ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

女が眠る時

2019年02月09日 | ネタバレ批評篇

小説家の妄想をネタにした映画としては、フランソワ・オゾン監督の『スイミング・プール』が有名だが、その映画のネタバレともいっていい内容のストーリーには、当時『スイミング…』を観た時には気づなかった自らのあさはかさを痛感させられた1本である。

舞台は伊豆今井浜東急リゾート。実は友人の経営する今井浜のペンションにお義理で宿泊したことがあるのだが、そのリゾートができたせいで部屋から海が見えなくなってしまったという友人がもらした愚痴のとおり、リゾートの豪華な造りは素朴な町並みとはまさに別世界。作家である健二(西島秀俊)の妄想が展開される場所としては実にふさわしい。

編集者をしている綾(小山田サユリ)とスランプに陥ってなかなか小説が書けない健二の夫婦は、休暇を利用して今井浜を訪れる。プールサイドで見かけた佐原(ビートたけし)と美樹(忽那汐里)。佐原は「無垢な娘が眠る姿を毎晩かかさずビデオで撮影している」ことを健二に告げる。親子ほど歳が離れたカップルに興味をもった健二は、開けっぱなしの窓から佐原の奇妙な行動を覗き見するようになるのだが…

オゾンの『スイミング…』は同じくスランプの女流小説家が、気分転換のため編集長の別荘宿泊をすすめられ、同時にそこを訪れた編集長の娘と称する若い娘に創作意欲をかき立てられるというストーリーだった。当時その映画を観た人たちの間で、若い娘ジュリが小説家の妄想によって産み出された人物なのか、それとも実在の人物なのかでちょっとした論争になった記憶がある。

しかし人間年齢を重ねていくと、悲しいかな社会というものがいかに“やらせ”によって成り立っているかに否が応でも気づかされるもの。『スイミング・プール』も本作も、スランプに陥った小説家に(気づれないように)ネタをこっそり与えて、売れる小説を書かせてがっぽり儲けようとした誰かが他にいたことを伺わせるのだ。『スイミング…』の場合はもちろん自分の別荘を提供した編集長、本作の場合は健二の妻綾が、一連の事件が起きているように見せかけた黒幕であろう。

編集長も編集者も作家に売れる本を書かせてナンボの商売。どうやったら作家の創作意欲を掻き立てることができるのか、両者とも手慣れた仕事といえるだろう。しかも片や南仏プロヴァンスの別荘保有者、片や高級リゾートに長逗留できる資産家の娘である。役者の二人や三人をやとって、作家の前で意味深な猿芝居をさせることなどお茶の子さいさいだろう。

綾の場合、夜も元気のない健二をその気にさせて自身妊娠するというダブルの目的があったわけで、プールサイドで夫の注意を二人にむけさせることに成功した綾、佐原に美樹のエロ動画を夫に見させたり、民宿を経営する飯塚(リリー・フランキー)にストッキングの小話などをさせたりしたのもすべて、夫健二をその気にさせるため。佐原と自分の関係に夫が嫉妬心を燃やせば術中にはまったも同然、後は夫に自分を襲わさせれば一丁上がりというわけである。

だだでさえわかりにくい妄想と現実の境界線にくわえ、さらに“やらせ”というメタ構造を上位にすえた複雑な映画なのだ。飯塚にボケたボス猫の話をさせたり、失踪した美樹の捜査に聞き込みにやってきた刑事(新井浩文!)に「誰かがどこかで見ている」「隠してる人こそ信じてくださいと言うんですよ。次の小説にでも活かしてください」などという台詞をいわせたのも、ウェイン・ワンならではの観客に対する配慮だろう。

映画を見終わったと同時に『スイミング・プール』の真相に気づかされてしまった私は、あらぬ妄想に振り回されていた時代がむしろいとおしく感じたのである。

女が眠る時
監督 ウェイン・ワン(2016年)
[オススメ度 ]
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