遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

リハビリテーション病院を退院して一月

2025-01-12 13:46:55 | Weblog
2025年1月12日
 病院生活は、2カ月だった。私にとって怒濤の毎日だった、リハビリも私生活も。当初の、病院の計画書では、年を越した1月中旬に退院の予定だった。何としても年内に家に戻らねばと決意をした。家には、後期高齢者の老妻しか居ない。子供たちはいるが、それぞれの家族がいて、それぞれは遠くに住んでいる。病院もむやみに長期滞在を望んではいないようだった。家での生活が出来るようであれば退院を勧めていた。それに伴って年中無休の1日
3時間のリハビリを実施している。検査事項に沿ってリハビリも実施している。担当者も割り当てられ、主にその療法士がリハビリを行い、10日単位で進捗状況を確認し合い、月に一度、主治医とも話し合う。そんな状況だから、頑張れば早期の退院も可能だ。
 早期退院を目指してリハビリが始まった。1日に4回のリハビリが行なわれる。年中無休で、それに加えて、私の場合、火・木‣土に入浴タイムもあり、忙しさも充分だった。リハビリも動かない所を動かすのだから大変だったし、大いに疲れた。終わってからベッドに直行したこともあった。また、次のリハビリが10分後だったりも何度もあった。
私は、嚥下力が弱く食事も大変だった。流動食がメインだった。しかし、このままでは早期退院は出来ない。早く普通食に戻さなければ退院は不可能だ。三段階の検査をパスしなければならない。言語療法士が検査を担当している。前の病院で一度検査をして一段階の上の流動食にする予定だったが転院のため据え置かれていた。それで担当の療法士に訴えた。
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2024年12月31日(火)

2024-12-31 20:21:52 | Weblog
脳梗塞が再発しました。10月8日(火)でした。歩いていましたが、あっという間に歩けなくなり右側に倒れてしまいました。家が目前でした。妻が大声で助けを呼んで、近所の人の助けられて、家に戻りました。そこで、救急車を呼びました。MRI測定で脳幹の一部分で梗塞が発生していました。即入院です。個室です。点滴を受け受けました。手足と言語に嚥下がままなりません点滴を受けながらリハビリの毎日になりました。食事は、とろみの付いたミキサー食になりました。移動は、全て車椅子になりました。脳梗塞の治療は、点滴のみで、一週間で終わりました。その間、リハビリが行なわれました。梗塞の治療が終われば、リハビリ専門病院に移ることになります。入院して、2・3日にリハビリについての説明があり、ゆくゆくはリハビリ専門病院になるが、どこがいいかの、打診がる。ここでは、普通のリハビリしか受けられないが、リハビリ専門病院だと、毎日3時間のリハビリが受けられる。リハビリ専門病院に空きがあれば移れるが、なかなか空きがないそうな、それで早めに申し込む必要があります。一週間後に移ることになりました。その時点の私は、介添え付きで多少あるける程度、言語療法を受けていたけど、言葉にはならない、嚥下力が弱く、とろみ無しでは飲むことも食べることもできない状態でした。それと昔の古傷の左手もままならない状態でした。
 そのような状態で,転院が決まりました。家からそんあに遠くないリハビリ専門病院にうつりました。毎日3時間のリハビリがはじまりした。午前に二つ、午後に二つのリハビリです。土、日もあります。患者は、年中無休です。年末も年始もあるそうです。 転院しては、検査の連続です、どういう状態かをチェックして治療計画書を作成します。当初、私の計画書では、退院目標は1月中旬となっていました。それの説明を受けた時、年内には退院んしなければと、思いました。私は、妻と二人で住んでいます、一人ぼっちで正月を過ごさせては、あまりにも寂し過ぎる、何としても年内に退院しなければと、決めました。日常生活に支障がなければ、退院出来る、家の中で移動に支障がないこと、食事に支障がないことが、満たされれば、早期の退院も可能とおもいました。そんな思いでリハビリに励みました。基本的には、三名の療法士が付きました、理学療法士、作業療法士、言語療法士です。40分が三つと60分が一つで3時間です。毎日あります。それに、火、木、土の入浴があります。食事時間を含めると結構忙しいそれにものです。麻痺しているものを動かすのは、とても疲れる事なのです。ベッドに倒れ込んで、寝ている時も多々ありました。リハビリを早く行うには、自主トレも必要です。リハビリの空いた時にするので、益々忙しくなります。そういうことをやって12月12日に退院しました。普通の食事になったのは、12月5日でした。家に帰るためのハードルが一番たかかったのは、食事でした。嚥下力もくっついていましたから。でも、頑張りました。 今は,老妻と二人で老々介護をやっています。
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今(2024年10月6日(日曜日))の私

