5月30日
光陰矢の如し、で5月も終わりを迎え6月に入ります。平成20年も半年になるのですね。本当に早い、とても早く感じます。
毎日が日曜日で日々の行動は自己管理です。今週はいろんな都合が重なり、バドミントンが出来なかった。身体を目一杯に動かす機会のなかった一週間だった。時間も余裕のありすぎで、飲むのも増えたようだ。ここ二、三日の血圧が高くなっている。あわてて薬を飲んだり、昔やっていた「階段登り降り」を、思い出したように始め、凌いでいる。状況に慣れると人は怠ける。
私に必要なことは、
① 明日を見つめた適度より少し過度な運動の継続
② 身体に必要な食事(最近、野菜や魚が少ないようだ)
③ 趣味を人前で披露できるまで向上させる(そのためにリハビリに励んでいる)
上記を念頭に、毎日を過ごしている。が時として楽な方を選択することが、多々ある。が、それはそれで良い。楽しみたいことがあれば続けることができるだろうから。
毎日の生活の中で、指の運動は続けている。ギターを弾いたり、笛を吹いたりしながら。指を動かすだけの事なのだが、指先だけの問題ではないことが、よーくわかりました。指はもちろんですが、肘、上腕部(肩の付け根側)、肩(腕側の前側)、そして肩甲骨の周辺の筋肉に鈍痛(多分神経的な)があります。まだ自分で感じられない箇所も働いている筋肉もあると思います。身体全体の筋肉を使って人は生活をしている。生まれてからずっと使っている筋肉ですから、意識していなくても必要な時に必要な筋肉を動作させています。一旦、私みたいに故障が発生すると、回復過程であれこれと感じるのです。その司令塔が脳なのです。子供の時には、脳を鍛えているなんて意識はなく、続けていればいつの間にか歩けるようになり、走るようになっている。どの筋肉が動いているなんていう意識は無い。あったとしても見えている筋肉だろうし、、どれだけの筋肉が動いているなんて知らないはずだ。現に私もこんな状態になっていろんな筋肉があることを知り、なかなか動いてくれない筋肉に叱咤激励をしているのだが、「ローマは一日にしてならず!」のごとく、はや三年半が経った。右側と左側の差は、今もって歴然としている。見た目は普通の人と変わりはないが、仕事をさせれば一目瞭然なのだ。医療側は何をしているのだろう?
私は、医療の助けを借りながら、私の信じる方法で後遺症からの脱却を目指している。
それは、私自身が後遺症に陥った身体を動かし続けることです、私自身の意思で。自分の身体に神経を集中させ、観察しつつ、今の極限状態の中で動かし続けることです。極限状態は変化していきますが、リハビリには終わりがないのです。
自分との闘いです。
光陰矢の如し、で5月も終わりを迎え6月に入ります。平成20年も半年になるのですね。本当に早い、とても早く感じます。
毎日が日曜日で日々の行動は自己管理です。今週はいろんな都合が重なり、バドミントンが出来なかった。身体を目一杯に動かす機会のなかった一週間だった。時間も余裕のありすぎで、飲むのも増えたようだ。ここ二、三日の血圧が高くなっている。あわてて薬を飲んだり、昔やっていた「階段登り降り」を、思い出したように始め、凌いでいる。状況に慣れると人は怠ける。
私に必要なことは、
① 明日を見つめた適度より少し過度な運動の継続
② 身体に必要な食事(最近、野菜や魚が少ないようだ)
③ 趣味を人前で披露できるまで向上させる(そのためにリハビリに励んでいる)
上記を念頭に、毎日を過ごしている。が時として楽な方を選択することが、多々ある。が、それはそれで良い。楽しみたいことがあれば続けることができるだろうから。
毎日の生活の中で、指の運動は続けている。ギターを弾いたり、笛を吹いたりしながら。指を動かすだけの事なのだが、指先だけの問題ではないことが、よーくわかりました。指はもちろんですが、肘、上腕部(肩の付け根側)、肩(腕側の前側)、そして肩甲骨の周辺の筋肉に鈍痛(多分神経的な)があります。まだ自分で感じられない箇所も働いている筋肉もあると思います。身体全体の筋肉を使って人は生活をしている。生まれてからずっと使っている筋肉ですから、意識していなくても必要な時に必要な筋肉を動作させています。一旦、私みたいに故障が発生すると、回復過程であれこれと感じるのです。その司令塔が脳なのです。子供の時には、脳を鍛えているなんて意識はなく、続けていればいつの間にか歩けるようになり、走るようになっている。どの筋肉が動いているなんていう意識は無い。あったとしても見えている筋肉だろうし、、どれだけの筋肉が動いているなんて知らないはずだ。現に私もこんな状態になっていろんな筋肉があることを知り、なかなか動いてくれない筋肉に叱咤激励をしているのだが、「ローマは一日にしてならず!」のごとく、はや三年半が経った。右側と左側の差は、今もって歴然としている。見た目は普通の人と変わりはないが、仕事をさせれば一目瞭然なのだ。医療側は何をしているのだろう?
私は、医療の助けを借りながら、私の信じる方法で後遺症からの脱却を目指している。
それは、私自身が後遺症に陥った身体を動かし続けることです、私自身の意思で。自分の身体に神経を集中させ、観察しつつ、今の極限状態の中で動かし続けることです。極限状態は変化していきますが、リハビリには終わりがないのです。
自分との闘いです。