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意思による楽観のための読書日記

知られざる王朝物語の発見 物語山脈を眺望する 神野藤昭夫 ****

日本の文学には平安時代に大きな「山脈」とも思える大きな作品群がある。もちろんそれらは、源氏物語や枕草子、伊勢物語や蜻蛉日記などだが、その作品を書いた人物たちはなにを学ぶことでそのような物語や日記を紡げたのであろうか、またそのあとに続いた人たちに何を残したのだろうか、という問いにこたえようとした一冊。筆者は跡見女子大学の教授で王朝文学の専門家。概要をサラッと説明するのではなく、各エピソードごとに、選んだ一つの題材を深く分析し考察してみることで、読み手に王朝文学の奥深さを実感させてくれる、大変読み応えのある一冊、良書だと思う。

大河ドラマ「光る君へ」で描かれる姫様たちを取り巻く勉強会、それは帝や上流公卿のプリンスたちの目に留まるためのサロン。サロンのトップは皇后・中宮、そして都にあったとされる斎宮のサロンであり、各大臣の娘、三位以上の公卿の娘を取り巻く勉強会だった。帝に入内し次の帝を生むことで権力を手に入れることが政権争いに勝つ手段だった摂関政治の平安時代には、娘がお后候補(后がね)となることが最重要だった。その条件は、三位以上の公卿の娘であり、一定の教養を備えていること。身分は生れであるためどうしようもないが、教養は身につけられるため、后がねになるための家庭教師ともいえる存在の女性たちがいた。そうした家庭教師の女性たちもまた、少しでもいい暮らしを得るために自らの教養を磨いてきた女性であり、彼女らが集ったのは都にはいくつもあった教養サロンともいうべき集まりだった。彼女らの中から紫式部や清少納言が生まれ育ってきた。

本書は筆者が平成18年に行ったという5回の国文学研究資料館における講演会記録がベースとなっている。5つの章からなり、1章では知られている中世王朝物語とその裏に名前だけしか知られていない物語があることを述べ、2章で源氏物語の中でも参照された万葉集、日本紀、初期の物語である竹取物語などに納められた物語の一つ「はこやのとじ」を取り上げ、その物語の濫觴から引用、そして発展を考察する。3章では伊勢物語の物語と「はいずみ」を取り上げ、その滑稽話とその後の物語への展開を分析する。4章では源氏物語を書いた作者の教養の背景にあるもの、何が作者に巨大な物語を書き上げさせる力を与えたかを考察する。5章では斎院の中でも大斎院とされた選子、禖子のサロンを取り上げ、そこで交わされた斎院歌合の題物語の復元を試みて、その背景にあったサロン参加者の持っていた教養を考察する。

現存する平安時代の物語には次のようなものが知られている。竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語、多武峰少将物語、篁物語、落窪物語、うつほ物語、和泉式部物語、源氏物語、狭衣物語、夜の寝覚、浜松中納言物語、堤中納言物語、とりかへばや物語、松浦宮物語、かな文字で書かれたものであり、女性の書き手が女性の読み手を想定して紡ぎだされた物語である。一方、歴史物語として、栄花物語、大鏡、今昔物語、宇治拾遺物語などカタカナ漢字で書かれたものがあるが、これらは仏典や漢籍の世界から生み出されたものであり、送り仮名を付けて訓読したものとして区別する。さらに失われた物語も多くあるはずで、散逸物語研究として平安時代の物語に加え、400近い室町時代の物語があるという。

伊勢物語には、「二人妻」と呼べる物語がある。幼馴染の男女が結婚するが、男に新しい女ができて出ていこうとしたが、幼馴染の女性のまっすぐな思いを知り元のさやに戻る、という物語。物語の最後に男が新しい女をこっそり見行くと、自分がいない間は、自分でご飯を自分の器に盛る様を見て生活感あふれる風情に幻滅するというモノ。当時は男が妻の家を訪れる妻問い婚があり、その前提で読まなければ男の浅ましさの方が目立ってしまい現代人には分かりにくい。平安時代の短編集である堤中納言物語の中に「はいずみ」がある。結婚した男女があり、女性の家の両親が亡くなり、経済的に落ちぶれてきたところに、新しい女が現れる。男は今の妻には陰陽道の理屈から新しい女性を迎える必要性を無理やり説明するが、妻は抗うどころか感謝の言葉まで口にする。妻のまっすぐな心持を不憫に思う男は追い出そうとした妻を迎えに行く。ここまでは伊勢物語と同様だが、最後に新しい妻との関係に驚きの結末がある。せっかちな男が急に思い立って、新しい妻のもとに現れた時、新しい妻は、急に表れた男に慌ててしまい、白粉の代わりにハイズミを顔に塗りたくってしまうが、それに気づかず男性と顔を合わせ、男性は驚いて逃げ出してしまう、という顛末。さらにこの新しい「はいずみ」物語が次の「掃墨物語絵巻」に描かれ、さらに広まっていく、という。平安時代の物語山脈は、次から次へと積み重ねられていく。

紫式部は、従五位下の国司である父の娘であり、漢籍に強みを持つ父親の影響を受けていたとはいえ、世の中の仕組みを広く学んだわけでもない一人の女性。王朝の交代を念頭に置いて壮大なスケールの皇室物語ともいえる架空のストーリーを描けた理由は何だろうか。帝の息子が源氏の苗字を賜って臣籍降下したのちに、時の帝の后との間に男児を設けることで、みずからの子を天皇にしてしまう。そのことを力の源泉とすることで、陰の力を蓄え准太上天皇、つまり上皇と同様の「院」と呼ばれる存在にまで上り詰めた。藤壺との秘密の恋を闇の王朝の実現へと仕立て上げていく。源氏物語を読んだ一条天皇は「この人は日本紀を読んだに違いない」といったと。ここでいう日本紀とは続日本紀以下の五国史であり、王朝交代を編年体で記したものであり物語ではない。中国の史記、漢書ではドラマチックな王朝交代の物語があり、破天荒な源氏物語の閉経にはこうした漢籍の書物の影響があるのではないか。

そして大斎院サロンでの歌合。枕草子が定子中宮の記録であり、紫式部日記が彰子後宮の記録であったように、斎院のサロンでも多くの文学的蓄積が行われた場であったはず。斎院の場合は賀茂神社が守り神。賀茂神社は平安京を守る神であり、伊勢神宮に次ぐ正一位の社格が与えられた。伊勢に使わされたのが伊勢斎王で、こちらは京の都から離れて寂しい立場だった。一方、京の斎王は斎院ともよばれ、こちらも内親王から選ばれて一定の年数を勤めるとされた。初代の斎王は嵯峨天皇の皇女で、鎌倉時代まで続く。中でも紫式部と同時代の選子や藤原定家と同時代の式子内親王が和歌や物語制作などの文学的活動と深くかかわった。彰子後宮に女房として仕えた紫式部は斎院方に強い対抗心をもっていたことが紫式部日記に記されている。源氏物語は斎院の要請に基づいて書かれたという説もある。更級日記に、東国から上京してきた孝標女が、内親王に仕えていた女房から物語を下げ渡されたという記述があり、サロンで読まれた物語は、このように大衆にも流布していったことが分かる。本書ではさらに六条斎院禖子内親王家で行われた物語歌合も解読して見せる。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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