前回投稿からメチャクソ時間が経過してしまい、本当に申し訳ございませんでした…などと言いつつ、新規記事不在時の閲覧者数を眺めてみると、なんと驚くことに1日当たり100人程度が来訪されている…旧ブログから「集成」に一本化してはや10年弱、記事の総数も400くらいになったので、もう自動運転しているような状態ですね…昔の自分に助けてもらっているようで、なんだか気色悪い(-_-;)。
それはさておき、前回に続き、四股のお話です(おそらく四股話の最終回)。
当初、四股に関する何か一つのテーマについて書こうかなと画策していたのですが、毎日四股を踏む過程で、さまざまなことが自分なりに、どんどん「理解」できたので、今回はその気づきをQ&A方式で短く羅列する形式でお送りし、四股研究論を一旦収めたいと思います。
Q1 腰を割った状態から足を上げる際、まずどこに力を入れるべきか?
A1 広背筋下部。広背筋下部を締めた力が、そのまま中殿筋の起始となる部位(骨盤の横)に入ることが望ましい。
中殿筋がしっかり作用し、骨盤の外旋がかかれば骨盤前面についている各種小筋群が十分にストレッチされ、いわゆる「つながり」がしっかり生まれる。
ろくでもない相撲指導者やスポーツ指導者が「太もも(特に大腿四頭筋)に力を入れろ」などと教えていることがあるが、百害あって一利ないのでやめること。
Q2 脚を上げた際、脚は伸ばすべき?曲げるべき?
A2 広背筋を締め、中殿筋をしっかり使い、骨盤の外旋を強くかけたければ「曲げる」一択。というか解剖学上「片足を上げて骨盤の外旋を強くかける」という動作を第一義である場合、膝と足首がだいたい90度くらいに曲がっていなければ、強い外旋はかからない。
脚を上げ切ったフィニッシュの瞬間に両足を伸ばす四股を否定はしないが、それは「バランス感覚を養う」とか「大腿四頭筋を強く使う」とか、目的をもって行うべきであり、常態的に行う性質のものではない。
Q3 昔から言われる「上体を立てて四股を踏め」は本当か?
A3 本当。というか、上体が立っていない四股(猫背で踏む四股)は、カロリー消費以外の効果がない「やじろべえの四股」にしかならない。
脚を下ろしてから腰を割った際、上体が立っていれば骨盤前面の小筋群や中殿筋、あるいは中殿筋とつながる腹筋に強いストレッチがかかるが、猫背の場合負荷が全て大腿四頭筋に入る。「身体のブレーキとなる筋肉を鍛えるのが好きでたまらない」のなら止めないが…
Q4 四股はたくさん踏まないとダメなのか?
A4 股の固い現代人が健康維持目的で行うなら合計数十回でじゅうぶん。強くなりたければ50~100回単位でたくさん踏まなければダメ。
なぜ「強くなりたければたくさん踏め」なのかというと答えは簡単、「四股は純然たる筋トレではなく、身体に対する技術練習だから」。
四股は筋トレとしての効果も高いが、それ以上に「体をうまく使うための技術トレ」としての色合いが強い…というより、それが一番目の目的である。
日常生活で何気なく行っている「歩行」の悪癖(骨性支持や腱弾性を使用した動きなど)を矯正し、「全身の力を協応させる」動きを無意識に発揮するための技術的トレーニング、それこそが四股である。
(そういった意味で四股は「空手の型」と存在意義や目的が非常に似通っている)
「北斎漫画」に描かれている初期の四股が、現在のように四股立ち→腰を割る→足を上げるではなく、略直立の状態から片足だけをヒョイと上げているものだった(=筋量や筋力を増やすことでなく「バランスの技術練習」に主眼が置かれている)ことも、その証左である。
また「技術」は、人間の体内から消失してしまうのが物凄く速い。
よくプロアスリートや一流芸術家が「1日練習をサボったら、取り戻すのに何日かかかる」と口にしているが、「片足で立つ」という非日常的な動きを取り入れている四股にも同じことが言える。
従って四股は、その目的が「健康維持」ではなく「強くなるため」である場合、
・技術練習の観点からは「技術は継続的な反復練習が要る」という点から
・筋トレ的観点からは「メカニカルストレスがかけられない運動なので、ケミカルストレスで対応する」という点から
たくさん踏むべからざるものである(べからざるもの=「しなければならない」のより強い表現)。
Q5 四股は毎日踏んでいいのか?他の筋トレのように適当に休んで「超回復」を目指すべきでは?
