小春日和という名にふさわしかった11日の火曜日午後 カルチャーで参加している景観教室がありました
午前中は仕事 お天気がいいと気分もいいわ
今回は教室を出て 東雲町のお寺 徳泉寺さんにて ご住職のお話をききました
ここいらへんは昔の風情が残っていて すてきな場所 あまり来ない所なのでわくわく感いっぱい
本堂でこのお寺のいわれ等を伺う 曹洞宗(禅宗)
この地は至徳寺村と呼ばれていた この地に上杉謙信ゆかりの徳泉寺が建立したのは1757年
永平寺と同じく七堂伽藍(しちどうがらん)だった 修行僧がたくさんいらしたそうです
今は七堂伽藍本堂のみ 大正11年に 茅葺から瓦ぶきに改造されたとのこと 由緒あるお寺に入れてすごいわ
私の目の前には巨大な木魚・・・・・いねむりしないで ちゃんとお話し聞かなくちゃ
直江津の義人 福永重三郎さんのお話をお聞きしました 私の言葉で おおよその内容を書きます お許しを。
福永家7代の当主 十三郎とも書くそうです とにかく家柄がはっきりとわかる由緒あるお家の人
直江津は漁師さんがたくさんいて お魚を売って生計をたてている家が多かった
高田藩のお殿様 松平さんが生魚専売権という むちゃくちゃないじわるをした 直江津の魚を自由に売ることができず
田端(今の仲町あたり)にもっていき そこらへんでしかうってはだめ!といわれ 長い間直江津の漁師さんは困っていた
当時は藩で起きたことは 藩の中で解決する・・・・江戸に直訴はご法度。。 だからとても困っていた
ある年 魚が豊漁だった たくさん獲れた魚を 糸魚川の漁師がこっそりと長野方面へ売りに行こうとした
でも田端のお役人にみつかり ひどい目にあったそうだ この話を聞き 福永重三郎さんは 直訴を決意!( いいぞ・・・重三郎!)
糸魚川は別の藩だから 江戸に直訴してもOK 田端での専売権をなくすようにお願いに行った でもそううまくはいかない
結局12年の月日が過ぎ 糸魚川の漁師さんも亡くなってしまう でもやっと福永氏の意見がとおる・・・・やったね!
糸魚川出身のお相撲さんがいて その人がとても助けてくれたそうです
江戸からもどり高田の町で 和解しようと田端の人たちが宴席をもうけてくれた
宴会をひらいている途中に具合がわるくなり 帰宅後に亡くなられたということです
この急死がいろんな噂をよんでいる・・・・疲労がたまっていたのか (毒をもられたのか・・・)憶測です
これが 掛け軸に福永重三郎さんのお姿といっしょに書き残っている その貴重な掛け軸をみせていただきました
直江津と高田 不仲説はこのころからのものなのか・・・・すべては謎
そしてこのお寺に 福永神社のご神体もろもろも納めてあるという ホントに貴重なお話がきけてよかった
この後 廊下にかざってあった 明治後期の直江津駅を労災病院の屋上あたりから撮影した写真もみせてもらいました
これはお庭に会った欅の木の切り株 450年の年輪が読めたそうです 残念だけど老朽したので
数年前に切り倒されたとか・・・・上杉謙信も眺めたであろう 欅の木。。 たそがれ時の光の中で感慨深かったです