はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

高梨沙羅の弱点を見た

2014年01月27日 | 日記

スキージャンプ女子のワールドカップ・クロアチア大会で高梨沙羅が連続二位に敗戦する。クロアチアのジャンプ台はノーマルヒルジャンプ台なのだが、助走速度が多くの選手が90Km/hとなる「滑る」台である。その助走速度への対応に苦心していたようなのだ。

宮の森で行なわれたワールドカップでは、助走速度が85km/h前後だった。低速であるが故に、空中姿勢が素晴らしい高梨が飛びすぎと思えるほどのジャンプを披露したわけだが、クロアチアのような高速助走路のジャンプ台では、技術以上に体力がモノを言ったわけだ。勝利した選手は、二戦ともダニエラ・イラシュコが勝利する。ベテランで飛び出し時に力を発揮するパワータイプの大柄なイラシュコに比べ、踏み切りのタイミングと空中姿勢で飛距離を伸ばす高梨には、ジャンプ台も合わなかったという事だろう。助走速度が遅くても、おなじような距離を飛べる高梨と、助走速度がそのまま飛距離に直結する選手との差なのだろう。

特に、日本のジャンプ台は比較的助走速度が抑えられるため、踏切のタイミングがまったく違ってくる。半足の踏切の差が、大きな差となるだけの助走速度が与えられるわけだ。

むしろ、コーチが助走距離を短くするリクエストを出した方が、高梨には良かったのかも知れない。飛ぶ技術という点では、高梨は卓越っしている。卓越した技術で飛ぶだけに、あまりに良好すぎる状態での大会、特に技術的にはまだまだだが、パワーと体格で飛ぶ選手が有利となる助走速度が速すぎるジャンプ台は、明らかに高梨には不利になる。

この速度の違いが、踏切タイミングの微妙な差を生む。タイミングの良さと空中姿勢の素晴らしさで距離を伸ばす技術系選手は、どうしても助走の踏切速度が高まれば高まるほど、踏切タイミングのズレが出てしまう。

雪が少ないため、クロアチア大会は予定のジャンプ台ではできなかった。直前で変更されたわけで、常にベストのジャンプを行なうタイミングの習得時間が高梨には足りなかったのだろう。地元のクロアチアのランクが低い選手が上位に入っている事からも、技術の問題以上に、ジャンプ台に高梨がアジャスト出来なかったのが、この二戦連続の敗戦(とは言っても二位であり、ランキングは未だにトップなのだが)につながったのだろう。ソチの台は経験済みであるから、気持ちを切り替えて、次週の試合も、そしてオリンピックでも良い結果が出ると信じている。弱点とは言っても、慣れることで克服できるものだ。

敗戦の連続で高梨の顔からは笑顔が消えていたのだが、もう台が合わなかっただけ、と切り替えて今後の試合もオリンピックへの挑んで欲しいものだ。頑張らなくて良い。ベストを尽くせば結果は自ずと付いてくる。大丈夫大丈夫。


武田教授 資源エネルギー庁の無計画を、資源エネルギー庁の報告書から知る

2014年01月27日 | 日記

武田教授 資源エネルギー庁の無計画を、資源エネルギー庁の報告書から知る

タレント教授として著名な中部大学の武田教授。ここで紹介している内容は、指摘している事柄を含め、正鵠を射る。

ココで紹介される資源エネルギー庁の原発コストは、1kWあたり11円だという。石炭火力でCO2税を抜くと8円。デタラメである。

原子力発電所を作るときに、電力会社は申請をする。その申請書には「発電単価」を「予価」として記する部分があるという。ところが、その申請書は公開されず、経産省の「試算」やら、この資源エネルギー庁の計算による価格が「正解」として流布されている。

立命館大学の大島教授は、公開されている有価証券報告書総覧から原発のコストを独自に計算した。その結果は経産省の価格とは大きな乖離があったわけである。ここで嘘を記述すると証券に対する虚偽が記載されているとして刑事罰が与えられるわけだから、ここだけは正直に書かねばならない。

この原発が止まると電気料金が高くなる、というのは、正しい情報とは言えない。原価計算からは少なくとも公開情報からは、そうした嘘が嘘であることが証明されている。これこそ、風説の流布であり、風説の流布によって不当な電力料金の値上げを申請している電力会社の、経営とは名ばかりのお飾り経営者のオツムの出来具合であり、それを指摘できないメディアのボンクラさのテイタラクである。


喫煙者は減っているのに肺がんは増えている

2014年01月27日 | 日記

もはやトンデモ科学者としか見られておらず、テレビ番組には「おもしろ科学者」として扱われている武田邦彦氏ではあるが、疫学的統計からも「タバコを数と癌になる」というのは、単なる出任せだという説を述べている。

実際に日本の喫煙者数は減少しているのだが、肺がんによる死者の率は、上がっている。がん情報サービスの統計に拠ると、嫌煙運動が始まって以降、喫煙者の数は減っているのに、肺がんでの死亡率は変わらない。

元々、嫌煙運動は米国から始まっている。オクタン価の高いガソリンを大量に使うモータリゼーションの世界では、肺がんの増加の原因を誰かに求めなければならなかったのだが、排気ガスが原因だという話になると、自動車産業が瓦解しかねない。むしろ、それよりも弱い産業であるタバコ産業に矛先を向け、肺がんの発生が多発している犯人としたのではないか。

がんの発生率は、がん患者の中だけの統計ではなく、がんが発生していない人も含めた疫学的調査が必須なのであるが、どうやらこの喫煙が肺がんの原因だというのは、肺がん患者に喫煙者が多かったというだけで決めつけられていたような塩梅である。喫煙者で肺がんになっていない人の割合を調べた疫学的調査ではないようだ。塩分を沢山取り過ぎたから胃がんになった、胃がん患者に言っているのと同じで、同じように塩分を取りすぎても胃がんにならぬ人もいる。その割合はどの程度か、実は誤差の範囲での統計的調査しか無い。それは喫煙と肺がんも同じではないか。

嫌煙・分煙が行き渡っていて、非喫煙者も増えているのに、肺がんの発生率や発生数、肺がんによる死者数の統計が、ほとんど変わらぬ数値で在り続けるのは、まるで反則金が増えたのに、交通違反が減らないために違反金の増加が予算として計上されている警察予算のような話ではないか。

どうにも「始めに結論ありき」という話が、この世の中、多すぎやしませんか?それを不思議と思わないほど飼いならされているのは、どうしてなんでしょうねぇ。