2024-10-06 22:39:08 | Weblog
2024年10月6日
 最近、老化の度合が急に進んでいるように思える。朝目が覚め、動こうとすると、昨日とは違うことに気づき、うろたえてしまう。あわてて、運動をしたりして、落ち着かせようとしている自分がいる。これが老化なのだと、納得している自分がいる、が、これでは困る自分がいる。回復作業にかかるのだが、一日で終わる代物でもなく、一種館程度では多少回復する程度だ。そしてサボらずに続けようと自分に言い聞かせて、また日常へと戻っていく。
老化って、経験してみないと分からないものですね、眺めていても分かりませんね。
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今(2024年6月22日)の私

2024-06-24 00:19:50 | Weblog
2024年6月23日(日)
 脳梗塞を患い左半身麻痺となって、20年近くになった。リハビリは、自主的に続けているが、老化も相まって左足、左手の動きが鈍く感じるこの頃だ。左手は、重く感じる。手の指の動きが芳しくない。以前よりも下手になった気がする。それでも音楽は止められない。身体の方は、バランスが悪い。体操やウォーキングをするのだけど、続かない。続ける事が大事だと言っているけど、何らかの事象があって中断してしまうのです。そして、身体に何らかの兆候がでて、やばい、やらなきゃ、となって、再びやり始めるのです。継続は難しいですね。それでも、続けなければ回復はできない。私は、自分の脳と戦っている、他の誰でもない、私の脳と戦っているのです。一人で!外からは、見えないし、理解できないでしょうね。見た目、普通の人ですから。
 それと、降圧剤の服用をやめて、13か月を過ぎました。朝、目が覚めると、最初に思うのは、脳の状況です。スカッと感じたことはありません。脳のあちこちで何かやってるて感じます。偶に、ふあふあするように感じる時もあります。
あっても、どうすることもできません。普段通りに好きなことをしてきました。そして、今も生きています。降圧剤の服用を服用を止めて、何をするかを考えました。私の身体が持っている自然治癒力に行きあたありました。これに従おうと思いました。自然治癒力を高めることに、自分の力を注ぐことにしました。自分の身体を観察して、何を欲しているのか、それに従うのです。基本的には、食べ物、運動、指圧的なもの。降圧剤の服用を止めて、血圧の測定はほとんどしていません。振り回されますから。感じるだけです。やばそうだとじっとしています。指圧的なことはします。最近は、リンゴ酢に凝っています。飲んでみたら、血圧には効果がありそうに感じたので続けようと思いました。黒酢ものんでるんですけど。酢には、健康パワーがあるようですね。引用も続ける事が必要なようですね。
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今(2024年5月31日)の私

