「薪を割る音」
(冬の聖女)
裏庭の風呂場の横で
薪を割る音がする
貴女は今 無念無想
丹田にこめられた力が
音になってここまで聞こえる
薪が割れる音の中に
貴女の無心が聞こえてくる
貴女を批評する者なぞ
どこにも居ない
頭と肩に雪が降り
冬の風が吹いているのに
髪を風にさらして
静かに貴女は薪を割る
眉が動くことさえ無く
山の中腹の
晴れた日はその山家に朝日があたる
静かに貴女は薪を割る
百舌はどこかへ行った
東の谷の底辺りは風の通り道
季節には季節の風が通って行く
今は冬の冷たい風が
日の射さぬ川辺を走り
鳥の声も聞こえなくて
人が行き交う様子も無い
思い出に残っているあの頃 子を連れて
戦争から帰った夫とともに
町へ発った若い早春の日は
もうすぐ山桜が開花しようと
風の冷たさが頬を射さなくなる頃
お山を見上げ サヨナラと呟いた
端緒はいつも不安と希望だが
生命力が貴女の意欲を後押しした
町の生活がはじまった
異なる土地は寄る辺無いはずの貴女に
若い血と若い筋肉が味方をしてくれた
大自然がいつも人間を慈しむように
立ち向かう意欲は貴女を支えた
優しいが無口な夫を
尊敬できるのが
貴女の心の武器にもなった
悩む子を愛することなど
貴女にとって自然なこと
睡眠不足も過労も
町の暮らしには
暗さを落とすことは無く
夫の稼ぎは蓄えにして
夜中までの針仕事の女の働きを誇った
町を挟む川の流れを見て
山の椎葉を返す風の動きを見て
時にはこころ緩め
生まれた村を懐かしみ
父を想い母を想い
婚家の支えになるべしと
世のならいに逆らわず
人々の平穏の日々を願いつつ
日々を送った懸命の若い貴女の
美しい業
世の中には
世界には
戦争が絶えないことを悼みながら
ベトナム戦争や
アフリカ諸国の内乱
近東の諍い紛争
アフガンの
緑の土地の戦争による瓦礫
遠い外国のことでも気にかかる
そんな貴女の針仕事の仕事小唄は
銃弾が飛んだ
胸を撃たれた娘の父は娘よりも幸せ
娘よりも先に死んだから
爆弾が落ちた
腹を裂かれた息子の母は子よりも幸せ
子よりも先に死んだから
遠い国には桜が咲いた
白い雨が降った
緑の風が吹いた
赤い紅葉が散った
冷たい雪が降った
空気にひびが入ったままで
胸を撃たれた娘は生きて泣く
腹を裂かれた子は生きて泣く
昔アフガンの国は
緑の多い麦の栽培に適した美しい国だったと聞いて
清い川の流れる
生まれた村を想い出しつつ悲しんだ
神の声だという黒い表紙の本には
天と地ははじめから在ったと
水の上に光が漂っていたらしい
そして「始め」というものが創られたとか
その「始め」のころは
かすかにただよっているらしきものが
あったとか
景色の中にか 網膜にか 視覚野にか
時刻はいつごろか
朝なのか夕刻なのか
真夜中のようでもあり
明るく暗く光らしきものが
あるようにも見えて
虚空にも無限の色が
たなびいているようで
崩れた形が動き止まらず
おぼろの彩光がゆらめき拡散し
やがて融けようとする
ゆらゆらとしか生き得ない
世界の有り様のようで
迷いとなって貴女の心を悩ませた
過度に振動する空気は漂う元素を凝縮させ
時間の中で
ガンマ線を発する霧と
なっているかも知れず
いろどられたひかりに逆らうように
暗くなろうと
悶える露のぷりずむ
失念も 喪失もない
非在の三和土に影はうつらず
声も音もふるさとも
記憶さえないからっぽの 巨大な隙間に
漂う彩光
「始め」の前はこのようであったろう
「始め」の後がこのようだもの
「始め」の後はこのようだから
真言が胸に湧き起こる
ぎゃぁてぎゃぁてはらぎゃぁて
はらそうぎゃぁてぼうじそわか
神よ神よと呼ばわる国々で
最も多くの血が流された
そのことを知り 悲しんだ
村のお寺の和尚さまは息災におわすや
子供の成長を見ながらも自分の身の衰えに
思い致すことも無く
ときに酒を呑む夫の姿を眺めて喜んだ
常ならず それらは今は昔のこと
時は飛ぶ
過ぎた時間の中のこと
父も母も夫も命の時を終え
続く人々の時代となって
それでも悲しいことは続く 戦争諍い殺人 迷妄無明
谷間の村道からこの故里の山家に登る時
脚の筋肉が想いださせる思い出の
幽かなくつろぎ
冬でも汗は額に浮き出る
坂道づたいの山道の暮らし
筋肉に頼る自分の身体がすべてのことの証明だと
静やかなうれしさを
知ったのはいつだったか想いださないが
はらそうぎゃぁてぇぼうじそわか
午後になると
小雪舞う中で薪を割る
明日も明後日も夜は明けるから
家の裏で薪を割る
貴女の薪を割る音が谷間に木魂する
薪を割る音が聞こえる
摩耶夫人のように薪を割る音
2011年10月19日 20時34分
