佐白なる笠間の城の天守跡の椿に寄れる緑豹紋 丹人
さしろなる かさまのしろの てんしゅあとの つばきによれる みどりひょうもん
藤原時朝あまたつくりたてまつりたる
等身の泥仏をおがみ奉りて
君か身にひとしとき支し仏尓そ心のたけもあらはれにける 浄意法師
きみがみに ひとしとききし ほとけにぞ こころのたけも あらわれにける
返事
心より心をつくる仏にて我身能たけを知られぬるかな 藤原時朝
こころより こころをつくる ほとけにて わがみのたけを しられぬるかな
笠間初代の城主藤原時朝はこの地佐白山上に
城を創建し笠間地方の領主となり笠間氏を名乗
る 時朝は宇都宮氏の一族塩谷氏の出で鎌倉御
家人として活躍する 和歌にすぐれしばしば京
都に赴き公家との交わりが深くまた仏道を信じ
て多くの造像を行ない現に三体の仏像が笠間に
有し鎌倉仏の名作として国の重要文化財に指定
されている このような文化人である時朝が当
地方の基礎を築いたことは郷土の誇りである
笠間義士会創立十周年にあたり新・和歌集に
遺る浄意法師と時朝との贈答歌を碑に刻み永く
時朝の偉業を顕彰する 碑面の文字は会長塙瑞
比古の筆である
昭和五十七年十月十七日 笠間義士会
協賛笠間ロータリークラブ
塙瑞比古氏(昭和六十二年三月逝去)は
笠間稲荷神社の先代の宮司なりき
昭和五十七年当時 予が父
稲荷神社社務所に勤務してをれば
縁ありて塙宮司より父を経由して
この碑の文字の手本の依頼が予に届きたる
勇みて書ける若輩(二十六歳)の予なりき
爾来二十九年の月日が流れたる
久方に碑を訪ねて笠間城址に上れば
若き日の己に会ふがごとく
なつかしくもあるかな
碑面の文字は塙宮司の筆にあれど
文字が中に若き日の予が筆意や癖の
残りて見ゆるもいとをかし
時朝公が歌碑にはヒバが枝の伸びて
碑面を覆ひゆくは
時の流れといふべきなるかな
*画像:ミドリヒョウモン 歌碑 2010.9.26 11:30-12:00 笠間城址にて