はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

後藤政志より 2013年を振り返って 原子力の問題

2014年01月10日 | 日記

後藤政志より 2013年を振り返って 原子力の問題

この動画の中で後藤さんが示す問題点は、現実に「どう対応するか」という問題がある。山積みとなっている問題の、有効な「解」が見つかっていないという話にしか見えない。福島第一事故以外にも核関連問題は存在続けているし、些細と思われる事故も起きている。それが些細な段階で今後も留まるかどうかは、誰も確約できない。

世界の叡智を結集しなくてはならない。が、それでも「解」が見つかるとは言えない。

少なくとも「解」が無いものを「実用」することの危険性は、福島第一原発事故で十分に解ったはずだ。いや、本当はスリーマイル島の事故でも、チェルノブイリ事故でも、事故が「自分の事」として考えねばならなかったのに、対岸の火事のように扱ってしまった。

事故は起きないというのは、単なる過信でしかなかった。自動車の運転だって誰も事故を起こそうとは考えない。考えないのだが事故は起きる。十分に注意しても、他者の不注意での事故は起きる。精密な機器ならば、部品のひとつが規格外の状態で、正しく備え付けられないだけでも、全体的な故障の発生に繋がる。

基本的に技術というものはトライ&エラーで向上する。そうしたエラーの繰り返しによって、故障の程度を減らすための部品同士の設置方法、距離などがわかり、取り扱い方法も分かる。ところが、原発はエラーが許されない技術である。エラーが放射能という極めて危険な害毒の汚染に直結するからだ。したがって、エラーが生じない前提の既存の安定した技術が基本となって作られる。しかし、原発の発するエネルギーは、人間がかって使ったことの無いほどのレベルのものだ。部材の劣化などについても、シミュレーションでしか確認できない。

シミュレーションは、与えられたパラメーターによって結果が変わる。自然界が実際に表す状況は、時としてシミュレーションの範囲を超えた「力」を生じさせる。東日本大震災の起きた姿は、多くの地震学者の想定範囲を超えたものだった。

つまり、我々の知見などは、たかが知れていて、そのたかが知れた知見に基づくシミュレーションは、実際に起きる事象の範囲を大きく変えている。そうした知への謙虚さが失われている事そのものが、我々自身に振りかかる災厄を生み出す。


mobile版:小出裕章さん熊谷講演会 2013.12.22.

2014年01月10日 | 日記

mobile版:小出裕章さん熊谷講演会 2013.12.22.

群馬県の熊谷には、立正大学という大学のキャンパスがある。その大学に知り合いが通っていて、学祭に即席バンドで参加した事がある。ベースを弾き、ドラムスは知り合いの若者、ギターはなんんとウェストロード・ブルースバンドのドラムを叩いていた松本さんであった。もちろん、遊びのセッションで、人前の演奏というレベルでは無い。

雨の日で、演奏した場所に直接は雨は当たっていないのだが、そうした思い出がある場所での小出さんの講演会の様子。

未だ野田佳彦という何も考えぬ総理大臣が首班だった頃の政府が出した収束宣言などとは程遠い現状を語る。収束どころか、被曝労働による作業員の不足が深刻化しているのではないか。

この東電福島第一原発事故に際して、日本の官憲が捜査に入ったという情報が無い事に、まず驚く。昨今のJR北海道の脱線に端を発する情報偽装問題でも、事故の第一段階では警察が、次いで国土交通省の管理チームが捜査に入り、証拠を保全したのである。だからこそ、情報の偽装などの問題も浮かび上がっている。

ところが、東電のこの事故はどうだ。あの事故以降、官憲が捜査しに東電本店に入ったというニュース、報道があっただろうか。あの証拠保全のために大量の書類などをダンボールに詰め持ち帰る捜査員の姿を見た人はいただろうか。

なんか変だよなぁと思わないとしたら、逆に不思議に思う。まるで東京電力は治外法権のように見える。どう考えても筋が通らない。事故収束作業を任せられるのが東電だけだったとしても、それとは全然捜査は別だろう。政府によるこれは指揮権発動なのか。

あまつさえ、東京電力は、原発事故収束作業元請けの関連会社各社に、作業員の日当のピンはね要請まで行っているのだ。事故の責任を放棄するようなこの姿が、日本を代表する電力会社だという。開いた口が塞がらない。唖然呆然である。ピンはね指示書ではないか。