A5 毎日踏んで全く問題ない。疲労が蓄積して実行できない場合は適宜休むべきだが、「毎日やってはいけない理由」は一切存在しない。
四股はその第一義が技術練習であるため、1回1回の負荷自体がそう強いものではない(運動慣れしていない、あるいは股関節がとてつもなく固い人は別)だからこそ「毎日できる」。
身体が疲労している際に無理をする必要はないが、「毎日やってはいけない」という論を後押しするものは何一つない。
Q6 四股を踏む際、ダンベルを持つなどして負荷をかけることは有効か?
A6 全然有効ではない。むしろ上達を阻害するので即座にやめること。
以前弊ブログで「ゴルフ素人オヤジがよくダンベルを振って『スイングを強化する』と息巻いているが、それは間違ったフォームを、重さでさらに間違ったものにするからダメ。技術練習と力をつけるトレーニングはわけるべき」という話をしたが、四股を踏む際にメカニカルな負荷をかけてはいけない理由がまさにこれ。
四股は「空身で正確に踏む」ことが一番難しい(←これは沖縄拳法空手道首席師範・山城美智先生に教えを受けた際、ワタクシが「型を打つ際に負荷などをかけるべきか?」という愚かすぎる質問をした際、山城先生がおっしゃって下さった回答の丸パクリです)。
Q7 四股によっていわゆる「丹田」が開発されるのか?
A7 全く不明。そういうことは「身体のバランスの中心を、昔の人がそう表現しただけ。五臓六腑の三焦(さんしょ)と同じで、丹田なんかありえない」と主張するワタクシではなく、「月刊秘伝」の愛読者あたりに聞くこと(-_-;)。
Q8 四股が優れたトレーニングなのはわかったが、ではなぜこれまで「相撲関係者が行うだけ」のものだったのか?
A8 平成初年ころまでのいわゆる「スポーツ指導者」の多くが、モノを知らないバカだったから。
語弊を恐れずはっきり申し上げれば、わが国のスポーツ指導者は永く「根性論を振りかざすバカ」と「毛唐の受け売りだけを話すバカ」しかいなかったため、「ほんとうに役立つこと」の追求が永くなされていなかった。
平成初年ころまでのスポーツ指導者なるものは、毛唐の国で確立されたトレーニング理論をありがたがっていたが、そのバカたちは、毛唐の国で作られた理論の「被験者」の質を全く斟酌していなかった(毛唐の国で実験をしたのであれば、被験者は当然毛唐。股関節が異様に固く、腱弾性が異様に強く、生活様式も全く異なるあの人種)。
また、毛唐のトレーニング理論を受け売りすることによって、四股や空手などに存在した、ひとつの運動で「身体も作れる、動きも開発できる」というものを否定し、「筋肉をつけるか、アジリティを作るか」という二者択一を当たり前にしてしまった。
こいつらの罪は決して軽いものではない。地獄に行って閻魔に舌を抜かれるくらいで丁度いいと思う。
Q9 同じ日本伝武道の柔道は、トレーニング方法として四股を採用していない。これはなぜか。
A9 柔道は純然たる日本伝武道ではなく、日本伝武道の皮をかぶったスポーツだから。
Q8でも述べたが、質のいい日本伝武道には「身体も作れる、動きも開発できる」という、一見異なる目的を矛盾なく成立させるトレーニング方法が存在する。その代表的なものがいわゆる「型」で、相撲の稽古体系のなかで四股も「型のひとつ」と位置付けられている。その型を練る過程で、螺旋階段上に上達していくのが本物の日本伝武道である。
しかし柔道には「こういう技をこうかける」という技の体系はあっても「こういう機序を踏めば、螺旋階段上に強くなっていく」という上達の体系が創設時から現在に至るまで、一切存在しない。
嘉納治五郎は本邦にウェイトトレを初めて紹介した人物としても知られているが、これは「柔道には強くなるための体系がない」というこを自ら認めていたからこそであると、個人的には思っている。
それはさておき、前回に続き、四股のお話です(おそらく四股話の最終回)。
当初、四股に関する何か一つのテーマについて書こうかなと画策していたのですが、毎日四股を踏む過程で、さまざまなことが自分なりに、どんどん「理解」できたので、今回はその気づきをQ&A方式で短く羅列する形式でお送りし、四股研究論を一旦収めたいと思います。
Q1 腰を割った状態から足を上げる際、まずどこに力を入れるべきか?
