集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
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霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第41回・早大エースの誕生と、打撃開眼のオッチャン)

2019-05-06 12:50:44 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 昭和2、3年度における早大の不振にはふたつの明確な原因が存在していました。「投手力不足」と「斬り込み隊長の不在」です。
 監督の市岡忠男以下首脳部はその問題を解消すべく、活発な動きを見せます。

 慶大の宮武・浜崎、明大の中村峯・中津川・中村国、東京帝大の東などと比べた場合、これまでの早大投手陣(源川・朝倉・水上・高橋)は実戦経験こそ豊富ではあるものの小粒感が否めず、優勝決定戦や早慶戦などの大一番を「位負け」で落としがちでした。
 どんな大試合でも平然と投げられる超弩級のエースが欲しい!早大は総力を挙げ、ついに待望の麒麟児を獲得します。その名は小川正太郎。
 紀和地区で永年無敗を誇る和歌山中学のエースだった小川は「不世出」と謳われた華麗な投球で昭和2年の選抜を制覇。大阪毎日新聞が用意した「優勝校アメリカ行き」第一号をゲットした、中等球界きっての左腕です。
 小川の1年先輩である伊達正男(市岡中)は、小川をこのように評しています。
 「182センチという中学生ばなれした長身を、鞭のように使って左腕から投げ下ろす速球にはスピードがあって、ドロップ(タテのカーブ)に一層の威力が加わり、そのドロップも、打者の手元へきて変化する。そのうえ胸元にきてホップする速球を交えての投球には手も足も出ず、沈黙させられたものであった。」
 この年は小川以外にも、昭和3年に関西学院中がセンバツを制した時の小さき大エース・悳(いさお)宗弘、オッチャンとともに柳井中学で戦った清水光長も入部するなど、早大投手陣は目覚ましい増強を果たします。

 次に解決すべきは「切り込み隊長の不在」。
 当時の早大は伊丹安廣・伊達正男・森茂雄・矢島粂安と、ロングヒッターは多士済々でしたが、1・2番打者を任せられるような、選球眼がよく、確実に出塁してくれる選手がなかなか登場しませんでした。
 いくらロングヒッターが後に控えていても、その前にランナーとなる人間がいなければ得点力の増強には結びつかない。明治の銭村、慶應の楠見に比する、パンチ力のある切り込み隊長がぜひ欲しい!そんな思いを抱いていた市岡監督の前に急浮上してきたのが、ある打撃方法に開眼しつつあったオッチャンの姿でした。

 前年度までのオッチャンは、柳井中学で四番を打っていたころの打撃をやめられず、バットをやや立てて構えてフルスイングする、一発狙いのスイングが多く見受けられました。
 現代では当たり前に行われている「バットを立てて構える」打法ですが、当時は余程のパワーヒッター以外は絶対にやらない打法でした。
 戦前のボールは、芯となるゴムや毛糸の質が悪かったために飛びにくく、ほとんどの打者はバットを担いで寝かせて構え、打点を前においてミートする短打法を採っていました。
 従って、当時はかなりの強打者でもバットを寝かせて構えており、宮武三郎や松木謙治郎といったロングヒッターであっても、バットを寝かせていました。右打者である宮武は右ひじの上にバットを持たせかけるような寝かせ方、左打者である松木は完全に左肩に担いだ構えです。
 オッチャンは当時のスタンダードであった短打法を窮め、確実に出塁できる打者への脱皮を遂げようとしていたのです。
 幸いオッチャンにはもともと、鋭い選球眼、野球選手としては並外れたリストの強さがありました。これらは全て、岩国中学時代に野球とともに熱中し、人並み以上の腕を持つに至った剣道によって培われたものですが、意外なところで意外なものが役に立ったわけです。

 後日オッチャンが自著で「私独特の打法」と称したこの打法がいかなるものであったのか?これはのち、オッチャンの「直弟子」といっていい存在となる岡村寿(岩国高-早大中退、東洋紡岩国)が、自伝「青春・神宮くずれ異聞」(防長新聞社)に詳しく書き残しています。ちょっと長くなりますが引用します。
「打撃指導は徹底した右翼打ちで、バットを肩にかついで、バットの先端が見えるほど上体をねじってかまえる。」
 そんなことをしたら内角のタマが打てないのでは…という懸念は無用。
「内角球がかんたんに打てるような投手が相手なら、練習などしなくてもいい。近目は注文をつけて振らず、外角球一本に狙いをしぼる。こうすれば、逃げるカーブなどにはひっかからない。相手投手は苦しくなり、コースは甘くなる。それを右翼に狙い打つ。」
 オッチャンの放つ打球は、日増しにその鋭さと確実性を増していきます。その打撃を、切れ者と名高い市岡監督が見逃すはずはありませんでした。
 
【第41回参考文献】
・「杉田屋守 私の野球生活」杉田屋守著 杉田屋卓編 私家版
・「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編
・「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社
・「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
・「新聞記者が語り継ぐ戦争9 戦没野球人」読売新聞大阪社会部 
・「青春・神宮くずれ異聞 宮武三郎と助っ人のわたし」大島遼(岡村寿) 防長新聞社