先日、このブログでVineLinux上のFirefoxでのYoonoという拡張機能の追加設定の解らなさについて書いたら、本日「探検バクモン」というNHKの番組で、大久保を中心に東京で住む外国人が集まり、議論があった。
ここでは、夫々の国の風習からの常識の違いが語られる。ある国では「舌打ち」をすることが、親愛の情を示すことだという。その国で友達を作るためには、「舌打ち」を頻繁にしなければならない。常識そのものが違うのだ。
日本人は子供を可愛がるときに、子供の頭を撫でる。これが「良い子良い子」の合図であり、世界のどこでも通用すると思っている。ところがタイでは絶対厳禁である。子供の頭は神様が宿る神聖な部分であるから、軽々しく触れてはイケナイのだ。つまり、日本人が「可愛い」と思ってタイの子供の頭を撫でたりすると、それはもうタイの常識では子供を殴っている極悪人と同じ行為として見られるのである。
相互理解というのは、この常識の突き合わせが行なわれ、ともに同じ土俵で考えることが出来なければ、容易にできるものではない。
北海道ではインドネシアなどからの新千歳空港直行便などを希望している。ところが、インドネシアはイスラームの国である。イスラームの国では豚肉は厳禁であり、豚肉が触れた俎板や包丁なども、洗ったとしても使ってはいけない。そうしたイスラーム法に基づく認定機関が国際的にあって、その機関が認定した店、材料、調理方法などでなければ、食べることができないのである。
机の足以外は何でも食べると言われる中国からの観光客が、日中関係の冷え込みで落ち込んでいる中で、インドネシアなどのイスラーム国、あるいはタイやベトナム、マレーシア、シンガポールなどの観光客誘致も行なわれるが、すべてが日本式の「お・も・て・な・し」で済むわけではない。準備不足の部分も多々あるし、その準備不足の中には、やってくる観光客と日本人との常識の違いによる軋轢が生じた場合なども考えねばならない。
数年前までの札幌雪まつりには、中国本土からの観光客と思える人たちが、日本人では考えられないほどの大声で、仲間内で話をしていたのを見ている。日本人なら「わー、すごい」程度で終わる感想なのだろうが、集団の中国人が各々延々と大声で、相手の言葉を聞いているとは思えないほどの声量で、延々と語り続ける姿がを、何人も何箇所でも見かけた。同じ日本人なら「静かにしろ」とか「やかましい」と言いたくなるのだが、でもね、それが中国人の観光文化。
多くの日本人が不快に思うから、少し静かに見てくれ、というパンフレットの用意もないし、そうしたガイドブックなどもようやく最近は中国側で出てきたようで、かっての日本のノーキョーが、世界を席巻し、各地で顰蹙を買ったように、今や成金とかした中国人観光客は顰蹙を買うことが多いようだ。
それが消しからぬと言っているのではない。それが違いであるし、独自の文化的背景から生まれた常識なのだ。それぞれの常識は、拠って立つ文化によって形作られる。そうした「違うのだ」という前提が、迎える側になければ、観光なんてぇものは、事業そのものが成立しなくなる、ということなのである。