ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧神岡町北楢岡を往く(その5)

2018年10月04日 | 旧神岡町を往く

●歩いた日:201892日(日)

●歩いた所

  ・北楢岡:町頭、下新屋、布田谷地、北楢岡、金助谷地、沖田、一本木、小山田、沼の上

●歩いたログ(足跡)(道のり5.7km

(以上の地図:国土地理院)

 また西に進み、ログ地図にある郵便局マークの手前十字路で右折して北に向かうと、面白い図柄のマンホール蓋がある。

 

 袴に下駄履き姿でバットを構えた少年と、背景に「神宮寺岳」と思しき山とその麓を流れる川が描かれている。そして、蓋の左下に「少年野球発祥の地」と刻まれている。 調べると、M33年、当時の「神岡尋常小学校」で教育の一環として野球の指導が行われ、野球選手に任命状を与えたのが秋田県の少年野球の始まりで、このことが「旧神岡町」が発祥の地とされている所以のようだ。

 「旧神岡町」の野球との関りはこれにとどまらず、かつての野球少年が寄り集まって試合を行ったことが契機になって、S54年から「全県500歳野球大会」が開催されている。歳を重ねる毎に参加チームが増え、H30年は40回目の大会になるが、県内から180を超えるチームが参加するマンモス大会となり、「神岡野球場」(「北楢岡」にある)を主会場に「大仙市」内各地の球場で試合を行う一大イベントとなっている。

 さらに、H29年からは、「大仙市」を会場に「全国500歳野球」が開催され、「少年野球発祥の地」は「親父たちの甲子園」に変貌している。

 また街の北側外縁の走る道に出て、西に向かう。

📷006:「金助谷地」の一角

 

 緩くカーブする道は、古い道をそのまま拡幅整備したように見える。道脇の水路はかなり大きいので、ガードレールでしっかり安全対策がとられている。道の左側が「北楢岡」、右側は「金助谷地」になるようだ。「地名への・・」によると、「金助谷地」は、沼地を開拓した人名地名とある。

 道右手に田んぼが広がり、左手には家並みが続くカーブした道をさらに西に進む。広い道との十字路に出る。

📷007:「沖田」の一角

 

 この辺り、道の右側は「沖田」である。「沖田」はあちこちで出会う字地名で、ログ地図を見ても、ここの北側一帯(沖)には、文字通り一面に田んぼが広がる。

 右手奥の木立の中に、ログハウス風の緑の屋根がのぞいている。こんな家には興味を惹かれるので近づいて見ると、凝った作りの角ログの非常に大きな家で、思わず見惚れてしまう。

 十字路を左に行っても県道に出るが、曲がらずまっすぐ進み、少し左にカーブしたところで県道に出る。県道に出ると、向かいが桜並木になっているので、少し引き返し道を横断してのぞいて見る。

📷008:「北楢岡」の桜並木

 

 並木の東側の端から西の方を望むと、県道沿いの桜はやや疎らなものの、並木は二列になっており、その間は道であったように見える。

 ログ地図にも描かれているように、左側の並木のさらに左側には並行して大きな水路が流れている。そして、水路の奥には古い思われる家があって、その家には写真手前に写る砂利道を左奥に進んで、水路にかかる橋を渡って入るようになっている。このことからも、桜並木の間はかつての古い道跡であると想像される。昔の航空写真でこの点を注目して見てみたいと思う。

(その6に続く)


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