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書道 直庵(筆耕所)

再生の旅 第七話<熊野本宮大社>

七月二十四日 眩しき光の射し込むに午前五時に目覚めぬ
湯の峯温泉は快晴の朝なり
六時三十分 宿の湯に体をゆるりと浸し まろき味の湯をいただきぬ
湯の峯は健自偉氏の言葉をお借りすれば
まさに「湯飲みねぇ」なるとこそおもへれ
七時に朝食をいただきぬ
温泉粥のむまさに舌鼓を打ち 温泉卵のぽよんとしたる舌ざはりに舌を巻き
赤だしの味噌汁の味 体に沁みれば
八時に宿を発ちて熊野本宮大社に向かへり
山道を登り行きて国道百六十八号線を熊野川に沿ひて走り行けば
大鳥居の見へてきたる
八時三十分 鳥居脇の駐車場に車を停めれば
先に停めたる水戸ナンバーの車あり
をを
この旅にて初めて見る水戸ナンバーなり
なぜか とても ほふとするものあるもをかし

鳥居下にて一礼すれば
奉納されし熊野大権現の幟の数多はためく参道に歩をすすめたり
正面に社殿の御門あり
菊花の御紋の二つの予をぢっと見つめてゐたるが如く見ゆるも尊し
嗚呼
両脇に掛けられし幕の文字に惹きつけられる予なりき



人生の出発の地
甦る日本の心

をを
まさに此の旅の主題そのものなれば
感極むものあり

再生の旅の背を押す垂れ幕の文字を見つめるじっと見つめる  丹人

門をくぐりて社殿地に入れば
清浄なる世界なり
天より燦々と注ぐ陽光が中を
渋き地の色に統一されたる社殿のたたづまひの重々しさに
心打たれたり



参拝を終へれば大斎原(おおゆのはら)に向かへる
大斎原は是 熊野川の中州にありて創建以来本宮大社の祀られゐたりし聖地なり
明治二十二年 大洪水にて被害あれば
明治二十四年 流出を免れた上四社を現在ある高台に御遷座なされたるとふ

田中の道を歩み行けば我が國最大とふ大鳥居の稲穂の奥に見へてきたる



稲の穂に夏の光の大鳥居 奮太

参道を歩み行けば大鳥居の威容いよいよ増してきたりぬ



大鳥居中央に八咫烏(やたがらす)の金色に光放ちたり
八咫烏は是 熊野権現の使いにして三本足の烏なり
日本蹴球協会の象徴印として馴染みあるもゆかし

いよいよ聖地なる大斎原に入り行けり
鬱蒼とした木立の中に一段高き社殿跡ありて草のみどりのいと美しき
中央に石祠の二つありぬ
是 明治の洪水にて流出した中四社・下四社を右の石祠に
同じくして流出したる境内摂末社を左の石祠に祀りたるときけり

祠奥に薊の花の一輪にてふの一羽のたはむれゐて陽光を浴びつつ笑むを見る



かつて祈る人あまたなる斎原の草木深く咲くあざみ花 丹人

静かに拝礼を済ませれば もと来た道を戻り行けり 
駐車場に着けば時午前十時となりにけり

*後に気付くも 予 大斎原に置きてきたる二つの品あり
 一つは帽子なり また一つは本宮社務所にて求めたる本宮縁起なり
 いと心残りあるも 是もまた熊野大権現様の思し召しならんとおもへば
 心安らかなるもうれし



画像一:熊野本宮大社鳥居の熊野大権現額 
画像二:社殿入口門
画像三:社殿
画像四:稲穂と大斎原の大鳥居
画像五:大鳥居の八咫烏
画像六:大斎原の石祠前に咲く薊 2007.7.24 撮影
            
