遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

病院と我が家での生活の違い

2025-01-25 22:08:47 | Weblog
2025年1月25日(土)
退院して約一月半になろうとしている。病院と我が家での生活は、何が一番違ったのだろうか?それは移動だ。車を運転が出来ない私には公共交通機関と私自身の足を使うしかない。足については、病院で療法士の指導の下で歩けるようになったし、自分なりにも、それなりの努力もした。が、環境の違いと自分の能力の違いが大きすぎた。病院での生活は、プログラム化されて、娑婆から見れば、天国で極楽みたいな生活だった。そこから、飛び出した生活は、私の能力を、茫然とさせるものだった。何よりも脚力、病院であんなに頑張ってたのに。最寄りの駅まで約1キロくらい。15分で行けると踏んでいた、さにあらんや20分を要した。それだけではない脚力のエネルギーも使い果たしたのだ。休めば、ちょっとだけ回復するが、使い物にならない。だから、必死の形相で家に戻る。簡単に言えば、千歩までは普通に行ける、二千歩まではなんとか行ける、三千歩過ぎると必死の形相、あとははいつくばっても足を何とか前に進めていく。こんな状態で移動するようになる。現実の道路は平らじゃない、小さな上りや下りがあるし、傾きもある。
 それを打破するため、歩くことを課した。つまり散歩である。割と平たんな道を選んで「五千歩」。脚力を付けないと、どうにもならない。退院してからの、重要な指摘でした。
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リハビリテーション病院を退院して一月

2025-01-12 13:46:55 | Weblog
2025年1月12日
 病院生活は、2カ月だった。私にとって怒濤の毎日だった、リハビリも私生活も。当初の、病院の計画書では、年を越した1月中旬に退院の予定だった。何としても年内に家に戻らねばと決意をした。家には、後期高齢者の老妻しか居ない。子供たちはいるが、それぞれの家族がいて、それぞれは遠くに住んでいる。病院もむやみに長期滞在を望んではいないようだった。家での生活が出来るようであれば退院を勧めていた。それに伴って年中無休の1日
3時間のリハビリを実施している。検査事項に沿ってリハビリも実施している。担当者も割り当てられ、主にその療法士がリハビリを行い、10日単位で進捗状況を確認し合い、月に一度、主治医とも話し合う。そんな状況だから、頑張れば早期の退院も可能だ。
 早期退院を目指してリハビリが始まった。1日に4回のリハビリが行なわれる。年中無休で、それに加えて、私の場合、火・木‣土に入浴タイムもあり、忙しさも充分だった。リハビリも動かない所を動かすのだから大変だったし、大いに疲れた。終わってからベッドに直行したこともあった。また、次のリハビリが10分後だったりも何度もあった。
私は、嚥下力が弱く食事も大変だった。流動食がメインだった。しかし、このままでは早期退院は出来ない。早く普通食に戻さなければ退院は不可能だ。三段階の検査をパスしなければならない。言語療法士が検査を担当している。前の病院で一度検査をして一段階の上の流動食にする予定だったが転院のため据え置かれていた。それで担当の療法士に訴えた。
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