またまた大昔の歌謡曲のタイトルにのっかって、すみませんですm(__)m。
本日はいま巷で流行中の「アウトプットこそが重要だ!」という風潮に一石ならぬ砂粒を投じる程度???のお話をしようと思います。
仕事や趣味、勉強などで知識を取り入れる「インプット」と、インプットしたものをそのまま発露する、あるいは自分なりに咀嚼・消化したものを外に向かって発露する「アウトプット」。いずれも人生において重要なことでございますが、近年は「脳みその構造上、アウトプットしたものは脳に残りやすく、向後のためになるから、アウトプットを重視せよ!」との論調がどこでも喧しくなっております。
これについてはワタクシも原則賛成ですが、ただ、「アウトプットする人間」の仕事量や知識量、あるいは人間性を省みることもなく、何もかも一緒くたに「人間はすべからくアウトプットをすべきなんですよおおお~!!!」(古の著名プロレス記者・ターザン山本風に(;^ω^)。なお、ターザンとワタクシは、出身地がかなり近所の出身でして…ちょっと恥ずかしい(〃ノωノ))という現代の風潮にはちょっと「?」とクビをひねってしまいます。
きちんとした学問や仕事、技術習得の経験を積み、それを自分の中でしっかり咀嚼・消化したことによるレベルの高い「アウトプット」は人の心を打ち、共感を呼びますが、何らの学識も技術も社会経験もないバカの「アウトプット」なんて、一顧だにする価値はないでしょう。
しかし最近はネットという便利なものができたせいで、後者のようなバカにも「アウトプット」の機会ができてしまった。その最たるものが、以前弊ブログでも取り上げた各種の「バカ動画」であると思うのですが、皆様いかがお思いでしょうか。
私見ではありますが、肉体的にも精神的にも若くて柔軟であり、なおかつムリの利く若い時期に、どんなものでもいいので、「かなりハードで、でも実のあるインプット」をしておかないヤツが、人様の共感を呼ぶアウトプットをするなんて、絶対に不可能です。
ちょっと前に弊ブログでお話しした「自衛隊 最強の部隊へ CQB ガンハンドリング編」に、「『隊員が言うことを聞いてくれない』と嘆く隊長がいるが、それは隊長に技量がないことを兵隊が見透かしているからだ」といった意味合いの一節があったのですが、そうした情けない泣き言をいう隊長は「インプットができていないくせに、スカスカのアウトプットをしようとしている」わけであり、そのバカ隊長とバカ動画野郎は、精神の根本が全く同じと言っていいでしょう。
では、「人様の共感を呼べる程度のアウトプットができるインプットの期間」って、どのくらいだろう…と考えますと…これはもう、あちこちで言われている「一万時間の法則」を乗り越えた人か、それに準ずる経験をした人しかいないんじゃないか…と愚考します。
むろん、「一万時間の法則」には批判も多く、「デキる大天才」や、「教える大天才」に師事した人にとっては「オレはもっと短時間で深奥に達した!」という反論をし放題の話かもしれません。
しかし、ワタクシのように凡夫は、一万時間をこなさないとある程度の真理にたどり着くことは絶対に不可能であったと断言できます。
仕事に関しては「とにかくやれ!」をさんざん食らい、出会いにも幸運にも恵まれず、ただただキツかったのですが、それでもこなした一万時間(以上。今年でついに25年目に突入します(;^ω^))を持ちます。
格闘技に関しては、芦原会館中国本部から始まって、格闘技吉田道場、そしてそのほか各種道場と、ただただ楽しい20年間。道場に立っていた時間も、それ以外の鍛錬の時間も軽く一万時間を超えております。
弊ブログはいちおう、皆様にお話をできる「なにがしか」の根拠をこの「一万時間(以上)」としており、それ以外のことにあまり手を広げないようにしております(面白いか、心を打つかという話はさておき、ですが(;^ω^))。
昔の人は「何かを語りたかったら、それを10年やれ」と言いました。うちの死んだ爺さんも、会社に就職したばかりのワタクシに、全く同じことを言ったのをはっきりと覚えています。
アウトプットも大事ですが、頭の中に、よりよい知識も、よりよい経験も入っていないまさに「無能」から出てくるアウトプットはろくなもんじゃない。特に、他人に課された「とにかくやれ!」の期間をくぐっていない人間が、いいアウトプットなどできるはずがありません。自由な発想は、不自由な時期に感じたことが生み出すものです。
万人に当てはまる正解じゃないかもしれませんが、少なくともワタクシはそのように考えております。
本日はいま巷で流行中の「アウトプットこそが重要だ!」という風潮に一石ならぬ砂粒を投じる程度???のお話をしようと思います。