2024-05-31 20:18:08 | Weblog
2024年5月31日(金)
 降圧剤の服用を止めて1年と1ッか月になろうとしている。国は国民に対してすべてのことを公開しないようだ。テレビでも放映しないようだ。最近、高血圧の基準値を変更したようだ。160-100とするようだが、はっきりしていない。135-80も生きているようなのである。患者が、自分で判断しろということか。135にした経緯もうやむやに決めたし、製薬会社や病院も大儲けをした。だが、国民保健機構は耐えきれなくなったのだろう、それで基準値の緩和を決めたのだろう。ご都合主義も、いいことだ。高齢者が増えるのだから、降圧剤の服用者が増加するのだから、保険金の支払いも増える事でしょう。
 万能薬というのがあるらしい。これを服用していると、病気になりにくいらしい。こんなのがあるのなら、国は国民に勧めれば良いのにと、思うけどしないらしい。製薬会社や病院に忖度してるのかな。医師会や製薬会社は、献金をたくさんしてるのかな?
 万能薬は、三つあります。
 一つめは、塩、塩分です。
 二つ目は、クエン酸です。
 三つめは、笑い、です。
この三つは、日頃の生活の中にありますね。ただ、塩は天然のものに限ります。岩塩は、ダメです。ミネラルがないそうです。塩分は、高血圧の悪人に仕立て上げられましたね。特に東北の人たちは、塩分を控えるように言われましたね。塩分を控えたからと言って、血圧はそんなに下がらないそうです。人間の体は、塩がないと生きていけないそうです。昔は、悪人の刑に塩止めの刑があったそうです。減塩を続けると段々気力がなくなるそうです、そして、自殺者が出るそうです。秋田県の自殺者が多いそうです。
 我が家の塩を確認しましたところ、海水からの天然ものでした。一日一回舐めるようにしました。
 次は、クエン酸です。クエン酸は、柑橘類に含まれていますね。ビタミンCなんかも入るようです。殺菌の働きがあるそうです。レモンとか梅干しとかいろいろありますね。日常いつでも手に入りますね。私は、かぼす果汁にハチミツを入れて、毎日飲むようにしています。
 三つ目は、笑うことです。生活の中で、絶えず笑っていると、病気にならないそうです。また、なってもゆっくりとした瀬克をすると、患っていた病気も退散するとか。
 病気の大部分は、生活習慣病だとか。生活習慣病にならないためには、日頃から何をすればよいか。考えてはいかがでしょうか。また、生活習慣病になってしまったら、脱却するには何をすればよいか、考えてみるのも、よいかと思います。言われたことを、自分で確認し、納得して進めることを推奨します。
自分の身体の健康は、自分で守ることが大切です。
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今(2024年5月24日)の私

2024-05-24 16:06:49 | Weblog
2024年5月24日(金)
 脳梗塞による左半身麻痺の後遺症は20年近くのリハビリでも後遺症は残っている。それは、自分の身体の実感として感じているし、動作にも現れている。が、健常者から見ると、見えないかもしれない。階段を下りる動作は、どう見ても何か障害を抱えてる感じに解かる。でも老化にもとれる。左足だけに老化が来るのだろうか。歩くだけでは、麻痺は回復しない。医療機関では、日常生活ができる程度までは、リハビリを実施してくれる。杖を使ってあるけるようになれば、リハビリはm自己に任されるようだ。左手もそうだ。動かせるようになれば、後は本人に任されてしまう。わたしは、音楽が好きで楽器を奏でたい。指が動くようになって、既に十年以上は経っている。けれど、今以って正しく奏でられてない。脳の中の神経回路がいまだリハビリの途中なのだ。ここで諦めたら、今までの努力が水泡になってしまう。神経回路も道半ばだから、どうすれば良いか迷うことだろう。
 脳は、いつでも何かをやっている。それは、私に何の断りもなく、脳は、実行をしている。何をやっているのかは、分からないが、何かをしているのは、わかる。栗本慎一郎が言っていた「マラカスの音」も聞こえる、何のためかは知らない。でも、聞こえる。前頭葉で何かをしている。側頭葉で、あるいは中心部で、頭頂部で、うごめいているのがわかる。ふわふわしてるような感覚もある。血圧が高そうだと感じる時もある。だけど、けつあつは、測らない。測ってもその後の対策がないから。血圧は脳が勝手に決める、必要だからそう判断したのだろう。私は、それに従うだけ、休みたければ休むけど、動きたければ動く、私の勝手に。血圧は絶えず変動している。血圧が上がる要素は、失くしたい。その一つに体重がある。自分の標準体重とやらに近づけたいと思っている。以前は、66Kg台の体重を63Kg台にしたい。と思いつつ運動や食事法を実施して数ヶ月になるがm現時点で64Kg台が垣間見えてきた。体重も絶えず変動している。朝夕測定しているが、夕の体重を何とか、64Kgに定着させることを、現時点の目標にしている。新陳代謝量は、減らしたくない。今後も、現在実施していることを継続する。継続することは、大変な努力を必要としています。
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今(2024年2月16日)の私

