これは私が読んだ唯一の芥川賞受賞の小説である。文芸春秋に掲載されていた此の小説がいつ発表されたかは、確実に思い出せる。
というのは、大学2年の春から翌年1月まで私は家庭教師をしていた。
当事、 (現在も在るのどうか知らないが、目黒、蒲田間を走っていた) 目蒲線での電車の中で、当該雑誌で読んだのだった。
私は目黒から、その電車に乗っていたのだが、バイト先は終点:蒲田の一つ手前の、確か「矢口の渡し」という小さな駅で下車し、徒歩数分の所だった。今思えば、まさに「3丁目の夕日」だかに登場しそうな昭和の狭い商店街を通ったものだ。
私は今でもそうだが面白くない本は直ぐ放り出す。この小説は私は終わりまで読んだのだから面白かったのだろう。この小説に登場する人物たちは、60年安保闘争に挫折した若者達だが、語り手である「私」の友人達は全て自殺し、小説の内容は、その遺書から成立していた、と記憶している。
芥川賞選定委員の間で此の小説が芥川賞にするかどうか議論されたとき、多くの委員が此の小説の、類型さ・・・つまり余りに多い自殺者の登場が問題にされ、賞の候補に値しないと評価されたとき、石川達三が此の小説を擁護したという。その理由は此の小説には、まぎれもない青春が描かれている、と強く擁護した・・・ということを私は此の雑誌に書かれていた芥川賞選定理由で読んだ記憶がある。
60年安保闘争と言えば、私より先輩にあたる学生運動家達になるが、此の小説を読んでみれば、ここに登場する学生達の挫折感には、なるほど私も共感するものもあり、石川達三の此の小説への評価には私は好感がもてたものだった。
私は、いわゆるノンポリだったが、私の学生時には未だ学生運動は盛んで大学には「立て看」が並び、例の安田講堂攻防戦が始まる頃であり、私は此の小説を或る切実感を持って読んだものだった。
私の友人に、理系にも関らず、いつも文庫本を読んでいる男がいて、その友人に此の小説が面白かったと告げたら、彼は未だ読んでいなかったらしいが、「福永武彦の『草の花』みたいだな。」と言ったことを私は今でも覚えている。
この小説は石川達三の評するように、確かに「青春の時期」が描かれていたと私も思う。しかし今振り返ってみると、その青春には、たとえ自殺する煩悶があるにせよ、やはり若さという何よりも換えがたいモノがあったはずであり、きつい言葉になるかも知れないが、そのような青春は甘いと、今の私は言わざるを得ない。
***
当時私は「3丁目の夕日」をあびながら、バイト先へと通っていたが・・・確か、毎週、木曜日だと記憶しているが・・・、私は、そのとき、いつも、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』が私の頭の中で響いていた。これも私の青春の一時期に違いなかった。
この『されど我らが日々ーーー』の巻頭言には次のアポリネールの詩が掲載されていたのも覚えている。
思い出は狩りの角笛 風の中で声は死にゆく
というのは、大学2年の春から翌年1月まで私は家庭教師をしていた。
当事、 (現在も在るのどうか知らないが、目黒、蒲田間を走っていた) 目蒲線での電車の中で、当該雑誌で読んだのだった。
私は目黒から、その電車に乗っていたのだが、バイト先は終点:蒲田の一つ手前の、確か「矢口の渡し」という小さな駅で下車し、徒歩数分の所だった。今思えば、まさに「3丁目の夕日」だかに登場しそうな昭和の狭い商店街を通ったものだ。
私は今でもそうだが面白くない本は直ぐ放り出す。この小説は私は終わりまで読んだのだから面白かったのだろう。この小説に登場する人物たちは、60年安保闘争に挫折した若者達だが、語り手である「私」の友人達は全て自殺し、小説の内容は、その遺書から成立していた、と記憶している。
芥川賞選定委員の間で此の小説が芥川賞にするかどうか議論されたとき、多くの委員が此の小説の、類型さ・・・つまり余りに多い自殺者の登場が問題にされ、賞の候補に値しないと評価されたとき、石川達三が此の小説を擁護したという。その理由は此の小説には、まぎれもない青春が描かれている、と強く擁護した・・・ということを私は此の雑誌に書かれていた芥川賞選定理由で読んだ記憶がある。
60年安保闘争と言えば、私より先輩にあたる学生運動家達になるが、此の小説を読んでみれば、ここに登場する学生達の挫折感には、なるほど私も共感するものもあり、石川達三の此の小説への評価には私は好感がもてたものだった。
私は、いわゆるノンポリだったが、私の学生時には未だ学生運動は盛んで大学には「立て看」が並び、例の安田講堂攻防戦が始まる頃であり、私は此の小説を或る切実感を持って読んだものだった。
私の友人に、理系にも関らず、いつも文庫本を読んでいる男がいて、その友人に此の小説が面白かったと告げたら、彼は未だ読んでいなかったらしいが、「福永武彦の『草の花』みたいだな。」と言ったことを私は今でも覚えている。
この小説は石川達三の評するように、確かに「青春の時期」が描かれていたと私も思う。しかし今振り返ってみると、その青春には、たとえ自殺する煩悶があるにせよ、やはり若さという何よりも換えがたいモノがあったはずであり、きつい言葉になるかも知れないが、そのような青春は甘いと、今の私は言わざるを得ない。
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当時私は「3丁目の夕日」をあびながら、バイト先へと通っていたが・・・確か、毎週、木曜日だと記憶しているが・・・、私は、そのとき、いつも、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』が私の頭の中で響いていた。これも私の青春の一時期に違いなかった。
この『されど我らが日々ーーー』の巻頭言には次のアポリネールの詩が掲載されていたのも覚えている。
思い出は狩りの角笛 風の中で声は死にゆく