ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 250 テスタロッサ

2021-06-30 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 Testarossa

(1957-1958) 生産台数19台

250は1気筒当りの排気量を表す。

テスタロッサはカムカバーが赤く塗られていることから名付いた。

クラシックフェラーリの中でも際立って美しいスタイルを持つ。

1957年のスポーツカー世界選手権シーズン終了後、速度を抑制する目的で、

1958年シーズンからレーシングスポーツの排気量を3リットルに制限する旨が発表された。

1958年からのレグレーション変更に合わせて開発された3Lクラス用のレーシングスポーツカー。

最も初期型となるTR/57は、1958年までに19台製造され市販された。

ボディは主にフロントドラムブレーキの冷却目的でいわゆるポンツーンフェンダーを持ち、

グリル脇から切れ込むようなデザインを持っている。

デザイン及び製作はスカリエッティで、全アルミニウムによる叩き出しで製作されていた。

なお同じボディを持つ250モンツァと呼ばれるモデルも存在する。

ブレーキは前後ともアルフィン付ドラム。

1958 - 61年に19のレースに参戦し、ルマンを含めて10回勝利。

この事実が、コレクターの間で250テスタロッサが、

最も価値のあるレーシングフェラーリとされるゆえんだ。

多くがプライベーターに販売された。

2,953㏄60°V12 SOHC


フェラーリ 250 GTO Street,250 GTO ツーリストトロフィー

2021-06-29 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 GTO Street

(1962-1965) 生産台数39台

3Lが36台、4Lプロトタイプが3台製作された。

ほとんどがレースで活躍し素晴らしい成績を収めた。

39台全て現存する。

車名は1気筒当りの排気量とGTOグランツーリスモオモロガートの意味。

世界スポーツカー選手権のタイトルが1962年からGTクラスに掛けられるようになり、

その新規定に対応して送り出されたのが250GTOである。

それまでの250GT SWBのエヴォリューションモデルとして公認を得たもの。

当時のGTレギュレーションでは、ホモロゲーションを取るにはボディ形状は決まっておらず、

たとえ1台ずつ形状が違っていてもルール違反にはならなかった。

250GTSWBにはオールアルミボディ、6連キャブレター、5速ミッションなどのオプションが巧みに

設定されていた為、GTOはホモロゲーションを取ることに成功した。

レースでは圧倒的な強さを見せつけ62年~64年まで3年間チャンピオンの座を勝ち取る。

それ以降GTOというネーミングは特別で栄光なものとなる。

素晴らしいヒストリーを持つだけにコレクター憧れのモデルとして君臨する。

先頃76億円で取引され話題になった。

4,325×1,600×1,210㎜

880㎏ 280㎞/h 300PS

2,953㏄60°V12 SOHC

 

フェラーリ 250 GTO ツーリストトロフィー

(1962)

ドライバーはジョンサーティース(英)。2輪(モトGP)と4輪(フェラーリF1)で優勝した。

勇敢なハンドリングでエンツォフェラーリにも可愛がられた。

第1期ホンダ創世時にも深く係る。

ボンネットに排熱フィンが付いています。

4,325×1,600×1,210㎜

880㎏ 280㎞/h 300PS

2,953㏄60°V12 SOHC


フェラーリ 330 LMB Street,250 GT by Tom Meade Thomassima Ⅲ

2021-06-25 | スペシャルモデル

フェラーリ 330 LMB Street

(1963) 生産台数4台

1気筒330㏄(4L)ルマンベルリネッタの意味。

この車はGTOのシャーシに、当時の市販ロードカーであったベルリネッタ・ルッソの

キャビン部分を着せたもので、3.0L版の250LMB(250GTOのボディ違い)4.0Lの330LMBが作られた。

330LMBはプロトタイプクラスのエントリーであったが、330LMBは250GTOを最高速度で凌いだ。

1963年には24hrルマンにも出場している。

エクステリアデザインは250GTOにフロントデザインがよく似ていますが、

一回り大きくルッソの意味らしく贅沢に出来ています。

詳細データ不明。

 

フェラーリ 250 GT by Tom Meade Thomassima Ⅲ

(1987) 生産台数1台

250GTをオマージュに仕立てたコンセプトカーと思われます。

詳細データ不明。


フェラーリ 250 Breadvan N°16,250 GTO DRAGO

2021-06-23 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 Breadvan N°16

(1962)台数1台

ブレッドバン(パン屋のバン)と呼ばれるこのフェラーリはモデナのカロッツェリア、

ネリ&ボナチーニが僅か14日間で作成した。

依頼主はフェラーリの上得意、ジョバンニ・ヴォルピディ・ミズラータ伯爵。

ベースとなったのは1961年パリ1000㎞レースでクラス優勝した250GT SWB。

伯爵の改造コンセプトはGTOに負けない車でした。

実際ルマンでは250GTOより7㎞/速かった。

斬新なエアロダイナミクスボディとエンジン高が下がることによりパフォーマンスが向上した。

ブレッドバンの愛称?を付けたのは英マスコミで、ボディ後部の形状によるものでした。

その後このブレッドバンを見たエンツォフェラーリは激怒、

伯爵からの2台のGTOのオーダーを断ってしまう。

2010年フェラーリクラシケは250GTベルにネッタ(シャシー1号車2819)に対し

歴史的価値を認める車である事を認め証明書を発行した。

 

フェラーリ250 GTO DRAGO

(1963)

ニュルブルクリンク

現在調査中。


フェラーリ 250 LM Street,250 GTO 64シリーズⅡ

2021-06-22 | スペシャルモデル

フェラーリ 250 LM Street

(1963-1965) 生産台数32台

車名は1気筒当りの排気量とLMはルマンから。

初めの1台だけ250㏄で、以降は排気量を275㏄が搭載された。275LMと呼ばれた。

250GTOの後継として登場したフェラーリ初のミッドシップGT。

当時ライバルだった大フォードは、打倒フェラーリを謳い文句に物量作戦でフェラーリの牙城を

崩そうとした。

世の中はミッドシップの時代になっていて、

エンジンパワーだけでレースに勝てる時代ではなくなっていた。

そこで作られたのであるが、レースでは思うような成績は挙げられなかった。

GT選手権は連続12か月100台以上生産が条件だったが、大量生産ができる設備が無かった。

生産が思うようにいかなかったエンツォフェラーリは250GTのエヴォリューションモデルとして

FIAに申請したが、さすがにLMはミッドシップなので認可されることは無かった。

納得できないエンツォフェラーリは65年GT選手権に市販型のフェラーリを欠場させた。

4,270×1,700×1,115㎜

820㎏ 287㎞/h 300PS

(305PS),2,953㏄(3,286㏄)

60°V12 SOHC

 

フェラーリ 250 GTO 64シリーズⅡ

(1964)生産3台。

250GTOの正常進化型。

1964年、フェラーリは強力なライバルの出現に備え、250LMをGTクラスへ投入する予定だった。

GTOの公認取得の際に通用したエボリューションモデルという理屈を今回も持ち出したが、

エンジンレイアウトが異なる点(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、

GTクラスの公認を得られなかった。

また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。

そこで急遽250GTOを3台増産、1964年に3台製作されたGTOは主に空力面が改良され、

250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。

ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、

250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備えた。

ただし3台とも細部のディテールが異なっている。

GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、GTクラスで勝ち続け、

フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。

他の詳細データ不明。