A1 広背筋下部。広背筋下部を締めた力が、そのまま中殿筋の起始となる部位(骨盤の横)に入ることが望ましい。
中殿筋がしっかり作用し、骨盤の外旋がかかれば骨盤前面についている各種小筋群が十分にストレッチされ、いわゆる「つながり」がしっかり生まれる。
ろくでもない相撲指導者やスポーツ指導者が「太もも(特に大腿四頭筋)に力を入れろ」などと教えていることがあるが、百害あって一利ないのでやめること。
Q2 脚を上げた際、脚は伸ばすべき?曲げるべき?
A2 広背筋を締め、中殿筋をしっかり使い、骨盤の外旋を強くかけたければ「曲げる」一択。というか解剖学上「片足を上げて骨盤の外旋を強くかける」という動作を第一義である場合、膝と足首がだいたい90度くらいに曲がっていなければ、強い外旋はかからない。
脚を上げ切ったフィニッシュの瞬間に両足を伸ばす四股を否定はしないが、それは「バランス感覚を養う」とか「大腿四頭筋を強く使う」とか、目的をもって行うべきであり、常態的に行う性質のものではない。
Q3 昔から言われる「上体を立てて四股を踏め」は本当か?
A3 本当。というか、上体が立っていない四股(猫背で踏む四股)は、カロリー消費以外の効果がない「やじろべえの四股」にしかならない。
脚を下ろしてから腰を割った際、上体が立っていれば骨盤前面の小筋群や中殿筋、あるいは中殿筋とつながる腹筋に強いストレッチがかかるが、猫背の場合負荷が全て大腿四頭筋に入る。「身体のブレーキとなる筋肉を鍛えるのが好きでたまらない」のなら止めないが…
Q4 四股はたくさん踏まないとダメなのか?
A4 股の固い現代人が健康維持目的で行うなら合計数十回でじゅうぶん。強くなりたければ50~100回単位でたくさん踏まなければダメ。
なぜ「強くなりたければたくさん踏め」なのかというと答えは簡単、「四股は純然たる筋トレではなく、身体に対する技術練習だから」。
四股は筋トレとしての効果も高いが、それ以上に「体をうまく使うための技術トレ」としての色合いが強い…というより、それが一番目の目的である。
日常生活で何気なく行っている「歩行」の悪癖(骨性支持や腱弾性を使用した動きなど)を矯正し、「全身の力を協応させる」動きを無意識に発揮するための技術的トレーニング、それこそが四股である。
(そういった意味で四股は「空手の型」と存在意義や目的が非常に似通っている)
「北斎漫画」に描かれている初期の四股が、現在のように四股立ち→腰を割る→足を上げるではなく、略直立の状態から片足だけをヒョイと上げているものだった(=筋量や筋力を増やすことでなく「バランスの技術練習」に主眼が置かれている)ことも、その証左である。
また「技術」は、人間の体内から消失してしまうのが物凄く速い。
よくプロアスリートや一流芸術家が「1日練習をサボったら、取り戻すのに何日かかかる」と口にしているが、「片足で立つ」という非日常的な動きを取り入れている四股にも同じことが言える。
従って四股は、その目的が「健康維持」ではなく「強くなるため」である場合、
・技術練習の観点からは「技術は継続的な反復練習が要る」という点から
・筋トレ的観点からは「メカニカルストレスがかけられない運動なので、ケミカルストレスで対応する」という点から
たくさん踏むべからざるものである(べからざるもの=「しなければならない」のより強い表現)。
Q5 四股は毎日踏んでいいのか?他の筋トレのように適当に休んで「超回復」を目指すべきでは?
