今日たまたま見たSLのビデオ番組。
この季節になると毎年のようにテレビで見る、
津軽鉄道のストーブ列車の走る風景、
もちろん乗ったことは無いのですが、
客車にダルマストーブをつけて暖房とし、車窓から地吹雪の景色を眺めるノスタルジックな世界
凍てついた窓の列車が雪の中を走る姿には、
いまだにこころの芯が淡い水色にになるくらいうるるんうるるんしてしまいます。
あの静かで暖かい、でも足は冷たひ(笑)車内の雰囲気は、
やはり経験した人には忘れられないでしょう。
母の住んだ雪国に行けば、康成っな世界が実現すると思い、
自分の進路も将来ももそっちのけで雪国生活を夢見ていました。
しかし結局はそんな文学小説のような旅をしたのは、
結局19才のその時だけでしたね。(遠い目)
そのあとなぜか長じるにつれてベクトルは反転し、
夢にも思っていなかった沖縄石垣島にに住みたいと願うようになるのですが、
それはわたしにとって本当に精神的に良かったことでありまして、
そんな最果ての「ああ~海峡に雪が降る~」冬の暗い風景や、
故高倉健さんが10代から四半世紀にかけて好きだったあのころそのころ
太宰のような重い東北人気質に長期間なぜかどつぼにはまっていた
北国志向のわたしを見事にぶちこわしてしてくれましたから(笑)
石垣島の大自然に膝を屈し魂がただ泣けた。涙が自然と溢れて来る。
バスもほとんどない。パチンコ屋も見当たらない。我慢だらけの地味な生活を苦に思わない
なんくるないさー(なんとかなるさぁ)の人達の住んでいる場所なんだよねぇ。
職場も見つけ(八重山県立病院)土地も買いました・
子どもたちにそこで暮らそうと話をしたら、でかい雛たちは口をそろえて
「お母さん、あそこは遊びに行くところだよ。住むところでは無いよ」と言われ
断腸の思いで(笑)あきらめました。四半世紀前の話です。
うわっ。おっと。おお寒こ寒のお正月さんはすぐそこです。
この季節になると毎年のようにテレビで見る、
津軽鉄道のストーブ列車の走る風景、
もちろん乗ったことは無いのですが、
客車にダルマストーブをつけて暖房とし、車窓から地吹雪の景色を眺めるノスタルジックな世界
凍てついた窓の列車が雪の中を走る姿には、
いまだにこころの芯が淡い水色にになるくらいうるるんうるるんしてしまいます。
あの静かで暖かい、でも足は冷たひ(笑)車内の雰囲気は、
やはり経験した人には忘れられないでしょう。
母の住んだ雪国に行けば、康成っな世界が実現すると思い、
自分の進路も将来ももそっちのけで雪国生活を夢見ていました。
しかし結局はそんな文学小説のような旅をしたのは、
結局19才のその時だけでしたね。(遠い目)
そのあとなぜか長じるにつれてベクトルは反転し、
夢にも思っていなかった沖縄石垣島にに住みたいと願うようになるのですが、
それはわたしにとって本当に精神的に良かったことでありまして、
そんな最果ての「ああ~海峡に雪が降る~」冬の暗い風景や、
故高倉健さんが10代から四半世紀にかけて好きだったあのころそのころ
太宰のような重い東北人気質に長期間なぜかどつぼにはまっていた
北国志向のわたしを見事にぶちこわしてしてくれましたから(笑)
石垣島の大自然に膝を屈し魂がただ泣けた。涙が自然と溢れて来る。
バスもほとんどない。パチンコ屋も見当たらない。我慢だらけの地味な生活を苦に思わない
なんくるないさー(なんとかなるさぁ)の人達の住んでいる場所なんだよねぇ。
職場も見つけ(八重山県立病院)土地も買いました・
子どもたちにそこで暮らそうと話をしたら、でかい雛たちは口をそろえて
「お母さん、あそこは遊びに行くところだよ。住むところでは無いよ」と言われ
断腸の思いで(笑)あきらめました。四半世紀前の話です。
うわっ。おっと。おお寒こ寒のお正月さんはすぐそこです。