郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

2020最上山公園もみじ情報 11月16日(月)

2020-11-16 21:22:33 | 2020最上山もみじ情報・最上山公園もみじの魅力と歴史

2020.11.16(月)快晴


 今日は平日訪れる人はやや少なめで混雑はなく、ゆったり見物ができたようだ。紅葉度は80%というところでしょうか。

 毎年このモミジを楽しみに来られている姫路の方が、「今年は最高だ」と言われていた。確かに今年は台風も大雨もなく、葉の傷みもなく、適度な冷え込みも見られいい状態と言えます。
 このまま3000本のもみじすべてが燃えるような深紅色に変わっていくことはまちがいないでしょう。













































周辺マップ








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最上山もみじの魅力と歴史
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2020最上山公園もみじ情報 11月14日(土)) 

2020-11-14 23:01:10 | 2020最上山もみじ情報・最上山公園もみじの魅力と歴史




2020.11.14(木)午前11時 快晴


 今回はもみじ山の後方の山、通称一本松(篠ノ丸城跡)の参道と頂上の紅葉が今見ごろを迎えています。

もみじ山頂上部から歩いて約30分(約800m)です。


▼マップ 篠ノ丸城跡へのルート




▲ここから上に登ります。


▲最上山駐車場があり、ここから約700m


     











































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長源寺の紅葉 11/9

養父神社の紅葉  11/12


篠ノ丸城1
山崎城1

養父神社の紅葉(兵庫県養父市)

2020-11-13 13:54:44 | 日記
2020.11.12  AM10:30

 養父(やぶ)神社のモミジがきれいということを聞いて、足を延ばして朝一番養父市に向かいました。赤い法被を着た地元の世話人の方が駐車場に誘導してくれました。
 この神社では2020.11.7から23まで「やぶ紅葉まつり」が行われている最中でした。


 神社は但馬国の朝来郡・養父郡・出石郡を代表する三社の一つという。養父神社の境内を樹齢を感じさせる大きなモミジが真っ赤に染めあげています。そこに朱塗りの橋が紅葉を一段と引き立てています。























































2020最上山公園もみじ情報 11月12日(木)

2020-11-13 08:55:08 | 2020最上山もみじ情報・最上山公園もみじの魅力と歴史
2020.11.12(木)午後3時 晴れ



 今日は終日快晴、暖かい。今日付けの神戸新聞にこの最上山のモミジが紹介されたので、来られた方が多かった。
 午後4時にもなると、日が山際にかかる時間だが、この時間に駆け込み登る人もあった。
 今日、ライトアップの照明器具が取り付けられた。これから夜のライトアップが楽しめます。

 日増しにモミジの表情が変わっていくのがわかります。私流紅葉度は60パーセント。中央のベンチがある所の入り口あたりが赤くなりつつあるが、奥はまだ青いです。



 


 




 




 









    


  








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篠ノ丸城1
山崎城1

伯耆 番城跡 ~秀吉の陣城~

2020-11-11 10:04:03 | 城跡巡り
 東伯の羽衣石城主南条元継は秀吉の中国攻略のとき毛利から織田に寝返えったため、羽衣石城周辺で毛利方と小競り合いが続いていたが、毛利方の吉川元春が馬ノ山へ陣を敷き南条氏の羽衣石城に対陣した。
 それを知った羽柴秀吉は南条氏の救援に伯耆に出陣し、吉川元春の馬ノ山砦の付城として築いたのが十万寺所在城跡と今回の番城だという。
 今回はその番城跡です。




▲番所城跡の全景



▲羽衣石城跡からみた番城跡全景



伯耆 番城跡   鳥取県東伯郡東郷町羽衣石(現同郡湯梨浜町)


 羽衣石城の北部約500mの山頂(標高413m)に築かれた城跡で、羽衣石城より40mほど高い位置にある。毛利方の吉川元春の布陣に対する羽柴秀吉が築いた物見の砦と考えられている。遺構に曲輪、帯曲輪、堀切が見られる。




▲航空レーザー立体赤色図に映し出された番城跡 2019羽衣石城シンポジウム冊子より




▲羽衣石からの北西の展望



▲番城跡からの展望 





アクセス







 羽衣石城跡の主郭の東の2段下の南側に案内板がある。ここから下に降りて行く。この道は中国自然歩道で十万寺所在城とこれから行く番城跡に繋がっている。







 登りにかかり平坦地の先に、左に行く道が現れる。




▲羽衣石城跡から500m歩いたところにある案内板


ここから左(北)に向かう。下草が多くなり道が不明になるが、しばらく歩き、左方面に山が見えてくる。いよいよ城エリアに入る。




 



城郭エリア内の写真


 



 
  






 





▲羽衣石城をやや見下ろす位置にあり、羽衣石城の物見の役割をも持つ




布陣位置鳥瞰図  (羽柴秀吉・南条元継 & 吉川元春)

▲御冠山には遺構は認められない      by Google Earth


 
▲馬ノ山の対陣説明板 
従来、秀吉は御冠山に布陣したと言われていたが、御冠山には、陣城跡は確認されない。今回の調査で、後世(江戸時代)の創作と判断された。



雑 感

 番城跡の現地で見ると雑木や草木で人為的になだらかに刻んだ曲輪跡や帯曲輪等を部分的には確認はできたものの、全容は想像できなかった。それが赤色立体図では円形の線が浮かび上がり、曲輪跡がくっきり表れている。

 後で気が付いたのだが、この番城跡の北側から西の谷あいに降りる自然歩道があるので武将たちはそこから出入りしていたのかも知れない。次回行く機会があればその辺のことも確かめたく思っている。




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羽衣石城跡

十万寺在所城跡

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