慈恩の日々

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ルネサンス

2011-09-25 00:01:30 | 西式甲田療法・食・断食
どこにでもあるようなごくありふれたスーパーに行ってみると、食料をはじめとした沢山の商品が山積みにされてるけれど

それだけの商品を輸送するのは実は多大な化石燃料を費やしているわけで、資本主義だと多く仕入れて多量にさばくことで利益を産むことを目的としているけれど

一般に多く売れば売るほど儲けが出るものと言われているけれど、扱う品が多くなってチェーン店が増えていくと輸送に費やす燃料資源も必要になっていくわけで、素人の自分でもそれって持続できるのかな、とふと思うことがあります

特にネット通販で何時でも欲しいものが手に入るようになったけれどその配達にも燃料資源はいるわけで

食料資源なども牛肉など精製するのにも多くの飼料が必要で、水産資源を養殖するのにも育て上げるのにかなりの飼料が必要らしいです

栄養学の分野ではしきりに一日30品目食べて栄養をとりなさい、とか何々を食べなさいとか言われますが、それはある意味資本主義的な栄養論の面があってこのまま人口が増加していって食料消費が増えていくとこれまでの畜産や養殖方法ではいつかは頭打ちになる、というのは普通の人でもわかると思う

増えすぎた人口と消費を養う資源をどこから持ってくるのですか。ということです

戦後の世代だと物も食物もなかったから発展を目指して様々な活動を行ってきたわけですがどうもこれ迄の因習的な考えを変える時期なのかもしれない

レオナルド・ダヴィンチは当時、ローマ法皇をもとに出来上がっていた人々を繋ぎ止めていた宗教的ドグマを警戒しておりそのおかげで常識といったものに捕らわれずルネサンスを行えたそうですが

当時も今も人々を繋ぎ止めているドグマって間違いなく食にあるわけで

ドグマは見せかけの安心感をもとに出来上がっているからそれに従わない人を裁いたりもするし、見破って逃れるというのは世間からはあまりよく思われないかもしれない

でも、隷属や服従というのも自分がその状態にあると気付いた人だけが自分を変え逃れる事ができる

飽食の時代というのも間違いなく現代病を生みだしてしまったわけで、ある意味病院にも密接に繋がってる面もあって資本主義を代表してるな、と思う

これまでのようにドグマに従った食を続けていっても食料自給も健康も頭打ちになって持続できないのなら、ならば、逆の発想をしてみよう

たぶんそんなこれまでの因習に嫌気がさして新しい生き方をはじめている人達が今の時期にあらわれはじめていて

インターネットの発展もその兆候なのでしょう

人体も一日にそんなに栄養を必要としていなくて食べる必要もないとわかると、これまでの資本主義的な通念も覆されていくのかもしれない

食べる必要性のない人が増えていくとこれまでの封建的な社会から踏み出せる、のかもしれない