たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

行くぞウィーン ひとり旅 14ウィーン少年合唱団とベートーヴェン④

2023年05月18日 | 旅行

バスを降りて、『迷子症』の私は慎重に調べた道をたどる。観光客が見当たらなかったので、シェーンブルン宮殿の時のように、誰かに付いて行くことはできない。それでも、ほぼ迷わずにホイリゲ(ベートーヴェンの元住処のひとつ。現在は酒場)の前に出た。ちょっと寄り道して、一杯ひっかけたかったけれど、混雑しているようなので素通り。

 

その少し先に、ベートーヴェンの遺書の家と呼ばれる、元住処がある。ガイドブックの通りに入場料を準備していたが、ちょっと値上がりしたよう。財布のお金が足りなくて、空港の時のように首からぶら下げて服の下に入れていたユーロを、ズルズルと取り出して支払う。恥ずかしい。

使ったピアノ、ベートーヴェンが書いたとされる遺書などが展示されている。音楽家なのに耳が聞こえなくなっていく苦悩、そして、自分が面倒を見ている甥の奔放すぎる行動など、辛いことの多い人生の中、最期まで音楽家であり続けた。投げようと思った人生を投げずに自分の中に収めた。変人で、周囲との軋轢もかなりあったらしいけれど、それでも生きて作り続けてくれて有り難いと思う。さらに、その作品が200年以上も時代に埋もれず残り続けてくれて良かった。私はどれほどその作品に救われたことか。耳が聞こえなくなったという状況を体感できる装置も置いてある。直筆の楽譜も。彼の存在のよすがを目に焼き付ける。

 

遺書の家を出て、ベートーヴェンの散歩道へ。行き過ぎたようで、周囲が畑になっている丘に登ってしまう。明らかにおかしい?と戻って、本物の小径に出る。人がほとんどいない林の小径。たかだか200年前、この木々たちは生きていたかもしれない。私は今、彼と同じ木を眺めているかもしれない。風景を共有しているかもしれないと思うと、心が浮き立つ。まるで恋をしているみたい?

彼の胸像にはちょっと興ざめだが、ベンチに座ってぼんやり過ごす。気が付くと肌寒くなり、日も陰ってきた。帰ろう。いつかまた来よう。

帰りのバスの中、案内アナウンスのドイツ語を真似てつぶやいていた。無意識に。正面に座っているおばあさんに笑われ、恥ずかしかった。

「どこ行くの?」

「ハイリゲンシュタット駅」

下車する時、駅はあっちと、指差しで教えてくれる。

 


行くぞウィーン ひとり旅 14ウィーン少年合唱団とベートーヴェン③

2023年05月18日 | 旅行

近くのレストランに入る。ガラス越しに、ピザを焼いているのが見られる。メニューもパスタやピザと言ったイタリアンなものが多い。食べ慣れているので安心。

注文後、すぐにトイレ。ガイドブックには有料のトイレの話が載っていたので(散策中、それらしいトイレがあったが、利用の仕方が分からないので寄ることはなかった)、ウィーンにいる時は、行きたくても、行きたくなくても、お店や観光施設に入るたびトイレに立ち寄った。お店のトイレは、日本のそれと同じくらいきれいで、不快な思いをしたことがない。逆に話のネタとして、一度くらいトイレで戸惑う経験があっても良かったかもしれない。

席に戻って待っていると、パスタが運ばれてきた。んー、ラザニアを注文したと思うんだけど?私が固まっていると、「間違ってました?」と聞かれる。注文票にも、私の注文したものが正しく表記されている。ラザニアじゃないよなあ…?と思いながら、「これでいい」と返事をする。ここでは、パスタのことをラザニアというのか?あまり深く考えず、まあいいかと食べ始める。後で調べたが、やはりパスタはパスタ、ラザニアはラザニアである。何故パスタが出てきたのかは、いまだに謎。

やはりここでもチップはなしで、メニュー表通りの金額を支払った。とは言え、チップは本当に要らないのかと疑念がぬぐい切れなかったので、お札で払って様子を見る。きちんと額面通りのお釣りが戻ってくる。

さてと、午後はベートーヴェンの散歩道へ行こう。特に何があるわけでもない散歩道…なのだが、今回のメインイベントとして私は位置付けていた。電車とバスを乗り継いで、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットへ。有名な話なので知っている人も多いと思うが、ベートーヴェンは、聴覚を失ったことの苦悩から、ここで遺書を書いている。遺書も含めてベートーヴェンの住んでいた家が公開されており、そこから徒歩圏内にベートーヴェンの散歩した小径がある。途中には、彼の住んでいた家(現在はホイリゲ・酒場)もある。彼は引っ越し魔だったので、そこら中に元住処がある。