福祉ネットワーク、「認知症 社会的入院を減らせ」をみました。(11月2日(水)午後(昼)0:00~0:29に再放送があります)
認知症への取り組みでは有名な石川県立高松病院の北村 立 先生医師が率直に語られていたのが印象的でした。
「こういう感じで全然物がないという状況です・・」
「やっぱり精神科の病院は生活する場所ではないので」
「安全管理も最近うるさく言われますから・・」
「半分くらいは老人ホームに行ってもみれる人だと思う。」
「生活を支えていく時に医者の力なんてほとんどなくて・・・」
石川県立高松病院の取り組みは退院前にケア会議をもったり、ケアマネと医師が直接話したり、病棟看護師が訪問したり・・・。
まぁ、当たり前のことなんですが・・・。
ゲストの群馬大学の山口晴保教授は
ということを訴えていました。
それをどうやって実現するかということに関しての議論はあまりなかったと思います。
NHKもそうですし、大熊夫妻をはじめジャーナリストの中には精神科病院や精神科医を仮想敵として目の敵にする方が多い様です。
大熊由紀子氏は次のように述べていました。
「生活感のない病院の環境は認知症の症状を悪化させることを日本の精神科医は認識すべき。」
「精神科病院への入院が、生きがいや誇りをはぎ取ることは、誰にでも想像できます。」
確かにひどい有り様の病院はあるでしょう。
しかし高齢者を不幸にしてやろうとおもってやっている現場のスタッフはいないと思います。
本当に問題にすべきは隔離、収容してきた社会の在り方だと思います。
認知症高齢者は社会的弱者です。
弱者を救うのは文化ですが、社会が弱者へ対して冷たい処遇をするとすれば、それはその社会の貧しさ現れでしょう。
また、スタッフの認知症の人への対応の仕方に関しても、介護福祉施設の方が優れていて病院が劣っているなんてことは一概にはいえません。
施設でも劣悪なケア体制のところはあり、病院でも、丁寧なケアを優秀なスタッフがおこなっているところもあるでしょう。
毎日新聞も同じ調子の論調です。
「入院病棟の医療スタッフの「認知症観」は、地域生活の現実感が抜け落ちているのではないかと思えてくる。」
ということですが、ではどうすれば解消できるかと言う方向に議論をすすめてもらいたいものです。
「病院は治療の場であって生活の場ではない。介護施設やグループホームとは異なる。狭くて劣悪な入院病棟の片隅で人生の最晩年を送るよりも、やはり介護のある生活の場でお年寄りたちに暮らしてもらいたい。」
というのであれば、精神科病院をより生活の場に近づける努力をしつつ、病院の人材が地域と混ざり合い、在宅支援をおこなったり、地域にケア付きの住宅を星の数ほどつくってゆけるような方向性をしめしていくべきでしょう。
医療従事者だって家に帰れば生活者のはずなのですが、医療に生活の視点がなくなったとすれば、あまりに忙しすぎるか、分業化、専業化の弊害が出ているのだと思います。
入院に頼らず安心して地域で暮らし続けられるための環境整備をするために、そして入院しても生活の視点を持ち続けられるために、病院の病棟スタッフ(特に若い看護師や医師、リハセラピストなど)がなんとか地域に出られる仕組みが作れないものかと思っています。
そのための仕掛けのひとつとして在宅医療支援病棟があると思います。
かつて在宅医療の仕組みがいまほど洗練されていなかった頃、在宅患者や家族からの電話は24時間動いている在宅バックアップの病棟が受けていました。
精神科の病棟には、入退院を繰り返している、おなじみの患者さんからのさまざまな電話がかかってきます。
拘束の医師とも連絡がとれる体制になっていますし、知っている看護師と少し話せば落ち着くことが多いです。
ディケアには行かなくても外来などで受診したり、作業療法などで病院に来た際に病棟でくつろいでいく患者さんもいます。
(病院全体をディケアのように利用されている患者さんもいます。)
皆で支えていると言う雰囲気がとてもいいと思います。
総合病院の精神科病棟というのは精神症状+身体合併症をかかえる方や、急性期の精神症状や危機介入、それから福祉の網の目をすり抜けて来た人を受け止めるセーフティーネットでもあります。
バザリア法で精神病院を段階的に廃止したイタリアでも総合病院や保健センターに緊急ベッドはあります。
精神科は支援や医療を上手にうけること自体に支援が必要な人を対象とした科です。
精神保険指定医の診察のもと本人の同意を得られない入院(医療保護入院、措置入院)になる場合もあります(精神保健福祉法という法律で厳しく規制、監視されており簡単には出来ません。)
