詩・機械設計・森林蘇生・猫/POETRY/Machine design

杉山を自然林に戻したい。
黒っぽい杉山を見るたびに子供の頃見た青い自然林を想う。山のことのみならず生活ブログです。

浜田清次先生、村野四郎

2006年07月06日 06時57分55秒 | 文芸
ご挨拶

ブログは初めてです。
日記のつもりというよりも文章を書いて発表することに、なにか自分を奮い立たせてくれるものが有りそうな気がして。
言わば一人の同人誌のような位置付けで、立ち上げてみようかなんて。
読んでくださる人が居られるかどうか、よろしくお願いをいたします。
今日は2006年7月6日。

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ずっと昔、若い頃、文芸が好きだった。その頃中学生向けの月刊雑誌があって、文芸欄に投稿したところ入選したことがあった。小さな「おにバラ」という題の詩だった。記念になるという気持ちでその雑誌をずっと残しておいたのだったが、20歳を過ぎてから開いてみると、あの時の文芸欄の選者が村野四郎だったことを知って、とても驚いたことだった。雑誌はそのさらに12~3年後火災で家と共に焼けてしまって今は無い。
村野四郎全詩集は一昨年インターネットで古書店を探して、山口県の古本屋から買った。定価3500円のが6000円だった。みごとな装丁で、なんと詩人本人の署名入りだ。
村野四郎が亡くなったのは何年前だったか。ずっと若い頃、私のアイドルはビートルズではなく村野四郎だった。あの頃は新潮文庫から「村野四郎詩集」が出ていたが、今は絶版になっているようだ。

この頃になって浜田清次先生の「万葉集を読む」(上下2巻)を読んで、先生の講義を思い出しながら懐かしく、触発され、万葉集に関する本を何冊か買い込んで読み出した。「万葉集を読む」は10年ほど前の文化教室での先生の講義を、録音から文章に書き起こしたものだそうで、先生の語り口調がそのまま綴られていて、先生のお声まで思い出されて、青春の頃への連想が広がり、心が揉みほぐされるようだった。
あの頃は先生がこんなに素晴らしい万葉学者だったとは全く知らなかった。
先生はもう私を憶えては居られないだろう。お元気なら89歳か90歳になっておられる筈だ。
1989年に友達が送ってくれた新聞の切抜き記事に、先生が「壬申紀私注」(上下)で県文化賞を受賞されたということが載っていた。先生の「孝徳天皇私記」、「記紀万葉集の研究」は今年になってから読んだ。「壬申紀私注」も読もうと思う。図書館の貸し出しで読めるのだ。

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ブログは文芸に関することばかりではありません。
なにしろ生業は機械設計屋ですから。
7年前に病気をして、それが長引いて会社を辞めざるを得なくて、今は自分の法人を作り、一人の機械設計会社を営んでいます。
今年の夏は日本アルプスに行きたいと思っているのですが・・・。



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