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息子が帰宅して
書道の先生が、
「○○君のおかあさんは
字が上手ね」とほめてくださったという。
私がかいたものをもっていったらしい。
私は、自分がかいたものを
紙ごみに捨てたつもりだったので
ものすごく、恥ずかしくなってしまった。
清書したつもりでもなかったし。
しかし、
「本当!?
うわ~い!うわ~い!」と大げさに喜んだ。
小躍りまでした。
「先生が、『行間の空け方、いいですね』って
いってた」といわれて
「本当?本当?わ~い!わ~い!」とまた
喜んだ。
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実は、私は、最近、自分の字の下手さに悩んでいる。
お習字もしたし、学生時代は、変体仮名のお稽古を
ずいぶんしたのに、パソコンをうつのは早くなったが
ペンで、メモやら、カレンダーやらに書き込みと
自分で愕然としてしまう。
字をかくことが少なくなったうえに
握力やら、手の運動神経が衰えたような気がして
ならない。
運筆やら、大きなひらがなの練習から
しようか・・。と真剣におもっているところなのだ。
「五十の手習い」というのは
こういうことなのかもしれないなあ・・・。
とおもっている。
新しい習い事もいいけれども
自分の力が衰えてくるので
復習する年齢というのが
五十なのかな?ともおもう。
昔、達筆な礼状をいただいたのに
最近、送られたものは、その人のものとは
思えないくらいの手だったことがある。
もう、ご高齢なので、いろんな筋肉が衰えて
字までも、思うようにかけないのだろうとおもう。
年寄りが字が上手とおもったら、大間違いであると
わかった。
書き続けた人が、上手なのだろう。
しかし、若いときに身につけたものは
なにかのときに、ひょい!とでてくるものなんだなあ・・・。
「おかあさん、人に習字、教えられるかなあ?」というと
息子は、「何段?」と聞いた。
仮名に関しては、検定などとらなかった。
第一、何十年も昔なので、まったく関係ない。
息子は、「じゃあ、だめだ」という。
「調子に乗るな」ということらしい。
そういう風に思われるのだったら、だめだと思った。
看板をあげるほどの腕前ではない。
どこかの団体に所属しているのでもない。
私の書道の先生は、専門は漢字のほうだったが、
大学時代にはいって、再入門したとき
仮名をしたくて、指導してもらった。
だから、段などとっていない。
それだったら、世間では通用しないのかなあ?
私が、学んできたことは
子供たちに多少の影響を与えただけなんだろうか?
そういうことを考えるとむなしく、悲しくなるのである。
私には、肩書きがない。
それでは、なんの役にも立たないみたいで・・・。
そういう思いで、むなしくなる。
だから、書道の先生が認めてくださったことが
童心にかえって、
とても素直にうれしかったのだった。
誰もほめてくれない生活をしているものなあ・・・。