はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

不明の電話

2014年01月16日 | 日記

正体不明の電話が留守電に入っている。どうやら、こちらの留守電自動応答に対して、先方も自動発信アンケート電話のようだ。会社名を聞き取れないように言って、保険のアンケートなどと言う。留守電だから当然時間が経つと切れる。それでも話続けている状態なので、これは相手は人間ではない、という事が容易に分かる。電話番号は 0363284187である。

当該電話の電話番号が電話機に残されている。発信者番号を非通知の電話は、そもそも着信拒否しているから、相手は電話癌号を当方の電話機に残すことになる。というわけで、その電話番号をぐぐってみた。評判が著しく悪い。以下電話番号データベースからの引用である。


固定電話 2013/09/21 サミットネットスーパー会員に電話してるようです留守番電話に長々とお得情報が自動で流れます翌日 掛けなおしたらガイダンスが流れ「このような案内を希 望されない方は1♯を・・」と流れ 押しましたサミットに連絡してこの件を聞きましたら 濁しながらも「他社に頼んで配信しました」とのことみなさん サ ミットは顧客の個人情報を流してますよ!
2013年9月25日 12:35 - ななしの電話番号さん
 
ランドエスケープ 
住宅ローンアンケートと言って、勝手に女性の声で話していた。自動再生テープでした。
2011年12月19日 13:24 - ななしの電話番号さん
 
ランドエスケープ 様々な起業の情報が何とかと
テープが流れたが コストコでは無い
2011年7月9日 17:16 - ななしの電話番号さん
 
コストコでしたね。音声メッセージの留守電入っていました。
2011年5月14日 10:27 - ななしの電話番号さん
 
私のところにも5月12日の19:30、13日の18:30ころにかかってきました。出れなかったのでかけ直したのですが、つながりませんでした。
2011年5月13日 19:03 - ななしの電話番号さん
 
何も流れません。無言でがちゃ切りでした。
2011年5月13日 17:06 - ななしの電話番号さん
 
ウチにもかかってきました。
留守録に『コストコ幕張』とあったので、コストコのHPを見たら改修工事に伴う会員期限延長のお知らせをしていたようです。
自動音声でしたが、コストコからの正規の連絡だったようです。
2011年5月13日 16:43 - ななしの電話番号さん
 
コストコの会員期間2か月延長の音声案内電話でした。
2011年5月13日 16:14 - ななしの電話番号さん
 
コストコの自動更新の案内では?
いくつか店舗が休業している間、自動的に会員有効期限が延長されるっていう話では?
2011年5月13日 12:29 - ななしの電話番号さん
 
2011/5/12 12:04,2011/5/1312:08
かかってきたけど、出ませんでした。
怪しい感じですね。
2011年5月13日 12:13 - ななしの電話番号さん
 
2011年5月12日10:49、5月13日10:59に着信。でなかったのですが、皆様のログを拝見すると、怪しい電話ですね。
2011年5月13日 11:09 - ななしの電話番号さん
 
12日夕方に、音声電話で…勝手に流れて切れました
2011年5月13日 01:10 - ななしの電話番号さん
 
「皆様の会員有効期限2ヶ月分を自動的に延長しております。ご迷惑をおかけしますがご理解の程よろしく申し上げます」という自動音声が再生されました。
2011年5月13日 00:30 - ななしの電話番号さん
 
音声電話ですすぐ切れました
2011年5月12日 18:45 - ななしの電話番号さん

コストコだろうと何であろうと、どうやらこの番号が明らかに「怪しい」ところで「怪しい」人達に使いまわされている「怪しい番号」だという事がわかる。
 
この番号は、当然着信拒否していしました。

田舎の話

2014年01月16日 | 日記

田舎が北海道の山奥である。天塩川という川の水源から中流域にかけて扇状地が広がっていて、その盆地にあるわけだが、無論天塩川という河川の水源のある天塩岳の一部地域も、今は平成の大合併で同じ市になっている。

