「子供の貧困」の存在も精神医療の現場でも日々実感される。
低収入、高失業率、不安定な雇用という厳しい労働市場。
その中でセーフティネットが乏しいが故にNoと言えない労働者。
住宅政策のとぼしさによるハウジングプア。
その周辺には貧困を喰いものにするハゲタカのような貧困ビジネスの隆盛。
社会の余裕の無さは弱者たる子供たちに真っ先に影響する。
家族や地域社会が崩壊していく中で親に対するソーシャルサポートの乏しさは明らかだ。
社会的に疎外された家族、子供は悪循環の中で苦難の道をすすむ。
貧困が結果として虐待や育児放棄につながり、思春期以降の不登校や引きこもり、非行のなどへとつながる。
教育は重要な「溜め」の一つであり財産である。
しかし子どもが教育を受けられるかは、家族の教育に対する意識や、経済的な余裕などに左右される。
学力観や情報の格差もあり学歴が世代を超えて同じ形で受け渡されていく。
学歴は社会に出る前の段階で親の影響を強く受けながら手にする人生の切符のようなものであるが、教育を受けられなかった子供は人生の初めの段階でチャンスを剥奪され将来の生活リスクを背負うことになる。
これは社会にとっても大きな損失だ。
若者が教育を受けられなかったために生活リスクを負い、苦難の人生を歩まざるを得ないことを自己責任論では片付けられないだろう。
教育への意識や情報の格差へのアプローチするために和田秀樹は「受験のシンデレラ」という映画を作った。モナコ国際映画祭でグランプリをとったらしい。
低予算なのだがストーリーもしっかりしておりキャラも立っていて楽しめる(泣ける)映画だった。
子供の貧困は複合的な要因からおこっており、その改善のためには多種多様な人々の協同作業や連携が欠かせない。
広義のソーシャルワーカーと呼びうる保育士、保健師、民生委員、看護師、医師、学校の事務職、養護教諭、教員、弁護士、自治体職員たちの声を通じて、子供たちの声にならない声を社会に向かって届け、社会全体で子供を育てるという意識をつくっていかねばならない。
民主党の政策、子ども手当てはその第一歩だろうが、多いに議論すべし・・。