法は順守せず、マトモに収束作業員への給与も払わず、原子炉内から放出された放射能を「無私物」だという。では、現在東電の管理している原発の燃料プールに残っている使用済み燃料も無私物なのか。核燃料サイクルという妄想の世界で、帳簿上は資産計上しているではないか。資産計上しているものが、炉内から外部に放出された瞬間に無私物となる。オレ、頭が悪いせいか、このロジックが全然理解できない。使用済み燃料はすべて無私物というのならば話は理解できるのだが、それならば資産計上はできない。

この法の抜け穴探しばかりをしているような、コス辛いセコイ企業が、日本を代表する企業だという。つまり、この日本の企業の、遵法精神の低廉なレベルが示されたという事だ。


David T. Walker - Soul Food Cafe (Live) [Official Video](+ 再生リスト)

2014年01月10日 | 日記

David T. Walker - Soul Food Cafe (Live) [Official Video](+ 再生リスト)

アルバムPress Onを聞いてから、その音色とフレーズと表現にゾッコンになってしまったギタリストである。オレの済む札幌でのコンサートも間近である。今からワクワクしているのだ。

YouTubeはとてつもなく楽しい物を用意してくれる時があるのだが、このライブの動画も再生リストもそうだ。

もちろん、YouTubeでは悲しい悲惨な動画もあって、そうした物を見ることも多いのだ。世の中は楽しい事ばかりではない。でもね、楽しい物があるときは、精一杯楽しまなければ。


20140103 報道するラジオ「沖縄から見る2014年」

2014年01月10日 | 日記

20140103 報道するラジオ「沖縄から見る2014年」

沖縄問題って、基本的に返還されたのは名目だけで、実態としては米国の信託統治が続いているという現況を示しているんだろうと思う。

その基本は基地問題と、それに付随する日米地位協定の問題だ。司法権が米兵にはほとんど及ばない。その基本的な問題点は、国連などからも指摘されている日本の刑事司法の後進性にあるのではないか。

例えば欧米では、警察や検察の取り調べは最低でも完全録音、米国では完全録画が必須となるし、逮捕されようと任意であろうと、取り調べには弁護士の立会が必要となる。それが日本は、閉鎖された空間で、取調官の都合によって任意に取り調べが行なわれ、それがまったく録画や録音されないなど、常に官憲優位の形であるためだ。

刑事訴訟法や刑法などの欧米的改正が為されない限り、日米地位協定で問題となる日本の司法権の制限は続く。

驚くことに、日本の多くの人が、こうした日本の司法制度の後進性を理解していない。罪刑法定主義による裁判では、有罪が「確定」する前は、無罪として扱う「推定無罪」が前提なのであるが、日本のメディアは警察による「逮捕」だけで、犯人と断定して報じる。これがもうすでにメディアの大勢翼賛加担なのだが、多くのニュースに接する庶民は、逮捕=犯人=有罪と短絡する。

そこには「警察や検察がそんな無茶をして冤罪を生み出すわけがない」という、国民全体の国の施策に対する「鵜呑み」があるわけだ。この「国は誤らない」と信じている国民の割合は、先進国や発展途上国などを含め、この調査が許された国の中では傑出して高いらしい。つまり、鵜呑み度世界一なのだ。

ここで指摘されている仲井真沖縄県知事の発言の裏付けが無い状態は、まさに国を代表する総理への信頼という名の「鵜呑み」が成し得たものなのだろう。同時に、ここで語られているように、このままだと普天間基地は永続だ、という脅しに屈したという面も多い。

しかし、政治家が選挙の時に語る「公約」が、どれほど守られているのか。TPP反対を唱えながら、現政権の中で立場を保持したいために変節するという政治家ばかりではないか。

仲井真の変節もまた、今期が最期である知事の、晩節を汚したくないという、多分に個人的な思いいよる妥協の産物なのだろう。ほとんど本会議で寝ているだけだった、原健三郎のような、もう長寿で銅像を建ててもらいたいと言う「在職50年」だけを目的とした、事実上役に立たない人もいる。

仲井真の屁理屈は、普天間基地を辺野古に移したい現政権にとっては、実に都合が良い。中央に屈するために言を左右に総理大臣の発言を都合よく解釈した屁理屈太政大臣として、この間の変節は、結果として晩節を汚す事になるのだろう。