バッテン長崎の人

長崎の良いところ発信、植物観察、旅日記、日々感じること、自分での新発見、写真付きで日記や趣味を書く

悲しくて又楽しかった頃

2017-10-30 02:58:24 | 人生

4〜5才の頃のころから親元を離れ、遠い、遠い島にじいちゃんばあちゃんと
暮らしていた。もう会いたくも叶わない、淋しさ、悲しみが時に私を襲う、
我が父、母にも思いを馳せる。
この花は田舎の畦道に秋頃咲いて、この花を摘み、首飾りや腕輪作ってあそんだ、もう彼らとも会う事もない、どこで何してるかもわからない。あいたいが。春には延々とレンゲソウと菜の花が咲き、心癒やしてくれた。
川辺でよく鮒釣りやってた。
子供は遊びの天才で何も無くても
皆でなにかやと作りだしていた。
お菓子も無い田舎、山へ野イチゴ、色んな木の実を採って楽しんだ、今では
お金で何でも叶うが、子供達は色んな工夫をして、逞しく遊んだ。
思えばもう、その様な自然の恵みも
少なくなった。自然は色んな事を教えてくれた。今では時に大きな悲しみを
与えてる。もう少し、自然を学ぼう、知ろう。

黄昏の夕暮れどき、我が家へ帰る

2017-10-21 03:30:20 | 人生

昼から現場調査に友人と出かけ、役所で頂いた地図を頼りにしたものの、なかなか現場に行き着かない、地番、現住所で位置が各も違うと言う事を初めて知った。1つの情報だけでは安心は出来ない事を身を持って知り得たことは、非常にいい経験をした。
家路に着いたは黄昏ゆく夜空を見ながら、今日の経験は人生で言えば遅きに
期した感はあるが、あの黄昏ににて何時でもあり得て、見る角度、見る時間によって、見る人により色々と、見方が違うだろうが、人生は人それぞれで良いのだろう‼️もう少しの時に愛をもってゆっくりと歩いて行こう⁉️

ゆく道すがら、ひまわりの枯れゆく光景に、、

2017-10-18 00:44:57 | 人生

家路への道すがら、ひまわりの枯れゆく光景に私は、息つまる思いをしながら、枯れてゆくひまわりを観ながら自分の人生を翻ってみた。
向日葵は今まで人々の癒しながら、今その姿を終え様としている。
翻って我が人生を見つめる。何か中途半端な自分が浮かんでくる。もう間際な時にどうしようも無いのだけど、今までの人生で、懸命にやり遂げたものがあるか、命をとしてやったものがあるか?何もない。その際になって思っても、ただただ哀しさを感じるだけ。
あとわずかな時をいかに、生きるかだ。

コスモスに思いをよせて。

2017-10-17 00:09:59 | 人生

少年は幼児期、両親と離れ、母方のじいさん、ばあさんと遠い田舎に生活を
していた。食べるものは芋ばかり。
米がなかった訳ではない。お米は大事なお金と同じ。お祝い事のときは白ご飯がでてた。小学校時代は弁当も芋が弁当箱にたくわんと供に入ってて、昼食じは野原や川辺で皆と遊びねがら取った。寂しい思い出のような、楽しかった様な思い出。学校帰りは、なぜか1人で帰ることが多かった。
秋晴れのときは、秋桜が妙に目に入り。それを見て何か寂しくなり、涙して帰った。それは両親の元に帰っても、続いた。そしていまも同じ。
今の涙は、妻との死別が、、、。
妻の死は冬であったが、ありたけのコスモスを棺に入れてやった。
コスモスに妻を思う悲しさや。

長崎の市花紫陽花

2017-10-15 06:30:29 | 長崎物語

長崎の花ー紫陽花 長崎の市花が何故に
紫陽花になったのかは私にはよく分からない。紫陽花は長崎だけに咲く花ではない。多分、歴史的なところから
長崎の花が紫陽花となったのだろう。
シーボルトが愛した女をおたくさんと
いい、それが紫陽花となり、長崎の恋愛物語から、長崎に紫陽花が多く咲く花ではない。
先日、動かない足を懸命にリハビリしていた時に紫陽花とあった、10月に咲いたのを見たのは初めて。私の恋人ではない。ただ紫陽花の不思議な美をよく見る。