バッテン長崎の人

長崎の良いところ発信、植物観察、旅日記、日々感じること、自分での新発見、写真付きで日記や趣味を書く

時にはこの世から逃げ出したい時がある。

2016-03-19 05:29:26 | 人生


年老いて、仕事やっていると、矢張り若者には負ける。自分ではそんなことはないと、思っているのだが

最近私は納期に収めるのが、かなり遅れることがある。

と言っても私が若い頃仕事裁けていたとは決して言いません、多分普通

仕事の途中、別なことを思い出したりして、昔の恋人とか?よく仕事が中断するのです。

直ぐ、1、2時間は仕事とは全く関係ないことに時間を費やしている。

もう老害が多くなってきただろう。決して自分自身では気が付かない。

それでも仕事が出来ているのは、周りの人が優しいから。

最近は教え子から教わることが多くもなってきた。先生、おかしくなりました?と首を傾げられる。

一寸、透明人間になって休もう。


長崎の中華で美味しいもの生まれて初めて食べた、長崎で育って70年で多少おいしく食べた。

2016-03-13 07:36:05 | 長崎物語


長崎のちゃんぽん、皿うどんほとんどドレスコードなし。先日、大学の集まりで、いったお店美味しかった。

中華の刺身が出たがなかなかでした。

私は、時に中華に一人で行くときは、秚麺(PANG面)字が違ってるようだ。

先日、お酒飲んでみた。

2016-03-12 05:30:44 | 日記



先日、14,5年ぶりにお酒飲んでみた、いつも行くレストランで、日本酒1杯、ワイングラス1杯。いつもはここのマスターは

私の病気を知っていて、決して出さないお酒。

私の育ての親が鬼門に入った事を知っているマスターは仕方なく、出してくれた。後は知らないよと言って。

私は正常な精神ではなかったのだ。

翌日、動けない程の痛みに襲われた、悲しみと痛みとの交換だった。

どこからか、私を見てる目があった。


私の育ての親・母死す。

2016-03-10 04:17:34 | 家族


母・育ての親第3番目の。先日、痴呆で老人ホームに入っていた。

私が先日見舞いに行った時は、その予感は。

私の事はもうその母の心の中には、私の事は微塵もない。

私が小学1年の時、私の実の母の弟のお嫁さんとなって

私のお婆さんの家族となる。

その時代の女優、男優に勝る美女、美男同士の結婚で

私もかなり美しい人だと思う。

私は1年ほどその第3の母に育てられた、その後は高校3年まで春休み、夏休み、冬休みには

一緒に生活を共にした、

その後は私は大学が東京、就職も東京二十年ほど会うことはなかったかに思える。

私の会社の都合により、故郷に帰って来た時も10年に一度くらいの食事しかできなかった。

その母にいつか会った時、あんたが来ると誰かが死ぬ、と言われて

会いに行くのが躊躇されたような

確かに、過去を思い出せば偶然にも、その予言があたっていたのか

その母はとても花が好きで、特にバラが。

その母は自分の予言を自分自身で実証して、私の前から去って行く。


何時も花束もっていった。

ありたけの、花投げ入れよ、棺の中。そっと涙を添えた、自分自身の命をおもう。