↑現在40位前後なり↑現在茨城1位なり
毎日一打頂戴すれば有難きかな 宜敷願上奉候

コメント一覧

あかひと
善人氏
お晩に御座る
さても
宿を決めんとて
案内誌をめくるに
川湯にする哉・・・
湯の峯にする哉・・・
と迷ふも
今次は湯の峯にしたれり

いま氏より川湯の紹介あれば
をを さなる哉 と心に残るものあり

またの参拝の機のあれば
必ずや川湯へ
と心に大切に仕舞ひ置くこととしたれり

いと有難し

あかひと
幽黙氏
お晩に御座る
氏の味はひ深き湖面渡を
かみしめつつ拝読したる
いと有難し
上二段にて記されし事柄は
予も全く同感なり
第三段に記されたる事柄は
予の新たなる発見多くして
をを・・・
まさに・・・
むべなるかな・・・
と頷きつつ読み入りたる
鬼と神の一体なることにも
感慨の深くして
我々もまた
心に鬼と神の二つを持ちたることに
おもひを馳せたる

氏の言葉より
熊野の神々の
我が身に一層近きものに感ずるもうれし 
有難し
あかひと
健自偉氏
お晩に御座る
いただきたる湖面渡を
じっくりと拝読させて頂きぬ
嗚呼
氏の世界の広さよ
知識の深さよ
あらためて
あかひとは是 何も知らぬ輩なるを
恥じ入りたる
ご教授に心より御礼申し上げる次第に候

また
ご紹介なる田縣神社も
弥生時代にまで遡る由緒深き社なるとききて
かしこまるあかひとなり
いと尊し
原始などとふ言葉あるも
すでに一大文化を築きたる偉大なる我が祖先の御方々なるを実感す
古代の素朴なるこの信仰の
現代にまで繋がりたるもうれし
再生にあらずして
生々なるもありがたし
酒徒善人
川湯温泉
子どもが小さかった頃、夏の旅行で車にテントやキャンプ道具を積んで、湯の峰温泉に近い“川湯温泉”に行きました。
川原のキャンプ場でのテント生活、もちろんお風呂は川原の砂を掘ればそこが温泉!
あかひとさんに紹介しとけばよかった・・・
帰りに熊野本宮大社にも参拝しました。
懐かしいです。
幽黙
威厳
熊野本宮の神寂び具合は
まこと威厳の権化のごとし
装飾的威厳にあらずして
内側より滲み出たる威厳
そこが実に素晴らしいところです

熊野に満ちる気は
伊勢に満ちる気とは
まったく違うものに思われます
どちらも神聖性を保ちつつ
伊勢の気は身に沁み亘り
洗い清められそうですが
熊野の場合はうっかりすると
弾き飛ばされそうです

やはり熊野の陰の部分の強さでしょうか
熊野は隠の気でもあり隠爾(をに)の
坐せるところでもあるからでしょうか
そういえば熊野本宮の宮司さんのお名前は
「九鬼」と書いて「くがみ」さんとお読みしますが
熊野の地名や人名にも
「二鬼(ふたがみ)」「三鬼(みかみ)」
「八鬼(やがみ)」などがありますね
「隠爾(鬼)」が「神」であるということの
ひとつの容だと思っています

ああ田懸神社も素晴らしい
男根象徴というと
奈良の飛鳥坐神社だったり
出雲の八重垣神社だったり
小生も訪ねた播磨の神出神社の裸石神社など
いろいろありますが
素朴な信仰の現われですね
アフリカの民族は男性が大地に穴を掘って
大地と媾合うという儀式がありますが
これに通じるものがあると思います
健じい
神武東征の地ですね
http://blog.goo.ne.jp/youkaikokonokatouka
おはようございます あかひとさん
神倉神社のゴトビキ岩の神霊らしいです。
熊野権現の主祭神の、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)なる神は。。。

神武天皇が熊野、大和平定の時に天照大神が八咫烏を使わす正夢を見て、その通りに八咫烏に道案内されたそうです。
ゴトビキ岩は男根の象徴とも言われています。
古代人は素朴だったんですね。

男根と言いますと、愛知県の田縣神社(たがたじんじゃ)

http://www.yumemusubi.com/mori/jinja/aichi/tagata.htm

が有名です。
ごめんくださいませ。
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