和田寺だより 

住職のよもやま話し

平和観音

2010年07月08日 | 和田寺だより

篠山市遺族会では毎月8日(第二次世界大戦開戦日、12月8日)(奇しくも釈迦成道会と同日です。)に祥月法要を営まれています。市仏教会僧侶は当番制で導師を務めます。今回、私も通算三度目の当番でした。

今日はお勤め中、参加遺族の戦没者読み上げに続き天台 叡山流和讃「平和観音和讃」のお唱え、お勤め後にはこの曲を題材にしながら観音さまのお話しをさせていただきました。

【平和観音のご和讃】 曲 浦田道暢 詩 西条八十

①嵐は過ぎてうるわしく 平和の空はかがやけど 呼び返すすべもなし

 ああ戦いにいたましく 逝けるよ御霊(みたま)よ さまよう御霊(みたま)よ

②われらはたのむ観音の やさしの救い大慈悲を 祈りつつなぐさめん

ああ国のためはかなくも 逝けるよ御霊(みたま)を 辜(つみ)無き御霊(みたま)を

③こころの平和あらずして 地上の平和あるべきや いざ頼れひとすじに

この観音のみ姿ゆ 生(あ)るる平和を 久遠の平和を

観音さまはこころの目(真理の目)で世の音、世の出来事をご覧になっています。過去、現在のいいことや悪いことすべてのことを見通され、そしてこれからもずっと見守りつづけて下さいます。具体的には五観の方法で世の中を観ておられます。五観とは①真観(真理を見ること、ありのままを見ること。)②清浄観(雑念を離れ正しい目でみること。何ものにも執われない清らかな目です。)③広大智慧観(全体を見る。かたよらない目で見る。仏教の中道の目で見ること。)④悲観(私たちの苦を除くこと。)⑤慈観(私たちに楽を与えること。)悲と慈をあわせるものが慈悲。悲観と慈観が観音さまの抜苦与楽(ばっくよらく、苦しみを除き、楽を与える)の心です。この五観をそなえて、観音さまは人々を救います。①~③は般若心経の教えにもなっています。(かたよらないこころ、とらわれないこころ、ひろいこころ)

先の大戦に突き進んでいってしまった過ちを二度と犯さない為にも中道の観(み)かた、生き方をしたいものです。もうすぐ参院選がありますが、いろんな情報に惑わされずに中道の目で判断していく力が必要と思います。しかし完全に正しいものなどこの世に存在しない、諸法(あらゆるもの、出来事)は空(くう、実体がない)であるとお釈迦さまは仰っています。戦争の原因はまさに各国のこだわりから始まっていますね。ともあれ、現在ある日本の存在や繁栄を振り返ると間違いなく多くの戦没者の犠牲の上に成り立っていることをわすれてはいけないですし、残された者もその子孫もその犠牲に報いる為に精一杯生き、その人なりに充実した日々を送る、ある意味責任を負っているような気がします。そして、私たちも観音さまの生き方を少しでもお手本として我執(がしゅう、エゴ)の少ない人生、さらには仏教の三宝の実践、仏(あかるく)、法(ただしく)、僧(なかよく)の精神で前向きにさわやかに生きていきたいものです。そして長生きをしましょう!!・・・・・というようなお話しをさせていただきました。戦没者の方々に対し改めてご冥福をお祈り致します。 合掌


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