Ferrari
ランチアフェラーリD50
(1956年)
3位ピーターコリンズ (英)
6位エウジェニオカステロッティ(伊)
11位ルイジムッソ (伊)
-位ヴォルフガングフォントリップス(独)
15位アルフォンソデポルターゴ(西)
-位アンドレピレット(独)
8位ポールフレール(独)
23位オリビエジャンドビアン(独)
1位👑ファンマニュエルファンジオ(爾)
代表エラルドスクラーティ
Tec.dsnヴィットリオヤーノ
フェラーリに渡ったD50は改修を施され、1956年シーズンの主力マシンとして使用された。
名称はランチアフェラーリ D50(またはフェラーリ D50)と呼ばれた。
エンジンはショートストローク化され、D50の特徴であった外部燃料タンクは操縦席後方に戻された。
サイドポンツーンはメインボディと一体化されたが、内部は空洞である。
仏GP予選では空気抵抗を減らすストリームラインボディも試された。
初戦アルゼンチンGPには旧車555F1の車体にD50エンジンを搭載したバージョンも持ち込まれた。
チームには前年のルマン24時間レースの大事故でレース活動を止めたメルセデスベンツから
チャンピオンのファンマヌエルファンジオが移籍してきた。
フェラーリ勢は若手のルイジムッソが1勝、ピーターコリンズが2勝、ベテランのファンジオが3勝し、
コリンズとファンジオがチャンピオン候補となった。
最終戦伊GPでファンジオはステアリング故障のためピットに戻るが、
ピットインしたコリンズからマシンを譲られレースに復帰し、
4度目のドライバーズタイトルを獲得した。
ドライバータイトルは
3位ピーターコリンズ2勝(25P)
6位カステロッティ0勝(7.5P)
11位ルイジムッソ1勝(8P)
-位ヴォルフガングフォントリップス(0P )
15位ポルターゴ0勝((3P)
-位アンドレピレット(0P)
8位ポールフレール0勝(6P)
23位オリビエジャンドビアン0勝(2P)
1位👑ファンジオ3勝(30P)
詳細データ不明
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