合併した旧朝日町は天塩岳という山の麓に広がり、かっては士別市の一部であったのだが、その後町として独立した。林業が主な産業で、昭和の初期からは、山林から切り出した木材を士別市の国鉄駅まで運ぶ軽便鉄道なども走っていた。オレは鉄道が走っている記憶は無いのだが、オレが小学生の頃までは、その路線を道路として作り替えた道がバス通路となっていて、軽便鉄道の線路なども残っていた。

朝日町からは札幌オリンピックのノルディック複合の選手も出ていて。札幌オリンピックではジャンプでは上位だったが、後半のクロスカントリーで大敗し、残念な事にメダルをのがした、などということもあった。

朝日三望台シャンツェ

国内大会ではそれなりの大会も開けるジャンプ台もある。隣の市である名寄市にあるピヤシリシャンツェほどの大きさは無いのだが、小学生などが冬になるとポンポンと飛ぶジャンプ台だ。

ピヤシリシャンツェ

真冬には氷点下30度になる事もある。小学生の頃には、氷点下30度を下回る気温だと、学校が休校となった。氷点下25度から30度の間は学校の始業が1時間遅れとなる。

これほど寒いと二重窓の戸外側の窓ガラスに室内の湿度が氷となって張り付く。その張り付いた氷の模様で、だいたい氷点下20度、25度、30度以下が判別できる。外気温の低下状態によって、凍りついた水分の氷結時間の違いからか、模様が違うのである。

現在は、高橋尚子が小出監督に入部を直訴した土地として知られている。夏ともなると、日本各地の実業団や大学などの長距離陸上選手が合宿に訪れる。陸上の町となっている。ただ、少子化である。高齢化もすすんでいる。私の妹は50歳を過ぎているのだが、未だに「若い人」と言われているらしい。

当然のように若い人のための施設などは少ない。普通高校と商業高校があったのだが、今はこの高校も統合されていて、オレが卒業したはずの高校は「過去のもの」となっている。オレの甥っ子が最後の卒業生に近いのか。オレが通った事もない校舎は、すでに学校の建物ととしては利用されていない。

冬場にはスキーなどが小中高と体育の授業であったわけだが、その当時に使われていたスキー場も、今はスキー場としては使われていないらしい。

そうした様変わりはあるわけだが、とりわけ変わったのが町の産業だろう。羊の種類に顔が黒いサフォーク種というものがいて、どうやらその羊が町の特産になっているようなのだ。

正直に言おう。オレがジンギスカンというモノを初めて食したのは、多分小学生の高学年になってからだ。オレの父親が肉嫌いであって、カレーライスなども滅多に食せなかったのである。肉の類を家族が食べている脇で、箱入りのウニをご飯のともにしていた父親の姿を思い出す。

オレはウニが苦手である。幼い頃、頭に石をぶつけられ、頭から大量に出血した事があった。その問のちの匂いと味が、実はウニの味と同じに感じるのである。そんなわけで、オレはウニを旨いと思った事が無い。

まぁ、それはともあれ、地方の疲弊は実にすごく、オレの従兄弟が務めていた地元のスーパーは経営が破綻し、より大きな資本のスーパーに九州されてしまった。従兄弟は母方の農家の跡継ぎだったのだが、農業を来たった結果、叔父が継いでいた農家も廃業した。当然、母親の実家の建物も無くなる。家の前に二本大きな杉が立っていた、本州の農家のような古い作りの家を、北海道ように改築しながら使っていた。覚えている限りは、大きな土間があったことは覚えている。その後そこに床が敷き詰められ居間としてつかわれたのだが、土間だった頃には大量の雛などを飼育していた。犬も猫も馬も飼っていて、確か納屋の奥には羊もいた。覚えている限り、そこで最初に記憶にある犬はアイヌ犬である。最後の犬は、芝犬系の雑種だったと思う。代替わりはしているのだが、すべての犬と、オレは即座に仲良くなれた。今でもたいていの犬とは仲良くなれる。

こんな風にグダグダとちょっと田舎について思ったこと、思い出したことを書き綴ってみる。