2024-02-16 10:36:20 | Weblog
2024年2月16日(金)
立春も過ぎ、気温は目まぐるしく変動をする時期を迎えている。
私にとって、大変な時期なのだ。以前に比べ寒さに強くなった
とはいえ、20度以上ならば防寒を考えなくても良いが、風が
吹けば別である。15度までは多少の間は、我慢できるが、それを
超すと寒さに震えることとなり、直ぐに温かくしなければ何も
出来ない状態に陥ってしまう。15度以下では、即防寒を整え
なければならない。家の中でも、絶えず室温をチェックしている。
こまめにエアコンをオン/オフを行っている。昨今の電気代を節約のためです。
 午前中のルーチンは、朝食をとり、体操を行い、室内で早足ウォーキング
を行ってストレッチを行い、楽器の練習。これがいまの午前中の
定番メニューです。朝食の目玉は、半熟のゆで卵です。卵は、
ほとんどの栄養素を含んでいます。無いのはビタミンC と食物繊維
だそうです
早足ウォーキングは1分間に140歩位で約20分歩きます。
そうすると、左足の弱さが身にしみます。同時に手を合わせて行うと
まともには歩けません。一番の問題は、疲れて左足が上がらなくなり
速さについて行けなくなることです。バドミントンもしてますが、
素早い動きに右足は対応できても左足の対応が遅く右足が対応
してしまうためケンケンの状態になってしまうのです。これを
打破するには、早足ウォーキングを続けて左足を鍛える必要が
あります。私の場合は、筋肉の問題ではなく、脳の神経回路の
問題です。筋肉を動かしているのは、脳からの指令です。何が
難しいのかといえば、オン/オフです。曲げて伸ばすを同じ筋肉で
繰り返すことが必要です。私たちは、歩くときどれだけの筋肉が同期を
鳥ながら動いているのか、詳細にはしりません。これは、同じ動作を
続けて行って、スムーズに動くには何が必要なのかを、脳に教える
必要があるのです。それを脳が学習し納得したら神経回路を作成あるいは
修正するのです。能が納得するまでのどのくらいかかるかは、わかりません。
それまで続ける必要があります。途中で止めたら、御破算になるので
しょうね。
これは、足の話でしたが、手も同じなのです。
わたしは、音楽を楽しみたい一心で楽器も練習しています。
両手の指を使います。右手は当然何の問題もありません。左手が
問題です。最初は、指が動くかが問題でした。4・5年で指の骨が動いた時は
直ぐに音楽が出来ると思いました。あれから10年は経ちましたが今
もって途上にある状態です。最近気がついたのです。神経回路は、幹から枝、
枝から葉へとしか回復しないのだと。順番があるのだと。楽器の奏でたい
一心で指の操作をメインで行っていました。が、二、三年前左手の
可動域が狭まっている感じがしたので、病院へ行きリハビリを再開し、
可動域確保しました。楽器の練習と並行して左手も動かすように
しました。ここ数ヶ月は、ラジオ体操も行っています。すると、
神経的な痛みが肩から肘へと移ってきたのです。ここで肘も動かさねば
いけないと感じ、いまでは肘の曲げ伸ばしを実行しています。
行っていると、それに伴って、肩側の対応があるのでしょうね、また
肩がわに神経的な痛みが発生しました。でも以前の痛みとは違って
います。今からは、楽器の練習もしながら、肘の動作も続けて行く
こととします。継続がどうしても必要です。
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今(2024年1月22日)の私

