野田庭のアケボノスギに夕日の射して
木の高きに金色の光放つを見れば
成立なりて千年となる源氏物語をおもへる
予が 谷崎源氏 与謝野源氏 円地源氏を求めたるは
三十年ほど前のことなり
何度か読み始めるも中途にて挫折すれば
完読することなし
今年こそはとて
円地文子訳源氏物語(新潮文庫)を机上に置きて
新たに紫式部なる原文(岩波文庫)を購入すれば
いざやいざ
読みはじめたる
ここにその進行状況を記して
中途挫折を避けんとこそおもへれ
桐壷
いづれの御時(おほんとき)にか
女御(にようご) 更衣(かうい)あまたさぶらひたまひける中に
いとやむごとなききはにはあらぬが
すぐれて時めきたまふありけり
・・・

桐壺 -あらすじ-
いづれの帝のときのことか
帝のおそばに妃(女御や更衣)が数多く仕えている中に
身分はさして高くはないけれど帝の寵愛を一身に受けている
桐壺という名の更衣がいた
帝の寵愛ぶりは普通ではなく
女御たちの桐壺への嫉妬やねたみは大きくなる一方だった
帝の正妻である弘徽殿の女御のいじめは特にひどく
内気な桐壺は心身ともに疲れ弱っていった
桐壺と帝との間に玉のような美しく輝く皇子が生まれた
帝には、すでに弘徽殿の女御との間に第一皇子が生まれていたが
帝が二番目の皇子をあまりに溺愛するため
第二皇子を皇太子にするのではないかとうわさが広まるほどであった
第一皇子の母である弘徽殿の女御のいじめはひどいもので
桐壷は病の床にふせてしまった
帝は泣く泣く桐壷を里に返して養生させることにした
限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

桐壷は
快方に向かうことなく亡くなった
第二皇子三歳のときであった
帝は悲しみを深くするばかりだった
帝は第二皇子の将来を考え
高麗の相人の意見も参考にして
皇族にとどめるよりも臣籍に下すこととして
第二皇子に源の性を与えることにした
桐壺の死から7年後
帝は桐壺と瓜二つの藤壺を迎えた
源氏の宮は藤壷の宮に亡き母の面影を重ねた
源氏の宮は十二才となって元服し
加冠の役を努めたの左大臣の姫である葵の上と結婚した
しかし
源氏の宮は年上の葵の上にしっとりとした愛情を感じられず
藤壺への思いを深くするばかりだった
読売新聞社説 源氏物語千年紀(2008.2.11)
*画像上下:メタセコイヤ 2008. 2. 8 17:00 小美玉市野田にて撮影
*画像 中:落つ紅梅蕾 2008. 2. 9 7:30 庵庭にて撮影




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