ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 312 T2

2021-11-05 | F-1

Ferrari 312T2

(1977年)

1位👑ニキラウダ (墺)

4位カルロスロイテマン(亜)

―位ジルビルニューブ(加)

1位👑コンストラクター

代表ロベルトノセット

Tec.engマウロフォルギエ―リ

312T2は1978年の開幕から2レースで使用され、以後は312T3に置換された。

ドライバーズタイトルは、

1位ニキラウダ3勝(72P)

4位カルロスロイテマン1勝(42P)

5位クレイレガッオーニ1勝(31P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN縦MT横置

500PS、575㎏、5速+1速

L4,316㎜W1,930㎜

前9.2-20-13,,後16.2-26-13


フェラーリ 312 T3

2021-11-02 | F-1

Ferrari 312T3

(1978年)

3位カルロスロイテマン(亜)

9位ジルビルニューブ(加)

2位コンストラクター

代表マルコピッチニーニ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

312T3は、1978年の第3戦で初めて導入された。

この車両のエンジンは515馬力を発生していたが、

搭載されていたのは1970年から使い続けている水平対向12気筒エンジンだった。

シャシーは完全に新しいものが製造された。

新しい構造のモノコックと312T2とは異なる配置のサスペンションが採用され、

ミシュラン製ラジアルタイヤに対応した。

ボディワークも外観が大きく変更され、

より平らな形状のボディ上面によりリアウィングへの気流が改善した。

ロイテマンはブラジルGPで優勝し、ミシュランタイヤに記念すべきF1初優勝を贈った。

ロイテマンはさらに3勝を挙げ、

ヴィルヌーヴはホームレースの最終戦加GPで自身のF1初優勝を挙げた。

しかし、グラウンド・エフェクトを先んじて採用したウィングカー、ロータス79がシーズンを席巻し、

フェラーリはロータスに次ぐコンストラクターズランキング2位でシーズンを終えた。

シーズン後、ロイテマンはロータスに移籍し、

1979年に向けてジョディーシェクターがチームに加わった。

312T3は1979年の開幕戦と第2戦にも使用され、以後は312T4に置換された。

ドライバーズタイトルは、

1位アンドレッティ (64P)

3位カルロスロイテマン4勝(48P)

9位ジルビルニューブ1勝(17P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN縦MT横置

510PS、580㎏、5速+1速

L4,250㎜W2,130㎜

前24/55 x 13",後40/65 x 13"


フェラーリ 312 T4

2021-11-01 | F-1

Ferrari 312T4

(1979年)

1位👑ジョディシェクター (南阿)

2位ジルビルニューブ(加)

1位👑コンストラクター

代表マルコピッチニーニ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

1979年に向け、フォルギエリはロータスに追随しグラウンドエフェクトを

採用しなければならないと気づいた。

312T4は312T3をベースとして、空力に大幅な改良が加えられた。

セミモノコックはバスタブ型から細い箱型に変更され、コクピット後方に燃料タンクを収納した。

両脇のサイドポッド内にはグラウンドエフェクトを発生するベンチュリ構造が取り付けられた。

しかし、横幅の広い水平対向エンジンが空気の流路の邪魔になってしまい、

排気管の取り回しやシリンダーヘッドの形状を改良したものの、

理想的なウィングカー構造には成り得なかった。

フロント部分はテーブル状のアッパーカウルの下からステーを伸ばし、

フロントウィングを突き出す形状に一新された。その特異な外観から醜いアヒルの子と揶揄された。

市街地コースのロングビーチやモナコでは、リヤウイングを後車軸よりも前に取り付けていた。

当時は後車軸より前に取り付けられているものはリヤウイングの寸法(全幅110cm以内)ではなく

ボディの寸法(全幅140cm以内)とされていたため、より大きなダウンフォースを稼ぐことができた。

312T4は1979年南アフリカGPでデビューし、緒戦でワンツーフィニッシュを飾った。

リジェJS11、ルノーRS10、ウィリアムズFW07といったライバル車に対し、

312T4は必ずしも最速のマシンではなかったが、信頼性や扱いやすさに優れており、

ヴィルヌーヴとシェクターが3勝ずつの計6勝を挙げた。

勝利以外にも着実な成績を残し、フェラーリは5シーズンで4度目のコンストラクターズタイトルを

獲得するとともに、シェクターも生涯で唯一のドライバーズタイトルを獲得した。

1979年から1980年にかけて、312T4向けのセミオートマチックトランスミッションシステムが

開発されていたが、実戦投入されることは無かった。

ヴィルヌーヴが嫌ったためお蔵入りになったが、ジョン・バーナードの加入後に開発が再開され、

1988年のテストカー639を経て、1989年の640にて実戦初投入された。

ドライバーズタイトルは、

1位シェクター3勝(64P)

2位ジルビルニューブ2勝(47P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN縦MT横置

515PS、590㎏、5速+1速

L4,460㎜W2,120㎜

前23/59 x 13",後38/68 x 13"