バッテン長崎の人

長崎の良いところ発信、植物観察、旅日記、日々感じること、自分での新発見、写真付きで日記や趣味を書く

あと、なんねんの じんせい?

2017-04-22 01:46:48 | 人生

人生も後半になると、何かと考える事がある。数えると途方もない、数々。
また、過去と未來にわけると、いや
未來が有るとしても、もうそう長くは
無いのだが、今まで何やってきたか と
思うと焦りを感じて しまう。
人生やり直しが、出来ればいいのですが。そうは、いかない。
もう過去は、返りみず、これから
どう生きるかを十分に考えていくしか
道は無い。

我が母

2017-04-19 04:49:43 | 人生

私は小学1年生までは産みの親、兄弟とは生活してわない。母方のお祖父さん、おばあさんとくらしていた。山あり、川あり、海ありの美しい、田舎だつた。主な交通手段は歩く、馬車に、牛車に乗って遊びながらの、学校通い、また、大きな水車、毎日ことことこっとんと、休み無く働いていた。子供らの、おやつは、自然のなかに、イチゴを初め、くはのみあり、梨あり、皆自生するものであっだ。学校では給食はなく。弁当持参するのだ、中身はかんころに麦入りの、おかず、はなかった。
箸は、川原のへごをおってたべた、夜は電灯はなく、名は忘れたか、提灯の光にたよる、たよる。奥ゆかしき生活であった。つづく、。

我が父親

2017-04-16 23:59:07 | 人生

我が家は、父親、母親、兄、姉、私、弟、妹の7人家族。父母は子供達が大学
卒業するのを見ると、父、母とこの世を去った。父は厳しい人で私にはとくに。だが今思い、起こせば、実にやさしい父であった。東京で就職した時、家を買ってやるからと、言われた時は、涙出るくらい嬉しかったが、さすがに私はありがとうと、言って断った。私には真似の出来ない父の優しさであった。兄弟、思い起こせば、それぞれに、やさしい父であったのだ。
今、老いて死を前に、私は父に手を
合わせる日々である。