慈恩の日々

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食に密接した人と社会

2011-09-23 07:22:26 | 西式甲田療法・食・断食
今日は秋分の日ですね

一日の食事回数を減らしてから人の社会も活動もそれを主体にできているんだなと改めて思うようになりました

人は無理に食べてなくても少食でも充分生きていけるという主旨の本はAmazonでも探せばたくさん見つかりますね

一日三食を食べるという価値観はある意味それは頑迷でもあって人を家事などの活動に従事させたりもして

女性は食事をつくるのが仕事といった因習がまだあるかもしれないけれど、一日一食の半日断食やっているとキッチン回りの家事がわずわらしくなってきてそこまで無理してご飯を作る必要性も感じなくなってきてます

実は人ってあまりしなくてもいいことに必死になっているのかもしれない

無理に食べなくてもよくなると、ご飯をつくれと家族に命令することもなくなるわけで。そこまで食べなくてもいいから負い目もなくなるわけで操作されることも減ったり

だからだれかにご飯をつくってもらうといった一般的愛情や道徳規範も薄らいでいて

改めて愛情とは何かと考えてみたり。今まではお互いに縛ったり依存や強制することがそのように言われてきたのかもしれない

そして、社会というものは食を主体にまわっているから食料の生産、消費、流通、宣伝もうまいこと管理されていてその辺り心理的にも無意識に思考をセットされているんだなと思う

戦争といったものも国の食料の生産高を増やすために行うわけで、食事の必要性が少ない人が増えていくと戦争する理由と国に従事する要因がひとつ減るんでしょう

食の必要性が薄れていくと今まで人を突き動かしていた活動理由も薄れていくわけで食べなくてはいけないから食べる、というより楽しみのために食べる、といった風になるのかもしれない

でも現代社会は食を娯楽にしすぎてそれに繋ぎ止められる人や病人を増やした結果になってる

食品産業も医療の分野もお互いに密接していて。人の病気の原因はやはり食にあるのだけれど、その辺りを明かして人が健康になると医療そのものの存在意義に関わってしまったりもして。だから処方薬品といったもので複雑にしてカバーしているのかもしれない

長年のアトピー治療から学んだことでもあります。あれは薬使わなくても半日断食してるとなおるんですよね…

だから、人は実はしなくてもいいことに従事していて、活動そのものが逆に問題をつくりだしているような感が最近しています

でも、人は食やそれにまつわる活動、ドラマに愛着があるから急に変える人はそんなにいないのだろう…