国道百六十八号線十津川街道を熊野川の流れに沿ひて下り行ける
熊野川町に入りて三和大橋を左に見つつさらに進み行けば
道の駅瀞峡街道熊野川のあるに
車を停めぬ 時は午前十時三十分なり
すぐ下を流るる熊野川の岸へ降りて行きたり
淡き瑠璃色にして
清く美しき熊野の流れを近く目にすれば
衣を脱ぎて身を流れに肩まで浸しいけり
瑠璃色の光降れるや熊野川こころの垢を流し行くかも 丹人
有難きかな
嗚呼
有難きかな
十津川街道をさらに下りて新宮市に入れば
國指定天然記念物浮島の森の案内標識あるに
是非見たしとの念の湧けば矢印に従ひて進み行きたり
十一時三十分 浮島の森に入れば
いと不思議なり
東西八十五米 南北六十米 面積五千平方米にも及ぶ大植物群落が是 沼池に浮かびたるとふ
いと不可思議なことなり
見学用の道を歩み行けば
まずは沼を泳ぐ玉じゃくしの数とその巨大さに驚嘆したれり

速玉の神を祀れる新宮の浮島森に見る玉じゃくし 丹人
歩道をすすみ行けば
植物の種類多くして 水辺にはちひさき魚の群れの
すひすひと泳ぐを見る

浮島のみどりしたたる水辺かな 奮太
島の歩道を一周すれば正午となりぬ
新宮の街に入りて昼餉の店を探せば
レストランオークあり
是 「多く」なる哉 また「奥」なる哉
伊太利亜風料理の店なれば
部部論知能と美畏怖華麗をいただきぬ
まはまは むまし
いよいよ
速玉大社への参拝となる
駐車場への到着は午後一時を回りぬ

華麗なる朱に彩られたる社殿に夏の光の燦々と降れば
有難きこと限りなし
作法に則りて拝礼を済ませたり
本宮大社と比較するに
速玉大社は是 色合ひも社殿も新しきとおぼゆる
由縁をきかば
むべなるかなとおもへり
速玉大社は明治十六年 打ち上げ花火により社殿全焼の憂き目に遭遇したりて
眼前の社殿は是 昭和四十二年再建なりとふ
嗚呼
速玉大社は火に
本宮大社は水に
明治の中期に災禍あるは
是 如何なることなる哉
明治の文明開化は裏返せば 我が國の文化の崩壊なることを
熊野の大神様は身を以て御示し給ひしやとこそおもへれ
速玉大社に隣接して佐藤春夫記念館あれば 立ち寄りて
しばし 望郷懐古のせつなき詩歌の響きを堪能したれり
いただきたる版譜麗塗より「少年の日」の一部を茲に掲載すれば
野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも
影多き林をたどり
夢ふかき瞳を恋ひ
なやましき真昼の丘べ
花を敷き あはれ若き日
(殉情詩集 大正十年)
をを この胸に
なつかしさと
ほろにがさの
美しき色合ひとともに
沸々と波打つもあはれなり
午後一時四十分
車は一路那智を目指したりき
画像一:熊野川
画像二:浮島の森
画像三:浮島の森
画像四:熊野速玉大社 2007.7.24 撮影




↑現在40位前後なり↑現在茨城1位なり
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