仕事や趣味、勉強などで知識を取り入れる「インプット」と、インプットしたものをそのまま発露する、あるいは自分なりに咀嚼・消化したものを外に向かって発露する「アウトプット」。いずれも人生において重要なことでございますが、近年は「脳みその構造上、アウトプットしたものは脳に残りやすく、向後のためになるから、アウトプットを重視せよ!」との論調がどこでも喧しくなっております。
これについてはワタクシも原則賛成ですが、ただ、「アウトプットする人間」の仕事量や知識量、あるいは人間性を省みることもなく、何もかも一緒くたに「人間はすべからくアウトプットをすべきなんですよおおお~!!!」(古の著名プロレス記者・ターザン山本風に(;^ω^)。なお、ターザンとワタクシは、出身地がかなり近所の出身でして…ちょっと恥ずかしい(〃ノωノ))という現代の風潮にはちょっと「?」とクビをひねってしまいます。
きちんとした学問や仕事、技術習得の経験を積み、それを自分の中でしっかり咀嚼・消化したことによるレベルの高い「アウトプット」は人の心を打ち、共感を呼びますが、何らの学識も技術も社会経験もないバカの「アウトプット」なんて、一顧だにする価値はないでしょう。
しかし最近はネットという便利なものができたせいで、後者のようなバカにも「アウトプット」の機会ができてしまった。その最たるものが、以前弊ブログでも取り上げた各種の「バカ動画」であると思うのですが、皆様いかがお思いでしょうか。
私見ではありますが、肉体的にも精神的にも若くて柔軟であり、なおかつムリの利く若い時期に、どんなものでもいいので、「かなりハードで、でも実のあるインプット」をしておかないヤツが、人様の共感を呼ぶアウトプットをするなんて、絶対に不可能です。
ちょっと前に弊ブログでお話しした「自衛隊 最強の部隊へ CQB ガンハンドリング編」に、「『隊員が言うことを聞いてくれない』と嘆く隊長がいるが、それは隊長に技量がないことを兵隊が見透かしているからだ」といった意味合いの一節があったのですが、そうした情けない泣き言をいう隊長は「インプットができていないくせに、スカスカのアウトプットをしようとしている」わけであり、そのバカ隊長とバカ動画野郎は、精神の根本が全く同じと言っていいでしょう。
では、「人様の共感を呼べる程度のアウトプットができるインプットの期間」って、どのくらいだろう…と考えますと…これはもう、あちこちで言われている「一万時間の法則」を乗り越えた人か、それに準ずる経験をした人しかいないんじゃないか…と愚考します。
むろん、「一万時間の法則」には批判も多く、「デキる大天才」や、「教える大天才」に師事した人にとっては「オレはもっと短時間で深奥に達した!」という反論をし放題の話かもしれません。
しかし、ワタクシのように凡夫は、一万時間をこなさないとある程度の真理にたどり着くことは絶対に不可能であったと断言できます。
仕事に関しては「とにかくやれ!」をさんざん食らい、出会いにも幸運にも恵まれず、ただただキツかったのですが、それでもこなした一万時間(以上。今年でついに25年目に突入します(;^ω^))を持ちます。
格闘技に関しては、芦原会館中国本部から始まって、格闘技吉田道場、そしてそのほか各種道場と、ただただ楽しい20年間。道場に立っていた時間も、それ以外の鍛錬の時間も軽く一万時間を超えております。
弊ブログはいちおう、皆様にお話をできる「なにがしか」の根拠をこの「一万時間(以上)」としており、それ以外のことにあまり手を広げないようにしております(面白いか、心を打つかという話はさておき、ですが(;^ω^))。
昔の人は「何かを語りたかったら、それを10年やれ」と言いました。うちの死んだ爺さんも、会社に就職したばかりのワタクシに、全く同じことを言ったのをはっきりと覚えています。
アウトプットも大事ですが、頭の中に、よりよい知識も、よりよい経験も入っていないまさに「無能」から出てくるアウトプットはろくなもんじゃない。特に、他人に課された「とにかくやれ!」の期間をくぐっていない人間が、いいアウトプットなどできるはずがありません。自由な発想は、不自由な時期に感じたことが生み出すものです。
万人に当てはまる正解じゃないかもしれませんが、少なくともワタクシはそのように考えております。
クラウゼヴィッツもいうように、戦争は外交の一手段でありつつ、その実施・継続は「露骨」という言葉がバッチリ当てはまるシビアなものであります。「露骨」にさせずに「紛争」とか「事件・事変」の域、あるいはそれ以前に収めるかということを真摯に研究して天秤にかけることが「エライ人」の仕事であり、コニャック10杯を一気飲みしたうえでの勢いで語っていいことでは決してない!ことは自明でございますね(;^ω^)。
またよろしくお願いいたします!