東伯の羽衣石城主南条元継は秀吉の中国攻略のとき毛利から織田に寝返えったため、羽衣石城周辺で毛利方と小競り合いが続いていたが、毛利方の吉川元春が馬ノ山へ陣を敷き南条氏の羽衣石城に対陣した。
それを知った羽柴秀吉は南条氏の救援に伯耆に出陣し、吉川元春の馬ノ山砦の付城として築いたのが十万寺所在城跡と今回の番城だという。
今回はその番城跡です。
▲番所城跡の全景
▲羽衣石城跡からみた番城跡全景
伯耆 番城跡 鳥取県東伯郡東郷町羽衣石(現同郡湯梨浜町)
羽衣石城の北部約500mの山頂(標高413m)に築かれた城跡で、羽衣石城より40mほど高い位置にある。毛利方の吉川元春の布陣に対する羽柴秀吉が築いた物見の砦と考えられている。遺構に曲輪、帯曲輪、堀切が見られる。
▲航空レーザー立体赤色図に映し出された番城跡 2019羽衣石城シンポジウム冊子より
▲羽衣石からの北西の展望
▲番城跡からの展望
アクセス
羽衣石城跡の主郭の東の2段下の南側に案内板がある。ここから下に降りて行く。この道は中国自然歩道で十万寺所在城とこれから行く番城跡に繋がっている。
登りにかかり平坦地の先に、左に行く道が現れる。
▲羽衣石城跡から500m歩いたところにある案内板
ここから左(北)に向かう。下草が多くなり道が不明になるが、しばらく歩き、左方面に山が見えてくる。いよいよ城エリアに入る。
城郭エリア内の写真
▲羽衣石城をやや見下ろす位置にあり、羽衣石城の物見の役割をも持つ
布陣位置鳥瞰図 (羽柴秀吉・南条元継 & 吉川元春)
▲御冠山には遺構は認められない by Google Earth
▲馬ノ山の対陣説明板
従来、秀吉は御冠山に布陣したと言われていたが、御冠山には、陣城跡は確認されない。今回の調査で、後世(江戸時代)の創作と判断された。
雑 感
番城跡の現地で見ると雑木や草木で人為的になだらかに刻んだ曲輪跡や帯曲輪等を部分的には確認はできたものの、全容は想像できなかった。それが赤色立体図では円形の線が浮かび上がり、曲輪跡がくっきり表れている。
後で気が付いたのだが、この番城跡の北側から西の谷あいに降りる自然歩道があるので武将たちはそこから出入りしていたのかも知れない。次回行く機会があればその辺のことも確かめたく思っている。
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