医療・福祉のバックエンドとして多目的にに使うことができますが、家族や地域に乞われるまま、無制限に入院を受けることは出来ません。限られたリソースをどう使っていくかということを行政や住民とともに考えていくことは社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)につながります。
診療報酬を決めるロビー団体が単科の民間精神病院が中心のため総合病院精神科病棟は構造上赤字になりやすく、また医療を上手に受けられない人を支援しつつ他科に動いてもらうということには非常にエネルギーを使うため精神科医にも人気がありません。
絶滅寸前ですが、適度な数の総合病院精神科病棟というのは地域医療にとって非常に有用だと思います。
また病院から飛び出て在宅医療をはじめた人の中には、高齢者や難病の在宅医療でも精神障害者への在宅医療でも、病院に敵対するような態度を取ったり意図的に無視したりする方もいます。しかし、病院と在宅は対立構造ではありません。
都市部を中心に在宅支援診療所が在宅医療の主流のようになっていますが、在宅医療に特化した診療所がなりたつためにはある程度の人口集積が必要です。
特に地方ではコンパクトな認知症対応の在宅医療支援病棟が核となっての地域支援という在り方もありうるのではないかとおもいます。
(もちろん小規模多機能+診療所や、医療強化型老健などでもいいと思いますが。)
病棟にスタッフを多くプールしておいてそこから訪問にも行けるようなモデルはできないものでしょうか?
精神医療において流行の都市型のACT方式がとれるほどの規模、地域情勢にはない当院では、主に統合失調症の患者さんですが、そのような関わり方のモデルを模索しています。
石川誠らが近森病院でモデルとして示して制度化された回復期リハビリテーション病棟が中小規模病院の救世主になったのと同時に、大病院の中ではチームアプローチとリハビリテーションのモデルを示しました。(「夢にかけた男たち」、「東京へこの国へリハの風を」という本に詳しいです。)
これと同様に認知症ケアや在宅医療に関しては総合病院精神科病棟の復活や在宅医療支援病棟が一つの解答になとなる思っています。
認知症への取り組みでは有名な石川県立高松病院の北村 立 先生医師が率直に語られていたのが印象的でした。
「こういう感じで全然物がないという状況です・・」
「やっぱり精神科の病院は生活する場所ではないので」
「安全管理も最近うるさく言われますから・・」
「半分くらいは老人ホームに行ってもみれる人だと思う。」
「生活を支えていく時に医者の力なんてほとんどなくて・・・」
石川県立高松病院の取り組みは退院前にケア会議をもったり、ケアマネと医師が直接話したり、病棟看護師が訪問したり・・・。
まぁ、当たり前のことなんですが・・・。
ゲストの群馬大学の山口晴保教授は
①認知症のBPSDの悪化を防ぎ、精神科病院への入院を減らそう。
②精神科病院は治療の場であり生活の場ではないので、たとえ入院した場合も早期に退院させよう。
③社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)
②精神科病院は治療の場であり生活の場ではないので、たとえ入院した場合も早期に退院させよう。
③社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)
ということを訴えていました。
それをどうやって実現するかということに関しての議論はあまりなかったと思います。
NHKもそうですし、大熊夫妻をはじめジャーナリストの中には精神科病院や精神科医を仮想敵として目の敵にする方が多い様です。
大熊由紀子氏は次のように述べていました。
「生活感のない病院の環境は認知症の症状を悪化させることを日本の精神科医は認識すべき。」
「精神科病院への入院が、生きがいや誇りをはぎ取ることは、誰にでも想像できます。」
確かにひどい有り様の病院はあるでしょう。
しかし高齢者を不幸にしてやろうとおもってやっている現場のスタッフはいないと思います。
本当に問題にすべきは隔離、収容してきた社会の在り方だと思います。
認知症高齢者は社会的弱者です。
弱者を救うのは文化ですが、社会が弱者へ対して冷たい処遇をするとすれば、それはその社会の貧しさ現れでしょう。
また、スタッフの認知症の人への対応の仕方に関しても、介護福祉施設の方が優れていて病院が劣っているなんてことは一概にはいえません。
施設でも劣悪なケア体制のところはあり、病院でも、丁寧なケアを優秀なスタッフがおこなっているところもあるでしょう。
毎日新聞も同じ調子の論調です。
「入院病棟の医療スタッフの「認知症観」は、地域生活の現実感が抜け落ちているのではないかと思えてくる。」