A5 毎日踏んで全く問題ない。疲労が蓄積して実行できない場合は適宜休むべきだが、「毎日やってはいけない理由」は一切存在しない。
四股はその第一義が技術練習であるため、1回1回の負荷自体がそう強いものではない(運動慣れしていない、あるいは股関節がとてつもなく固い人は別)だからこそ「毎日できる」。
身体が疲労している際に無理をする必要はないが、「毎日やってはいけない」という論を後押しするものは何一つない。
Q6 四股を踏む際、ダンベルを持つなどして負荷をかけることは有効か?
A6 全然有効ではない。むしろ上達を阻害するので即座にやめること。
以前弊ブログで「ゴルフ素人オヤジがよくダンベルを振って『スイングを強化する』と息巻いているが、それは間違ったフォームを、重さでさらに間違ったものにするからダメ。技術練習と力をつけるトレーニングはわけるべき」という話をしたが、四股を踏む際にメカニカルな負荷をかけてはいけない理由がまさにこれ。
四股は「空身で正確に踏む」ことが一番難しい(←これは沖縄拳法空手道首席師範・山城美智先生に教えを受けた際、ワタクシが「型を打つ際に負荷などをかけるべきか?」という愚かすぎる質問をした際、山城先生がおっしゃって下さった回答の丸パクリです)。
Q7 四股によっていわゆる「丹田」が開発されるのか?
A7 全く不明。そういうことは「身体のバランスの中心を、昔の人がそう表現しただけ。五臓六腑の三焦(さんしょ)と同じで、丹田なんかありえない」と主張するワタクシではなく、「月刊秘伝」の愛読者あたりに聞くこと(-_-;)。
Q8 四股が優れたトレーニングなのはわかったが、ではなぜこれまで「相撲関係者が行うだけ」のものだったのか?
A8 平成初年ころまでのいわゆる「スポーツ指導者」の多くが、モノを知らないバカだったから。
語弊を恐れずはっきり申し上げれば、わが国のスポーツ指導者は永く「根性論を振りかざすバカ」と「毛唐の受け売りだけを話すバカ」しかいなかったため、「ほんとうに役立つこと」の追求が永くなされていなかった。
平成初年ころまでのスポーツ指導者なるものは、毛唐の国で確立されたトレーニング理論をありがたがっていたが、そのバカたちは、毛唐の国で作られた理論の「被験者」の質を全く斟酌していなかった(毛唐の国で実験をしたのであれば、被験者は当然毛唐。股関節が異様に固く、腱弾性が異様に強く、生活様式も全く異なるあの人種)。
また、毛唐のトレーニング理論を受け売りすることによって、四股や空手などに存在した、ひとつの運動で「身体も作れる、動きも開発できる」というものを否定し、「筋肉をつけるか、アジリティを作るか」という二者択一を当たり前にしてしまった。
こいつらの罪は決して軽いものではない。地獄に行って閻魔に舌を抜かれるくらいで丁度いいと思う。
Q9 同じ日本伝武道の柔道は、トレーニング方法として四股を採用していない。これはなぜか。
A9 柔道は純然たる日本伝武道ではなく、日本伝武道の皮をかぶったスポーツだから。
Q8でも述べたが、質のいい日本伝武道には「身体も作れる、動きも開発できる」という、一見異なる目的を矛盾なく成立させるトレーニング方法が存在する。その代表的なものがいわゆる「型」で、相撲の稽古体系のなかで四股も「型のひとつ」と位置付けられている。その型を練る過程で、螺旋階段上に上達していくのが本物の日本伝武道である。
