Ferrari 312F1-66 (1966年)
9位ロレンツォバンディーニ(伊)
8位マイクパークス(英)
10位 ルドヴィコスカルフィオッティ(伊)
2位ジョンサーティース(英)
2位コンストラクター
代表エウジェニオドラゴーニ
Tec.engマウロフォルギエ―リ
シャーシはまだエンジンを構造体とはしない後部まで延びたセミモノコックで、
1969年型の312F1/69まで続いた。
エンジンは新規開発を行わず、スポーツプロトタイプカーの275P2に搭載されていた3.3Lエンジンを
デチューンして搭載した。
総排気量2989cc、60度V型12気筒DOHC、ボア×ストローク77mm×53.5mm、
1シリンダーあたり吸気1・排気1の2バルブ、最高出力は公称360PS。
タイヤは当初ダンロップ製だったが車体にマッチせず、後半戦はファイアストンに変更した。
1966年シーズン開幕当初、エースドライバーのジョンサーティースのみが312F1をドライブし、
チームメイトのロレンツォバンディーニは第2戦までタスマンシリーズ用マシンを流用した
246F1-66(158シャーシに2.4LディーノV6を搭載)を使用した。
サーティースは第2戦ベルギーGPでポールトゥウィンを達成したが、
熟成が遅れる312F1よりも246F1を使用すべきだと訴えてチームと対立した。
そして、第3戦の前に行われたルマン24時間レースでチームマネージャーと衝突し、
フェラーリから去っていった。
1966年の第7戦伊GPでは、吸気2・排気1の3バルブのシリンダーヘッドツインスパークが採用された。
最高出力は公称390馬力。
この地元レースではルドヴィコスカルフィオッティとマイクパークスがワンツーフィニッシュを
果たした。
フェラーリ優位の予想は裏切られ、軽量かつ信頼性の高いレプコエンジンを搭載したブラバムが
コンストラクターズタイトルを獲得した。
フェラーリはブラバムに次ぐランキング2位だったが、
その成績はロータスやBRMがH16エンジンに躓いたおかげでもあった。
当時、フェラーリはルマンでフォードと全面対決中であり、
工場ストライキにより英GPを欠場するなど、
F1に集中できるようなチーム状況ではなかった。
ドライバーズタイトルは、
1位ジャックブラバム(42P)
9位ロレンツォバンディーニ0勝(12P)
8位マイクパークス0勝(12P)
10位 ルドヴィコスカルフィオッティ1勝(9P)
2位ジョンサーティース2勝(28P)
3,000㏄60°V12、NA
DOHC2V ,EN,MT縦置
360PS、610㎏、5速+1速
L3,830㎜
前5.50×14,後7.00×14
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