Pete Seeger - We shall overcome
このピート・シーガーという名前を知ったのは、中学生の頃か。高校に入って、自宅に放置してあったボロボロのガットギターを弾き始めた頃には、もうすでにこの人の名前や曲は知っていて、ベトナム反戦と公民権運動などが未だに跡を引いている時代だった。
FacebookのH氏の記述から訃報を知る。オレはフォークも好きだったのだが、本当は子供の頃に衝撃を受けたリトル・ウィリー・ジョンの歌う「フィーバー」のような曲の方が好きだったわけで、いや、ピート・シーガーやブラザーズ・フォーやキングストン・トリオやピータ・ポール&マリーや、ジョーン・バエズも知っていたし、もちろんボブ・ディランも知っていたけれども、むしろ、ピート・シーガーやジョーン・バエズ、ボブ・ディランが関わった公民権運動の方に、音楽以上に関心が高まった。
新宿西口広場は現在は西口通路となっているが、当時はあそこで反戦フォーク集会などがあったことも、経験はしていないが知っている。
オレは反戦にも賛同はしていたが、むしろ米国で平然と当時行なわれていた人種差別に対する怒りの方が強く、反戦曲の代表である「花はどこにいった」よりも、公民権運動の象徴曲としてのこの曲の方が好きだ。この曲の歌詞と、マーチン・ルーサー・キングの「I have a dream」が見事に連なる。
米国の人種差別の実態について学んだのは、猿谷要氏の書籍だ。人種差別や人種的偏見は、世界には確実に存在する。しかし、それを超克する事でこそ、世界がひとつとなるのだ、という、実はその理想を掲げる事が、多くの現実の利権を損なう。奴隷制度の存続があって、南部のプランテーションの多くは成立していたし、奴隷制度が建前として無くなった後ですら、差別によって成立していたわけだ。等しく権利を分け与えることは、それまでの経済基盤などを根底から揺るがす事である。
こうした人種の対立や、移民などの問題を包含しつつ、国家を維持してきたのは、こうした公民権運動やベトナム反戦運動に伴う兵役忌避などの事態が、「国家と個人」との対峙という形で表面化され、その対峙の状態をメディアが可能な限り「国民の側」に立って報じた結果としてあったためである。この曲は、いわばその象徴であり、ある勝利を得たという結実点でもある。
多様な民族が混在する社会では、例えば星条旗に集わなければ国家そのものが瓦解する。そのための国旗であるのだ。むしろ日本が単一民族国家だと称するならば、国旗や国歌などは不要なのである。国家を象徴するものは国民そのものだからだ。日本では、こうした「国家と国民」の対立がある際、メディアは国家に加担する。政治家個人を攻撃しても、政府そのものの在り方を論じるのは、メディアではなく、メディアに委託された評論家や学識経験者と言われるメディア部外者に丸投げする。メディアが自分達の存在を賭して政府に対し、国民の立場から対峙するという姿は皆無だ。原発報道などは、その実例であるし、その姿勢はいよいよ強まり大勢翼賛の風は吹き荒れてきた。
この時期にピート・シーガーの訃報である。彼の成してきた事は、この国では検証も継承もされずにいる。今、日本は貧困率が上昇し、餓死する人まで毎年のように出現する国となっている。貧困は世代を跨ぎ継承され、連鎖し続けている。その貧困の連鎖の中で、本来は手を携えなければならない在日外国人に対して、立場の弱い人間が、より立場の弱いものイジメである差別的言辞の流布を平然と行い、政治家の中にはそれを称揚し、自らの貧しさを自覚する国民が増える事を抑えようとする手合まで登場している。貧困が生み出す暗愚が、世相を覆い尽くしている。
オレたちは、その愚昧で低劣な立ち位置から抜け出し、実は手を携えて差別される人たちと連帯し、戦い続けなければならないのだ。敵は、差別を扇動し、実際には何も与えずに、自己満足の優越感にだけ浸る事を推し進める「人々を暗愚の底に追いやろうとする狡猾な手合」である事をわすれてはいけない。