先生との出会い(2)(愚か者の回想四)
「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
3年生まで毎年かわっていた担任が4年生でもかわった。だが、その担任は6年生までかわらなかった。
相性というやつか。合わなかった。それでも学校生活は普通だった。急変したのは国語の授業の時だった。
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いつものように漢字の意味を問われたので手を挙げた。「はい、H君(私)。」と指名された。立って答えた。正解であるはずなのに、「あてずっぽうで答えてもダメ。」と冷たく言われた。だが、その意味が分からなかった。
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手を挙げていた別の子(U)が私と同じ答えをした。これが正解だとして授業は先に進んだ。Uは優等生。学級委員。児童の皆が知る先生のお気に入りだった。
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Uはノートに何かたくさん書いてあった。私はと言えば、ノートなぞ開いてもいない。ノートは先生が黒板に書いたことを書き写すものだとばかり思っていた。黒板に何も書いていないときはノートも開いてはいなかった。
このとき「何かが変わったな」と感じた。しかし、その何かが何か分からなかった。
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そのまま普通の日が流れ夏休みが近づいてきた。私は夏休みが嫌いだった。
休み明け、友達の多くは日焼けした肌の色を競っていた。田舎に遊びに行った話もしていた。
私は海には行っていない。日焼けもしてはいなかった。休み中、外で遊ぶことはあったが日焼けした肌を競うほど黒くはなっていなかった。
田舎にも行かなかった。そもそも、皆が言う田舎が無かった。両親はいずれも東京の生まれなのだ。「田舎を買ってほしい」と母に言ったらしい。皆が言う田舎にはおじいちゃんやおばあちゃんがいる。それを言うと、歩いて30分ほどの母の実家に連れていかれた。「みんな田舎に泊まるらしいよ。」と言うと「じゃあ、今日はおばあちゃん家(ち)に泊まってく。」と母。「やっぱり帰る。」ということになる。
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子供の頃、家族旅行というものをしたことが無かった。遊園地へも行ったことが無い。
「遊園地へ行きたい。」と言うと母はデパートへ連れて行ってくれた。屋上にそれらしい遊具があった。
「みんなで海へ行きたいな。」と言うと、「お父さんは自衛隊だからダメ。」と言われた。今にして思えばダメの理由が理由になっていないが私はそれ以上海へ行きたいとは言えなかった。
少し大きくなってから再度、「みんなで海へ行きたいな。」と言うと、再度「お父さんは自衛隊だからダメ。」と言われた。
今度は少し食い下がってみた。「何で自衛隊だと海へ行かれないの。」と訊いた。話そうとする母をさえぎって父が言った。「24時間勤務だからダメだ。俺が働いているからお前らは飯が食えるんだ。我慢しろ。」と。反論できなかった。
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当時、父は陸上自衛隊の一曹であった。高い地位ではない。学歴の無い父は退職間近までこの階級にあった。しかし、私は父を偉い人だと思っていた。
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「コンバット」というテレビ番組があった。海外の戦争映画である。主役はサンダース軍曹。冷静で厳しく、戦闘でも動じない。上官と意見が対立してもサンダース軍曹が押し切る。結果として味方が勝利する。かっこよかった。軍曹というのは自衛隊の階級に置き換えると一曹である。父は偉いと思っていた。
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いわゆるレンジャー部隊にもいたらしい。北富士演習場というところで訓練をしていた。軍人上がりの父は上官よりも部下の信任が厚く、演習から帰ってくると普段は無口な父があれこれ自慢げに話してくれた。真偽のほどは分からないが蛇を食ったとも言っていた。「若い連中は食えないんだなぁ~。戦地ではよく食ったものだ。」というのだ。写真付きで食い方を披露されると信じざるを得なかった。口癖のように「まだまだ。若い奴らには負けない。」と言っていた。
実際、あの頃の父に若い自衛官は勝てなかったと思う。戦闘機乗りとして死線をさまよい、一度は死を覚悟した父は自衛官ではなく軍人だった。
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台風が来ると父は決まって家にいなかった。災害派遣である。そして、父が帰ってくると台風は収まって来る。今思えば台風の危険が小さくなったので待機命令が解除され帰宅を許されただけのハズだが、私は父が帰宅すれば台風が去ると信じていた。それだけ父は大きな存在だった。ちなみに、衛生隊にいた父は1964年(昭和39年)の新潟地震で災害派遣に加わり感染症の発生を防いだとして表彰された。
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こんなこともあったので家族旅行には行かれないのだと納得していた。しかし、何もやることが無い夏休みは辛かった。もちろん宿題はやった。宿題と言っても「夏休みの日記帳」という数科目が一冊になっている絵本のようなものなので、一日分は30分もあれば終わってしまった。
「夏休みこども映画劇場」というテレビ番組をみる毎日であった。怪獣マリンコングや少年忍者風のふじ丸、とか言う番組をやっていた。少年ジェットやナショナルキッド、8823海底人、白馬童子、七色仮面もこの時期だったと思う。少し記憶が混乱している。
「つまんないなぁ~。」がこの頃の私の口癖だった。
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ところが、4年生の夏休み、とんでもない宿題が出た。
(つづく)
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