はんかくさいんでないかい。

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20140104 R/F #052「小出裕章ジャーナル」【東海再処理施設プルトニウム溶液等の調査報告について】

2014年01月04日 | 日記

20140104 R/F #052「小出裕章ジャーナル」【東海再処理施設プルトニウム溶液等の調査報告について】

実に薄気味悪い話。高濃度の放射性廃棄物は「ガラス固化」して地下に埋設するという話になっているわけだが、これはガラス固化される前の液体状の「再処理過程の物質」が、てんこ盛りに残っているという話だ。

ウラニウムの燃料は燃料棒の中に、ちょうど親指大の焼き固めたペレットが複数棒状にジルコニウム合金の長い棒に詰められ、それが何本か集まって燃料集合体としてまとめられている。原子炉にはその燃料集合体を何本も並べ、燃料棒の集合体それぞれのウラニウムから放出される中性子が玉突き状態で中性子線を相互に出し合って核分裂し、その最大の状態が臨界であり、その熱によって湯を沸かしタービンを回して発電する仕組みだと理解している。

その発電に使われた燃料は、元のウラニウムとは比べ物にならぬほどの放射線まみれの放射能、つまり放射性廃棄物となるわけだ。再処理はどうやらそれを「溶かし」て分離し、プルトニウムを取り出した後に、他の放射能を含んだ「溶液のカス」をガラスに溶かしこみ、固体化する方法だと言う。

ここで語られるのは、そうした処理の過程での困難さについてである。要するに満足にガラス固化が進まず、廃液となった高濃度放射性物質が処理されずに残っていて、その処理が真っ当にできないと大変な事になる、という話である。

生産したものの廃棄物の処理が上手く行かない。もちろん、そのガラス固化したものの最終処分地も決まっていない。地下埋設の試験などは北海道の幌別などの過疎地を選んで行なわれているのだが、その地質調査だってたかだか数十年程度の知見の上に成り立っているのだが、最終処分地の「保守・管理」は、十万年にも及ぶ時間が必要だという。十万年だと、日本列島はアジア大陸の一部だったとされているのだ。現在の地形や地下状態が永続的に保たれるという保証が、多重のプレート境界面にある日本列島で賄えるわけがない。過疎地での保存などは「管理なんぞはしない」と暗に言っているのと同じだ。つまり、そうした土地は、何かがあれば事実上廃棄され、そこに住んでいる人も棄民とされる、ということだ。

比較的汚染の度合いが低く、半減期が短いセシウムなどの廃棄物だって、人間への影響が極限と思えるほど低下するのに三百年もかかるという。三百年前は忠臣蔵の時代だという。三百年後が分からない。見通しが付かない。

十万年などの単位となると、もはや人間が現在の人間と同じ形質を持ち、同じ文化を持っているかも分からない。国家などが存続しているかも不明だ。オンカロでの核物質の廃棄を考えているフィンランドだって、埋設している放射性物質が「危険物」であることを未来の人々に示す方法を模索している。言語だって通じないという前提があるわけだ。

我々が古文として理解している日本語も、今の日本語とは全く違う。発音だって違うという。例えば「母上」は「ファファウエ」と発声していたと思われている。江戸時代の話し言葉が聞き取れるか、書かれていることが即座にわかるか、ということである。平安時代などの言葉など、例えば源氏物語だって「現代語訳」が必要なのだ。それがたかだか千年前である。

ガラス固化についても、その安全性や安定性が問われている。窓ガラスでも古い建物の窓ガラスは脆い。それは、戸外に向いている事によって風雨に刺さされているからだけではなく、放射線扱いはされないが、放射線同様にぶつかった相手の分子に対して電離作用を引き起こす紫外線が当たるからだ。紫外線でガラスが劣化するならば、固化したガラス内に含まれる放射性物質の発する放射線がガラスを劣化しないわけがない。十万年も持つような物体としての物性があるとは到底思えないのである。人間が作ったもので十万年も保っているものは、実は世界には存在しない。ピラミッドだって材料は切り出した自然石である。それですら風化する。材料の劣化はスフィンクスの姿を見れば明らかだ。それですら、一万年も経ていないのである。