先日(1月24日)、京都に行ってきた。
今年に入って2度目の訪問である。1回目は初詣で深夜、八坂神社・平安神宮にお参りした。
今日は、私のブログの最初の記事である高台寺に行ってきました。
阪急を利用している私が高台寺、清水寺方面に行くときは、八坂神社を通り抜けて行くことがほとんどだが
今回は花見小路を通り(今日は日曜日なので観光客でいっぱいです)、建仁寺横を東に東大路通を越え
石塀小路を歩き高台寺にむかいます。
石塀小路(上の写真も)人通りは少ないです、観光番組などで結構紹介されているのに。
奥の人が見えるところが、ねねの道です。
この石段を登ると高台寺です。
高台寺の横にある駐車場からの眺め。左の塔が八坂の塔、右に小さく見えるのが京都タワーです。
霊山観音
高台寺の境内へ
方丈の前庭
開山堂(左・重文)と奥に見えるのが霊屋(おたまや)
庭園
臥龍池と奥に見えるのが臥龍廊
臥龍廊
開山堂と霊屋を結ぶ階段で龍の背に似ている所からこのように名づけられた。
霊屋(重文)
秀吉と北政所をお祀りしている所である。
厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。
傘亭(重文)
利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。
傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、
正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。
時雨亭
竹林
開山堂
高台寺第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所である。
左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。
勅使門
ここで、高台寺の勉強を
鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉死後、その菩提をともらうために秀吉夫人の北政所(ねね、出家
して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。
寛永元年七月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。
造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわ
めたという。
なお、北政所は天正16年(1588)に従一位に叙せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を
賜り、寛永元年(1624)9月6日、76歳で亡くなられた。(各説明文は拝観パンフレットより記載)
高台寺の拝観を終え、次に八坂の塔に向かいます。
つづきは、次の間(京都・建仁寺)でお待ちしております。
お帰りの際には、フロントにて先のページ(トップページ)でご説明させていただいた、
お会計「ワン・ポチッ」をよろしくお願いします。
こちらがフロントです これをクリックしてね(=ワン・ポチッ)。
(日本ブログ村人気ランキングに参加中)
またのご来店(ご来訪)心よりお待ちしております。
本日はありがとうございました。
総支配人・テス君
ご案内係・ともさん
今年に入って2度目の訪問である。1回目は初詣で深夜、八坂神社・平安神宮にお参りした。
今日は、私のブログの最初の記事である高台寺に行ってきました。
阪急を利用している私が高台寺、清水寺方面に行くときは、八坂神社を通り抜けて行くことがほとんどだが
今回は花見小路を通り(今日は日曜日なので観光客でいっぱいです)、建仁寺横を東に東大路通を越え
石塀小路を歩き高台寺にむかいます。
石塀小路(上の写真も)人通りは少ないです、観光番組などで結構紹介されているのに。
奥の人が見えるところが、ねねの道です。
この石段を登ると高台寺です。
高台寺の横にある駐車場からの眺め。左の塔が八坂の塔、右に小さく見えるのが京都タワーです。
霊山観音
高台寺の境内へ
方丈の前庭
開山堂(左・重文)と奥に見えるのが霊屋(おたまや)
庭園
臥龍池と奥に見えるのが臥龍廊
臥龍廊
開山堂と霊屋を結ぶ階段で龍の背に似ている所からこのように名づけられた。
霊屋(重文)
秀吉と北政所をお祀りしている所である。
厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。
傘亭(重文)
利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。
傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、
正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。
時雨亭
竹林
開山堂
高台寺第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所である。
左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。
勅使門
ここで、高台寺の勉強を
鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉死後、その菩提をともらうために秀吉夫人の北政所(ねね、出家
して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。
寛永元年七月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。
造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわ
めたという。
なお、北政所は天正16年(1588)に従一位に叙せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を
賜り、寛永元年(1624)9月6日、76歳で亡くなられた。(各説明文は拝観パンフレットより記載)
高台寺の拝観を終え、次に八坂の塔に向かいます。
つづきは、次の間(京都・建仁寺)でお待ちしております。
お帰りの際には、フロントにて先のページ(トップページ)でご説明させていただいた、
お会計「ワン・ポチッ」をよろしくお願いします。
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またのご来店(ご来訪)心よりお待ちしております。
本日はありがとうございました。
総支配人・テス君
ご案内係・ともさん
聞いてますが・・・
高台寺には一度行ってみたいと思ってますぅ~♪
ともさんも歴史が好きなんですよねェ~
また、楽しみにしておりますッ♪
テン
いつもご来店ありがとうです。
歴史は好きですね、
これからも、歴史に関わりのある寺院、仏閣を
訪ねたいと思っています。