ファイトが湧いてきます。成功体験と具体的な褒め言葉が人を伸ばすんですね。私は歩行やトイレや洗濯など、少しずつできることを増やしていきました。
2008年には、京都の西京極陸上競技場で毎年3月におこなわれる、視覚障がい者京都マラソン大会に出場してみることにしました。最初はボランティアの方の伴走で1キロ走り、次の年には妻の伴走で3キロ。2010年は中学校教員時代の野球部の教え子の伴走で10キロ。また今年も走りますよ。
マラソンでは、足を動かし、耳で伴走者のガイドを聞き、声を掛け合い、空気を感じながら走りますよね。自分の体のあちこちを精一杯使って。きっちり、生きているんだという実感が得られるんです。「まだまだ私は死んでない!」と。
「私にしかできない仕事が待っている」
あるとき、驚いたことがありました。ライトハウスで「社会の先生だったのなら」と先生の勧めで1時間の時間を与えてもらい、歴史の話をする機会をもらったことがあったんです。自分は、病気によって、学校で教えていた頃のスキルもなくなったと勝手に思っていたのですが、そのとき、長篠の合戦の話がスラスラと出てきたんですね。しかも、現役時代の授業のように、講談のようにして楽しく話せたんです。合戦の話、龍馬の話…記憶のなかにまだ沢山、残っていました。話すうちに、自分もまだこれから役に立てるのかな、と思って熱くなってきてね。
日本中に社会科の教師はいっぱいいるかもしれないけど、私のような授業は私にしかできない。結局教師は仕掛け人になることが大切だと思うんです。とびっきり面白い、生徒をこっちに振り向かせる授業。生徒が自ら動きたくなる授業で、勉強の動機づけをしてあげる。今は「私の個性を活かして、やってやろう!」という気持ちになっています。
「身近な絆の大切さに気づいてほしい」
現在は、龍谷大学時代の友人や教員時代の縁で、様々な講演会に呼んでいただき、自分の経験をお話させていただくことが増えました。人権などをテーマにしてあることが多いのですが、私は、まずは家族や、身近にいる人、例えば一緒にご飯を食べた人、掃除をした人、行ってきますやお帰りなさいを言う人、その関係が一番大事にされないと嘘だと思うんです。障がい者やお年寄りへの思いやり、タイガーマスクのような寄附行為なども言われていますが、まずは一番近くの家族や親兄弟、子ども、その絆がなくては何と言っても格好がつかない。基本はそこではないでしょうか。
私が絶望の淵に立たされたとき、一番の支えになったのは家族や、一緒に訓練した仲間や先生、友人、教え子との絆でした。近くにいる人を大切に。それを伝えていけたらいいですね。
●酒井さんが大切にしている言葉 |
3つのf (エフ) fresh、fight、for the team |
「fresh」は、例えば授業1時間目のはじまるときのような新鮮で引き締まった気持ち。それを大切にしようということです。 「fight」は、やるとなったらやらなしゃあない、熱くなってやろう!ということです。ただし、周りに気を配りながら。 「for the team」は、一緒に取り組む人と声を掛け合いながら、みんなで盛り上げながら目標に向かっていこうということ。個性が集まり、日々の関わりがあって、その積み重ねで自分が向上していくのだ、ということですね。 (龍谷人2011№71より) |
46歳の時に病気で突然全盲になり、絶望を乗り越えられた状況を当日の研修会でもお話しいただきました。講演後の質問の時間に「町中で全盲の方をお見かけすることやお寺にもお越しになることがあった時にどんな風にお声掛けしたらよろしいですか」との質問をさせていただいたところ「今日はいい天気ですねとか何かお手伝いしましょうかというようなほんの些細なことがうれしいですし有り難いんですよ。」とのことでした。過度に構えすぎずごく自然に接しながら少しでもサポート出来たらと思いました。障がい者と健常者とのまず心のバリアフリーがあってこそ共に住みよい社会になっていくのではと実感しました。お寺の施設などはまだまだ障がい者の方や高齢者にも随分参拝しにくい環境といえます。当寺も将来的にすべての方がお参りしやすいさらなる環境づくりが必要と感じます。
講演中、酒井雅和さんから自身の三つの夢をお話しいただきましたので最後に紹介致します。
①篠山市内が障がい者にとって住みよい街になること
点字ブロックや、音声案内などが増え難なく一人でバスに乗れたり街じゅうを歩けるようになること。(そう仰るということは現状一人で町に出かけることが困難な環境であるということが知れます。)
②社会貢献
ご自身が生きて、生活する中で社会から役にたっているということが実感出来、自尊心が高められるよう社会貢献したい。社会全体からいえば少数である全盲者のことを理解してもらう為にも生きた教材となるよう子供たちや地域などに関わり絆を深めながら自身の体験を社会に活かす活動を続けたい。(視覚障がい者マラソン大会は理学療法士さんや作業療法士さんの指導のもと体調管理をし、教え子さんの伴走のサポートなど人との絆を通して完走や記録が上がるよう目指すことで活力や達成感を得られていると仰っています。このことも生きた教材の一つだと思います。)
③医療の進歩
まずご自身が他の病気にかからずとても長生き出来たなら、目まぐるしく進歩している昨今の医療の世界ならいつの日かお日さまの光を取り戻せる日がくるかも知れないという希望をもって生きていきたい。
としめくくられました。お話しを聞いて私自身が生きる活力をいただきました。みなさまにもその一端をご紹介したく酒井雅和さんご本人の了解を得て当ブログに掲載させていただきました。 副住職 拝