(冬の聖女)
裏庭の風呂場の横で
薪を割る音がする
貴女は今 無念無想
丹田にこめられた力が
音になってここまで聞こえる
薪が割れる音の中に
貴女の無心が聞こえてくる
貴女を批評する者なぞ
どこにも居ない
頭と肩に雪が降り
冬の風が吹いているのに
髪を風にさらして
静かに貴女は薪を割る
眉が動くことさえ無く
山の中腹の
晴れた日はその山家に朝日があたる
静かに貴女は薪を割る
百舌はどこかへ行った
東の谷の底辺りは風の通り道
季節には季節の風が通って行く
今は冬の冷たい風が
日の射さぬ川辺を走り
鳥の声も聞こえなくて
人が行き交う様子も無い
思い出に残っているあの頃 子を連れて
戦争から帰った夫とともに
町へ発った若い早春の日は
もうすぐ山桜が開花しようと
風の冷たさが頬を射さなくなる頃
お山を見上げ サヨナラと呟いた
端緒はいつも不安と希望だが
生命力が貴女の意欲を後押しした
町の生活がはじまった
異なる土地は寄る辺無いはずの貴女に
若い血と若い筋肉が味方をしてくれた
大自然がいつも人間を慈しむように
立ち向かう意欲は貴女を支えた
優しいが無口な夫を
尊敬できるのが
貴女の心の武器にもなった
悩む子を愛することなど
貴女にとって自然なこと
睡眠不足も過労も
町の暮らしには
暗さを落とすことは無く
夫の稼ぎは蓄えにして
夜中までの針仕事の女の働きを誇った
町を挟む川の流れを見て
山の椎葉を返す風の動きを見て
時にはこころ緩め
生まれた村を懐かしみ
父を想い母を想い
婚家の支えになるべしと
世のならいに逆らわず
人々の平穏の日々を願いつつ
日々を送った懸命の若い貴女の
美しい業
世の中には
世界には
戦争が絶えないことを悼みながら
ベトナム戦争や
アフリカ諸国の内乱
近東の諍い紛争
アフガンの
緑の土地の戦争による瓦礫
遠い外国のことでも気にかかる
そんな貴女の針仕事の仕事小唄は
銃弾が飛んだ
胸を撃たれた娘の父は娘よりも幸せ
娘よりも先に死んだから
爆弾が落ちた
腹を裂かれた息子の母は子よりも幸せ
子よりも先に死んだから
遠い国には桜が咲いた
白い雨が降った
緑の風が吹いた
赤い紅葉が散った
冷たい雪が降った
空気にひびが入ったままで
胸を撃たれた娘は生きて泣く
腹を裂かれた子は生きて泣く
昔アフガンの国は
緑の多い麦の栽培に適した美しい国だったと聞いて
清い川の流れる
生まれた村を想い出しつつ悲しんだ
神の声だという黒い表紙の本には
天と地ははじめから在ったと
水の上に光が漂っていたらしい
そして「始め」というものが創られたとか
その「始め」のころは
かすかにただよっているらしきものが
あったとか
景色の中にか 網膜にか 視覚野にか
時刻はいつごろか
朝なのか夕刻なのか
真夜中のようでもあり
明るく暗く光らしきものが
あるようにも見えて
虚空にも無限の色が
たなびいているようで
崩れた形が動き止まらず
おぼろの彩光がゆらめき拡散し
やがて融けようとする
ゆらゆらとしか生き得ない
世界の有り様のようで
迷いとなって貴女の心を悩ませた
過度に振動する空気は漂う元素を凝縮させ
時間の中で
ガンマ線を発する霧と
なっているかも知れず
いろどられたひかりに逆らうように
暗くなろうと
悶える露のぷりずむ
失念も 喪失もない
非在の三和土に影はうつらず
声も音もふるさとも
記憶さえないからっぽの 巨大な隙間に
漂う彩光
「始め」の前はこのようであったろう
「始め」の後がこのようだもの
「始め」の後はこのようだから
真言が胸に湧き起こる
ぎゃぁてぎゃぁてはらぎゃぁて
はらそうぎゃぁてぼうじそわか
神よ神よと呼ばわる国々で
最も多くの血が流された
そのことを知り 悲しんだ
村のお寺の和尚さまは息災におわすや
子供の成長を見ながらも自分の身の衰えに
思い致すことも無く
ときに酒を呑む夫の姿を眺めて喜んだ
常ならず それらは今は昔のこと
時は飛ぶ
過ぎた時間の中のこと
父も母も夫も命の時を終え
続く人々の時代となって
それでも悲しいことは続く 戦争諍い殺人 迷妄無明
谷間の村道からこの故里の山家に登る時
脚の筋肉が想いださせる思い出の
幽かなくつろぎ
冬でも汗は額に浮き出る
坂道づたいの山道の暮らし
筋肉に頼る自分の身体がすべてのことの証明だと
静やかなうれしさを
知ったのはいつだったか想いださないが
はらそうぎゃぁてぇぼうじそわか
午後になると
小雪舞う中で薪を割る
明日も明後日も夜は明けるから
家の裏で薪を割る
貴女の薪を割る音が谷間に木魂する
薪を割る音が聞こえる
摩耶夫人のように薪を割る音
2011年10月19日 20時34分