バッテン長崎の人

長崎の良いところ発信、植物観察、旅日記、日々感じること、自分での新発見、写真付きで日記や趣味を書く

兄が突然、我が家を訪ねて来た。

2016-11-18 01:22:28 | 家族

モンスタームーンで世間が騒いでいる日、突然下関から私の家に訪ねてやって来ました。兄が長崎にくるのは、父と母の墓参りに来たとき、たまに我が家へ来てくれる。我が家とは言っても私だけしか住んで無いので、私の病気病気の状態を見に来ると、いったぐわいです。私の家に上がってお茶を飲んでいく分けるもなく。私が助かるのは沢山のお土産を持って来てくれます。私は大学時代から下関へは東京への行き帰りには必ずや下関で下車していた、ただただお小遣いをもらう、ために。

私の育ての親・母死す。

2016-03-10 04:17:34 | 家族


母・育ての親第3番目の。先日、痴呆で老人ホームに入っていた。

私が先日見舞いに行った時は、その予感は。

私の事はもうその母の心の中には、私の事は微塵もない。

私が小学1年の時、私の実の母の弟のお嫁さんとなって

私のお婆さんの家族となる。

その時代の女優、男優に勝る美女、美男同士の結婚で

私もかなり美しい人だと思う。

私は1年ほどその第3の母に育てられた、その後は高校3年まで春休み、夏休み、冬休みには

一緒に生活を共にした、

その後は私は大学が東京、就職も東京二十年ほど会うことはなかったかに思える。

私の会社の都合により、故郷に帰って来た時も10年に一度くらいの食事しかできなかった。

その母にいつか会った時、あんたが来ると誰かが死ぬ、と言われて

会いに行くのが躊躇されたような

確かに、過去を思い出せば偶然にも、その予言があたっていたのか

その母はとても花が好きで、特にバラが。

その母は自分の予言を自分自身で実証して、私の前から去って行く。


何時も花束もっていった。

ありたけの、花投げ入れよ、棺の中。そっと涙を添えた、自分自身の命をおもう。








 


久しぶりに妻に会いに

2015-09-24 02:45:39 | 家族


妻が眠る丘より長崎港を見る




私の中学校があったところより。


体を悪くしてから、行けなくなっていた妻の墓参りに久しぶりに行く。

妻と学生時代あっていた頃のように空は雨模様。

久しぶりに会うのだから、若き時代を思いながらの墓参もあったっていいかな。

奥さん私の顔、分かりますかね、私の頭随分白くなったろう、それに一寸太り過ぎ、一寸どころじゃないって~

うん子供に随分苦労したからね。

君の子だから仕方ないか。

君が銀河列車に乗って天に向かっていったのが、25年前、そちらの様子は分かりようもないが、

子供らはそれなりにやっているようだ。

そう言えば、研太もアメリカへ留学させたの言ってなかったね。愛が留学して、2年後に行ったよ。

彼らの学費送るの四苦八苦した、君のお母さんと2人で5年くらい、暮らしていた。

子供らはもう日本には帰ってこないと思っていたら。

アメリカから3人になって帰ってきた、ビックリだろ、もう一人はレオンと言うマルチーズ犬でした。

また来るね、私が病気でなければ、何度でも来れるのだが、もう少ししたら私も君のところ行けるから。

父の日 お父さんの日 嬉しいプレゼントもらったよー

2015-06-21 00:28:39 | 家族

cudedcuded


父の日を前に長男から靴

http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/#

長女からマンゴージュース



プレジェントはいつもらっても嬉しい、特に家族にもらうのは特別だ。

まだまだ私頑張らないと。







久しぶりに兄に会いに、その帰り娘にあった。

2015-06-16 02:15:04 | 家族




ふと、兄のことを思った、遠く離れていると、兄の年齢さえも思い出せない。

よくよく考えると76歳喜寿ではないか。今まで何もお礼したことのない私、喜寿の祝いに兄の所へ行くことにした

喜寿のお祝いの記念品を買って、兄の所へ向かう、向かう電車の中で、色んな兄との思い出を探していた。

何時も何時も兄らしい態度で私に接してくれた。学生時代よく小遣いをもらうために、帰省したり、上京する時はいつも

途中下車して小遣いもらっていた。

兄はいつも慎重に物事を考え行動する。私はとにかく行動し、後で反省をする方である。

今度兄にあって、私たし達の今は亡き両親のことを話したあった。

兄が親に怒られているところを、見たことはない最後までいい子供であった。

私は、父にも、母にも随分と心配かけてきたように思う。

私は、自分の思うような人生を歩いてきた。進学も。それを親は許してくれていた。

翌日は、昼食を下関のレトロタウンでして、小倉まで送ってもらい博多へ向かった、長女に会うために

幸い長女はしごとがやすみであった。

娘がすき焼き食べたいというので、阪急デパートのレストランで、最高のすき焼き食べた。

娘の方が、財政的には豊かであるが、

時には親も見栄を張る。食事して最終電車で帰途に着く、我が家についたのはもう25時になっていた。