2024-01-22 23:32:52 | Weblog
2024年1月22日(月)
二十四節季の「大寒」を過ぎた。寒波が来るらしい。。
寒さに強くなったと言ってるが、長時間は無理だ。気温が
15度を下回ってくると、防寒を急がねば、大変なことになる。
身体が冷えてくると、ガタガタと震えが来るのだ。来てしまってから
防寒をしても、もう遅い。布団にくるまって、暖かくなるまで
ガタガタと震えるしかない。そして血圧が上昇してるのじゃないか
不安になるが仕方がない。自分の身体を信じて耐えるしかない。
そのために、運動をしたり、食事に気を付けたりしているのだ。
焦らずに、じっと布団の中で暖かくなるのを待つだけだ、それしかない。
 日々のルーチンにストレッを追加した。筋肉を柔らかくしたい。血管の
筋肉だ。一番怖いのは、【動脈硬化】だ。そのために運動を続けている。
それなりに自信があるので多少な無理もしている。
最近、外は冷たい風が吹くので、室内ウォーキングを実施している。
特に早足ウォーキングをしている。すると、左足の欠陥があぶりだされて
しまうのだ。足を上げる力の弱さが露見してしまう。いまは、それを気にしながら
実行時間を全うしている。ローマは一日にしてならず、を胸にし、
ひたすら継続をするのみ。
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今(2024年1月11日)の私

2024-01-11 21:36:03 | Weblog
2024年1月11日(木)
ルーチンとして始めたことは、毎日こなしているが、問題が
ないわけじゃない。ウォーキングも楽器の練習も、左半身麻痺の
後遺症が色濃く影響を及ぼしている。ウォーキングをすると、
左足の動きの悪さが突き付けられる。そのことを何とかしようと
するけど、次なる弱さが目に見えるようになる。体操やウォーキングを
することにより、以前よりは良くはなっているけど、以前より
多くの課題が己の身体自身に突き付けられてくる。それら諸々を
背負いながら体操や、ウォーキングを日々実行している。これしか
解決方法は無いのです。ちなみに、たいそうはラジオ体操第一・二・三
の三つです。ウォーキングは、早足ウォーキング20分と室内ウォーキング
40分です。左足のスタミナと腿上げとジャンプが課題です。
 楽器の練習も左手の指の動きが課題です。こちらもほとんど毎日
練習しています。以前より多少良くなっていて音楽を少ない時間ですが
楽しめています。こちらも指のスタミナですね、調子は、その日
やってみないと分からないのです。昨日出来たからと言って今日も
出来るとは誰も保証はしてくれないのです。積み重ねができないのです。
取り敢えず、勝手に決めた基本の練習を毎日やっています。始めは
薬指が課題でしたが、人差し指がと思い、次には親指にも課題が
移っていくのです。少しづつですが、良くはなっているようですが
それと同時に課題も現れてくるのです、堂々巡りの様相です、が
音楽をどうしても楽しみたいので堂々巡りをしています。
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今(2023年12月31日)の私

2023-12-31 19:07:06 | Weblog
2023年12月31日(日)
一年を振り返ると
 5月に降圧剤の服用を止めどうすれば元気な人生を送れるかを
考えた結果、自然治癒力を強くすることだと、考えた。これは、
自己の免疫力を強めることにつながる。
これは生活習慣病からの脱却することなのだ。生活習慣病には、
薬なんてないそうだ。
 推奨策は、運動をすること、食事に気を付ける事いがいにないそうだ。
それを受けて体操と歩くことを始めた。
体操は、ラジオ体操第三を見つけて実行している。歩くことは、
早足ウォーキングを室内で実施している。やってみて分かったことだが
左半身麻痺だった私の左足と左手は20年近くも経っているが、全然回復して
いないことを突き付けられた。今からやるしかない。毎日続けるしかない。
継続することが大事だと言っているけど、継続の難しさを感じている。
何度も何度も挫折してまった。そして何度も何度も始めた。まるでイタチごっこを
続けてしまった。終わらせるか?終わりそうにない。これからも同じことを
していくだろう。色んなことをやっていくと、身体に変化が現れる、
それを感じることが大事だ。自身の身体を絶えず監視することがとても大事な
ことなのだ。それによって対処することが可能になってくる。
その一つ対処方法が指圧です。指圧は、自分でもできます。本も
沢山でています。その中から自分い合ったものを選べば良いわけです。
それを続けていけば良いわけです。だけど続けるのが難しいのです。
明日からは続けようと思います。
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