ということですが、ではどうすれば解消できるかと言う方向に議論をすすめてもらいたいものです。
「病院は治療の場であって生活の場ではない。介護施設やグループホームとは異なる。狭くて劣悪な入院病棟の片隅で人生の最晩年を送るよりも、やはり介護のある生活の場でお年寄りたちに暮らしてもらいたい。」
というのであれば、精神科病院をより生活の場に近づける努力をしつつ、病院の人材が地域と混ざり合い、在宅支援をおこなったり、地域にケア付きの住宅を星の数ほどつくってゆけるような方向性をしめしていくべきでしょう。
医療従事者だって家に帰れば生活者のはずなのですが、医療に生活の視点がなくなったとすれば、あまりに忙しすぎるか、分業化、専業化の弊害が出ているのだと思います。
入院に頼らず安心して地域で暮らし続けられるための環境整備をするために、そして入院しても生活の視点を持ち続けられるために、病院の病棟スタッフ(特に若い看護師や医師、リハセラピストなど)がなんとか地域に出られる仕組みが作れないものかと思っています。
そのための仕掛けのひとつとして在宅医療支援病棟があると思います。
かつて在宅医療の仕組みがいまほど洗練されていなかった頃、在宅患者や家族からの電話は24時間動いている在宅バックアップの病棟が受けていました。
精神科の病棟には、入退院を繰り返している、おなじみの患者さんからのさまざまな電話がかかってきます。
拘束の医師とも連絡がとれる体制になっていますし、知っている看護師と少し話せば落ち着くことが多いです。
ディケアには行かなくても外来などで受診したり、作業療法などで病院に来た際に病棟でくつろいでいく患者さんもいます。
(病院全体をディケアのように利用されている患者さんもいます。)
皆で支えていると言う雰囲気がとてもいいと思います。
総合病院の精神科病棟というのは精神症状+身体合併症をかかえる方や、急性期の精神症状や危機介入、それから福祉の網の目をすり抜けて来た人を受け止めるセーフティーネットでもあります。
バザリア法で精神病院を段階的に廃止したイタリアでも総合病院や保健センターに緊急ベッドはあります。
精神科は支援や医療を上手にうけること自体に支援が必要な人を対象とした科です。
精神保険指定医の診察のもと本人の同意を得られない入院(医療保護入院、措置入院)になる場合もあります(精神保健福祉法という法律で厳しく規制、監視されており簡単には出来ません。)
医療・福祉のバックエンドとして多目的にに使うことができますが、家族や地域に乞われるまま、無制限に入院を受けることは出来ません。限られたリソースをどう使っていくかということを行政や住民とともに考えていくことは社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)につながります。
診療報酬を決めるロビー団体が単科の民間精神病院が中心のため総合病院精神科病棟は構造上赤字になりやすく、また医療を上手に受けられない人を支援しつつ他科に動いてもらうということには非常にエネルギーを使うため精神科医にも人気がありません。
絶滅寸前ですが、適度な数の総合病院精神科病棟というのは地域医療にとって非常に有用だと思います。
また病院から飛び出て在宅医療をはじめた人の中には、高齢者や難病の在宅医療でも精神障害者への在宅医療でも、病院に敵対するような態度を取ったり意図的に無視したりする方もいます。しかし、病院と在宅は対立構造ではありません。
都市部を中心に在宅支援診療所が在宅医療の主流のようになっていますが、在宅医療に特化した診療所がなりたつためにはある程度の人口集積が必要です。
特に地方ではコンパクトな認知症対応の在宅医療支援病棟が核となっての地域支援という在り方もありうるのではないかとおもいます。
(もちろん小規模多機能+診療所や、医療強化型老健などでもいいと思いますが。)
病棟にスタッフを多くプールしておいてそこから訪問にも行けるようなモデルはできないものでしょうか?
精神医療において流行の都市型のACT方式がとれるほどの規模、地域情勢にはない当院では、主に統合失調症の患者さんですが、そのような関わり方のモデルを模索しています。
石川誠らが近森病院でモデルとして示して制度化された回復期リハビリテーション病棟が中小規模病院の救世主になったのと同時に、大病院の中ではチームアプローチとリハビリテーションのモデルを示しました。(「夢にかけた男たち」、「東京へこの国へリハの風を」という本に詳しいです。)
これと同様に認知症ケアや在宅医療に関しては総合病院精神科病棟の復活や在宅医療支援病棟が一つの解答になとなる思っています。