しかし柔道には「こういう技をこうかける」という技の体系はあっても「こういう機序を踏めば、螺旋階段上に強くなっていく」という上達の体系が創設時から現在に至るまで、一切存在しない。
嘉納治五郎は本邦にウェイトトレを初めて紹介した人物としても知られているが、これは「柔道には強くなるための体系がない」というこを自ら認めていたからこそであると、個人的には思っている。
余談ではあるが、弊ブログで何度も述べている通り、柔道は嘉納先生が日本で初めて作り上げた「競技スポーツ」であり(断言)、今や「JUDO」は、「柔道着を着た、世界最大のジャケットレスリング大会」となっている。
時おりしもパリ五輪の真っ最中であるが、今般五輪の柔道競技でも多数の誤審が勃発したり、勝利を文字通り「手放し」で、ド派手に喜ぶ外国勢がやり玉に挙がっている。
そうした一連の行動に対し、日ごろロクに柔道の試合も見ないような輩が「武道精神がない!ウンタラカンタラ」とほざくが、嘉納先生生前の論説を原文で読み倒してきたワタクシは「このディストピアっぽい柔道こそ、嘉納先生が生涯をかけて希求した真の柔道の姿だ!」と断言する。
死後90年近く経っての「柔道の完成」。嘉納先生も、さぞかし本望であろう(これまた断言)。
Q10 先述した「A or B」ではなく「A and B」を具現化するトレーニングで、他に有名なものはないか。
A10 ケトルベル(ギラ)。昔々、総合格闘技華やかなりしころエメリヤーエンコ・ヒョードルという絶対王者がいたが、その戦法・トレーニング方法ともに「サンボの基本に忠実すぎるほど忠実」であった。むろん、盛んにギラのトレーニングも行っていたと仄聞する。
以上で四股に関するQ&Aを終了します。ご意見ございましたらいつものように、コメント欄にお願いいたします。
死後90年近く経っての「柔道の完成」。嘉納先生も、さぞかし本望であろう(これまた断言)。
Q10 先述した「A or B」ではなく「A and B」を具現化するトレーニングで、他に有名なものはないか。
A10 ケトルベル(ギラ)。昔々、総合格闘技華やかなりしころエメリヤーエンコ・ヒョードルという絶対王者がいたが、その戦法・トレーニング方法ともに「サンボの基本に忠実すぎるほど忠実」であった。むろん、盛んにギラのトレーニングも行っていたと仄聞する。
以上で四股に関するQ&Aを終了します。ご意見ございましたらいつものように、コメント欄にお願いいたします。
悔しいときに足首を90度にして
相手の足裏をひっかけるよな
ローを習ったことを思い出して読みました。
いつも具体的なお導きありがとうございます😊
才能ないくせに今よりましになりたい
身の上、参考にさせていただきます。
しかも一生続けて鍛錬が出来そうな内容(^ ^)
身体の使い方、作り方が同一の手法でカバー
できるとは日本人なのに先祖の考えを
わかってませんでした。
あ、示現流のお話も楽しみにしとります
兵法館の有村さんに逢われたと思いますが
四股はほんとうに究極の格闘技トレーニングであり、空手の「古い型」と同様、やればやるほど新たな発見がある素晴らしいものだということを、恥ずかしながら格闘技リスタート28年目にしてようやく気付きました。恥ずかしい…
示現流兵法所記念館は鹿児島移転後、2度ほど訪問しておりますが、それ以外にも南洲神社境内で土日に行われている薬丸示現流の稽古や、西郷南洲顕彰館にある「示現流各流派の木刀」を見たり触ったりする過程で、「空手の源流の、さらに源流」の奥深さに、いまさらながら驚いています。