<「真昼岳」から「仙北平野」を望む>
●登った日:2019年9月21日(土)
●歩いたログ(足跡)(歩いた道のり:往復6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
●GPSによる標高図
(GPSデータを「カシミール3D」の加工した図)
すぐ手前のピークから少し下って最後の登りを登り切ると「真昼岳」の頂上である。
📷008:「真昼岳」頂上
1,059.9メートルの山頂である。西側に「仙北平野」を含む「横手盆地」を、東側に「岩手県」の山並みを一望できる。圧巻の眺めである。
山名の由来を調べると、「坂上田村麻呂」が東征の折に、昼頃山頂に着いたという伝説に基づくものという。頂上には、その時将軍が建立したとされる「真昼山大権現社(三輪神社)」が設けられており、中世(室町時代)に「仙北平野」を治めていた「本堂氏」や「小野寺氏」の氏神になっていたともある。現在、神社は小屋の中に納められ、小屋は泊れるほどのスペースがある。
小屋の中に頂上を訪れた人が記念に書き記すことができるノートがあったはずだと、戸を開けて外から見回してみるが見つからない。そのことをMさんに話すと、Mさんが小屋に入ってノートが入ったケースを持って出て来た。ノートを開くと、この日の日付で書き込みがある。登って来る途中にすれ違った3人連れのおばさん?たちが書いたようだ。Mさんが「何か書くか!」と言いながら書込み始め、「3人の名前はフルネームにする?」と訊く。Aさんは「苗字だけでいいよ」と答えたが、Mさんはどうも名前まで書いたらしい。
ところで、以前に登った時にノートをめくってみると、ここから「大曲の花火」を見たという書き込みがあった。また、その時出会った「岩手県」側から登って来た人も花火を見に来たことがあるという話をしていた。なるほど、天気が良ければ、ここから花火を眺めながら一杯やるというのも最高だな、と考えたことを思い起こす。
と、長々と書いたが、ここで、やや霞んでいる「仙北平野」の眺めを何枚かご覧いただく。
まずは、「仙北平野」の北方向を望んだ写真。
説明を簡単にするため番号を記入した。これまで歩いたところを思い出しながら説明すると・・・。
1は「旧中仙町長野」の街、2は「旧角館町(現「仙北市」)の街の辺り。3は「斉内川」、4は「川口川」。
左下の5のところにわずかにのぞいている十字路が、「峰越登山口」と「赤倉登山口」の分岐である。
次に西を望んだ写真。
1は「西山」で、400m足らずの山並みなのでずっと下の方に見える。その右端の「神宮寺岳」の脇に「雄物川」の川面がかすかに光って見える。1のすぐ下辺りが「大曲」の市街。
2は「丸子川」、3は「払田の柵跡」のある「長森・真山」。4は「一丈木」の杉・松並木。5は「ラベンダー園」で、ここから間近に見上げる「真昼岳」はなかなか迫力がある。
次は南西方面。
1が「六郷」の街。2は「雄物川」の川筋で、3の辺りが「横手川」と「雄物川」が合流する場所に川港の街として拓けた「角間川」。
4は「旧仙南村」の「後三年駅」近くにある「飯詰山」。その奥に見えるはずの「鳥海山」は、昼過ぎのこの時刻は雲に隠れてしまった。
5のさらに左手辺りが「横手市」の市街地である。
真下に見える6は、「三沢出会」(三つの大きな沢がここで合流する)とも言い、「真昼岳」のもう一つの登山口である「善知鳥(ウトウ)口」がここである。
(その5に続く)
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