テス君の部屋

観光、旅先での風景や印象に残った事・日常の事などをできる限り写真を付けて気ままに書いていきたいと思っています。

銀閣寺~哲学の道~永観堂へ

2009年05月13日 | 寺院・仏閣
4月13日、銀閣寺から哲学の道を歩き永観堂の参拝、観光に出かけた。

銀閣寺は今、観音殿の修復工事中です。
  屋根葺き替え及び部分修理(耐震)工事です、平成20年2月より約2年間の予定。

最近、屋根の葺き替えが完了したとの報道がなされていた。

銀閣寺の発祥
  銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。
  義政公は、祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、
  山荘東山殿を造営。この東山殿が銀閣寺の発祥である。
  銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺。
  義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。

銀閣寺・総門



観音殿(銀閣)[国宝]
  鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。
  二層からなり、一層の心空殿は、書院風。
  二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。
  閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。

屋根が新しくなり、まるで金閣寺のように金色のように見える。



銀沙灘と向月台



東求堂(とうぐどう)[国宝]
  義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。
  南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半のニ室がある。
  北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、
  四畳半の間取りの始まりといわれている。 








銀閣寺を後にして、哲学の道を歩き永観堂に向います。

哲学の道
  哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことから、この名がついたと言われる。


お店の前の小さなベンチで縫いぐるみの親子?かな、道行く人たちを見ていました。
何を語りあっているのでしょ・・・。












哲学の道の附近には、法然院、安楽寺、霊鑑寺、若王子神社もありますが今日は寄り道せず永観堂に向います。

永観堂 禅林寺・総門


鶴寿台


釈迦堂


多宝塔


放生池


禅林寺は真言密教の寺として始り、863年、弘法大師の高弟・真紹僧都が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、
禅林寺という名を賜わったのです。

本尊は、肩越しにうしろをふりかえった姿の阿弥陀如来で「みかえり阿弥陀」と呼ばれている。

また、「もみじの永観堂」として全国にその名を知られています。




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