和田寺だより 

住職のよもやま話し

研修会

2010年07月07日 | 和田寺だより

5日~6日にかけて地元で役を務めている関係で神戸で県民生・児童委連合会の主任児童委員部会、全県研修会(長い名前ですが子どもの福祉に関わる役職です。)に出かけていました。県下の児童相談所の虐待の相談件数も年々増えています。子どもを取り巻く環境の悪化はもちろんですが社会的意識の高まりから通報が増えているとのことでした。核家族の時代、誤認であってもよいから幼い生命を社会みんなで守っていく必要があります。多くの場合、加害者である父母も虐待発見後に「止めてくれてありがとう」と思うらしいです。そういう意味では彼らも社会が生んだ被害者かも知れません。だから近年、行政の方でも働きかけがされ、地域も家庭の孤立化(密室の育児)にならないよういろんな声かけをしたり、明石市や芦屋市の民児協では主任児童委員のメンバーで子育てを支援しようと子育て応援団等のイベントを通じお互い顔の見える関係を築きながら虐待を(さがすことも大事ですが)未然に防いでいこうと取り組まれています。社会で子育ても考えていかないといけない時代なんですね。(子どものことだけでなく高齢者についても同じことがいえます。)さて、この研修会の中で県の清原桂子氏(少子化対策本部事務局長)のお話しと講演資料からとても興味深いことがわかりました。

【幕末から明治時代はじめの日本では・・・】

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの悪戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れていき、子どもがいないとしんから満足することがない。」(イザベラ・バード「日本奥地紀行」)

「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピッド(幼子)が、これまたはだかに近い(ふんどし姿の)頑丈そうな父親の腕に抱かれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物を抱いて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる。」(A.オールコック「大君の都」)

当時の外国人から見た日本人の子どもとの関わり方についての一文です。今よりももっと封建的かと思われる時代の様子なので実に意外です。子どもたちのくったくない笑顔が目に浮かびます。みんなで、父親もごく自然にしっかりと子どもに関わっていることがわかります。お話しによれば明治時代の後半、大正期以降、日本は富国強兵を掲げ農業から軽工業、重工業化していく中で子育ての様子も変わっていってしまったようです。そして先の大戦後の民主化で人々の価値観が変ってしまったことが大きいと思います。農業を捨て都市部に職を求め、大家族から核家族へと、働き蜂とよばれる家庭不在の父親・・・・・・。豊かさの方向性の過ちと断言出来ない面もありますが、ふんどし姿のお父ちゃんに抱かれながらうろうろ歩き、笑ったり、泣いたりしてる子どもたちは、今の子どもより間違いなく幸わせと思います。    すべての子どもたちが幸わせでありますよう!!


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